第14話 - 絵にも描けない美しさ
「羽生さん、絵のモデルになってください!」
「いいよ」
一週間かけて気合を入れた頼みは、拍子抜けするほどあっさり承諾された。大輝は落ち着かない気持ちで、人の少ない美術室に天音を招き入れる。
三年生は、文化祭に飾る絵を描いたら引退する。送別会の日は集まる予定だが、それ以外は、描き上げた人は部室に来ない。この日も大輝以外は、ほとんどが一・二年生だった。
「わざわざ夏休みに来てもらってごめん」
「ううん。ちょうど暇してたの」
天音の本音か気遣いかいまいちわからない言葉に助けられながら、大輝は作業スペースを片付ける。天音が立つ場所を作り、休憩用の椅子も傍に置いた。
大輝はポーズを説明するために、ひまわり畑の絵を天音に見せる。
「ここに人を描こうと思ってて……」
「すごい! これ、佐藤くんが描いたの?」
「あ、うん」
「上手だね! わぁ……本当にひまわりにしてくれたんだ、嬉しい!」
無邪気な天音の笑みに、大輝は少し恥ずかしくなる。絵を褒められたのは、小学生のとき以来かもしれない。美術部に入ると「描けるのが当たり前」な人も多く、なかなか褒められなくなる。
天音は最近、こういう明るい笑顔を見せてくれることが増えた。つき合う前は大人しい印象だったが、そう見えていただけで、もともと明るい性格なのだろう。
心を開いてくれているのかもしれない。そう思うと、大輝は胸が温かくなる。
「こんな感じのポーズで立ってほしくて……」
「こう?」
「そう。あ、もうちょい右向ける? そう、そこ!」
ポーズが決まり、大輝はキャンバスの前に座って筆を執る。天音は中途半端な姿勢にもかかわらず、微動だにせずポーズを取り続ける。しかも微笑んだまま。
(すごいな……。止まり続けるってけっこう難しいと思うんだけど)
大輝は彫刻を見ている気分になる。ずっと眺めていたいが、負荷をかけては申し訳ないと思い筆を進める。
描くものがはっきりしているからか、それとも被写体がいいからか、大輝の想像以上に筆が乗る。夏休み中に描きあがらないと思っていたが、心配いらなさそうだ。
(斜めから見ても輪郭が綺麗だな……フィギュアみたいだ。あ、まばたきした)
思えば、こんなにもまじまじと天音を観察するのは久しぶりだ。初めて見たとき以来かもしれない。
あれは高校一年生の春、入学したてのころだった。休み時間で人がまばらな教室に、男子生徒が興奮気味に入ってきた。彼はすでにクラスで目立ち始めている、リーダー格のような少年だった。
「めっっちゃくちゃかわいい子がいた!!」
その生徒と席が近かった大輝は、断る間もなく熱弁された。彼は大輝のリアクションをほとんど見ず、まくし立てるように話した。
「マジで天使かってくらいかわいかったんだよ!!」
「へぇ~」
「佐藤も見たらわかるって! 行こうぜ!」
「えっ、もうすぐチャイム鳴る……」
「すぐそこだからさ!」
正直、大輝は美少女に興味がなかった。それは「年上が好き」とかそういう話ではなく、単純に恋愛に興味がなかった。
(めんどくさ……)
そう思いつつ、大輝は男子生徒について行った。当時の大輝の目標は「目立たない」であり、付き合いが悪いやつと思われることを避けたかったのだ。
彼と、彼の勢いに押された数人と共に、大輝は教室を出た。連れてこられたのは二つ隣の教室で、チャイムが鳴ってからでも戻れそうな距離に安心する。
「ほら、あそこ! あの髪薄い子!」
(髪薄い? ハゲ? いや、色の話か。ギャル?)
そんな偏見を抱きながら、彼の指の先を見たとき――
急に、周りの音が聞こえなくなった。いや、きっと耳には入っていたが、脳が認識していなかったのだろう。視線は少女に釘付けになり、彼女だけが浮いているように見える。
たしかにそこには、想像を絶する美少女の姿があった。
(――悪魔だ)
そう思ってしまうほど、彼女は魅力的だった。整った顔立ちも、大きな瞳も、小さな口も、白い肌も、サラサラとした髪も、細い手足も、全てが完成されていた。耳を澄ますと聞こえる声は小鳥のようで、大輝はおとぎ話の世界に迷い込んだ気分になった。
「かわいい……」
「だろ!?」
興奮した男子生徒に肩を揺さぶられる。その衝撃で、大輝は現実世界に戻ってきた。
すぐにチャイムが鳴り始め、大輝たちは教室に急ぐ。授業が始まっても、大輝の頭の中は、悪魔のような美少女のことでいっぱいだった。当然、当てられても何も答えられなかった。
(まさかその悪魔が本物の悪魔で、自分の彼女になるなんてなぁ……)
大輝は淡い肌色を塗りながら、そんなことを思う。改めて考えると、とんでもない奇跡だ。今でも夢なのではないかと疑うときがある。テストで九十点以上取れたことも含めて。
大輝はもう一度、天音の顔をじっと見る。
(絵にも描けない美しさって、こういうことを言うんだろうな)
手元の絵と本物の天音は、似ているようでやはり違う。本物の方が絶対に綺麗だ。
本物のように綺麗に描きたいような、本物が一番であってほしいような。大輝はジレンマを抱えながら、水色の絵具をパレットに出した。




