第10話 - 絵に足りないもの
あっという間に月日が経ち、高校生活最後の夏休みが近づいている。またいちゃもんをつけられないように頑張った期末テストは、平均を大きく上回る結果を残せた。全科目九十点以上再び……とはいかなかったが。
エアコンの効いた美術室で、大輝は大きなキャンバスにそっと筆を置く。夏服は袖を捲らなくていいのが楽だ。
ひまわり畑の絵は、八割完成していると思う。しかしなんだか物足りなく感じ、大輝は筆を下ろして絵を眺める。
なにが足りないのか、本当はわかっている。しかしそれを描いていいものかと、大輝はここ数日ずっと悩んでいる。
(……羽生さんが描きたい)
ひまわり畑を歩く少女がいたら、きっとこの絵は締まるだろう。その対象は天音以外に考えられない。しかしモデルには許可がいる上、のろけすぎだと周りから馬鹿にされる気がしている。
気分転換をしようと、大輝は筆を机に置いて伸びをする。
「翔太ー、どこまで進んだ?」
「急に納期が来てもこのまま提出できるくらい」
「納期って」
大輝は立ち上がり、向かい合って描いていた翔太の絵を覗き込む。黒地にノイズのように鮮色が散る絵は、学生が描くにしては暗すぎる。
「……ホラー映画でも観てきたのか?」
「観てないけど」
「なんの抽象画?」
「人間の脳内」
「お前の頭ん中どうなってんだ??」
翔太曰く、黒い部分が脳の普段は使っていない領域、細かいノイズが無意識下の動き、大きなノイズが感情や思考らしい。わかるようでわからない。
「大輝はどこまで進んだ?」
「八割できてると思うんだけど……」
翔太は立ち上がり、大輝の絵を見に来る。翔太は「うーん」と唸りながら顎に手を当てる。
「天使描けば?」
「やっぱりそう思うか?」
「うん。なんか目線が定まらないから、この辺に人がいるといいと思う」
「のろけてんじゃねえ! って思われない?」
「それよりは、別れたときメンタルきついだろうなーって思う」
「縁起でもないこと言うなよ」
「ひまわりで思い出したんだけどさ」
気まぐれな翔太はすぐに話題を変えるが、いつものことすぎて大輝はツッコまない。
「夏休みにゴッホ展あるの知ってる?」
「え、知らない。どこ?」
「上野。まだチケット取れると思うけど」
「へー。行こうかな。翔太行く?」
いつものノリでそう聞くと、翔太からは呆れ顔が返ってきた。
「お前、そこは天使と行けよ」
「あ……」
(展示は毎回翔太と行くから、癖ついてたな……)
たしかに彼女がいるのなら、彼女と行くのが普通かもしれない。天音が美術に興味がないなら話は別だが、おそらくそんなことはない。
しかし天音と出かけるということは、つまり……
(デート、だよな?)
そう思った途端、大輝の顔がかーっと熱くなる。学校の外、二人きりの外出、そして私服。ドキドキとわくわくと共に、とんでもない緊張が押し寄せてくる。
(いや、まだ一緒に行くって決まったわけじゃないし!)
大輝は必死に心を落ち着け、ポケットからスマートフォンを取り出す。
「と、ととととりあえず、一緒に行くか聞いてみる!」
「手ぇ震えてるけど大丈夫か?」
「だだだ大丈夫!」
「そうか」
おそらく大丈夫には聞こえないと思うが、翔太は適当な相槌を打つ。たぶん、面白がっている。
大輝は震える手でメッセージアプリに文字を打つ。部活中にやることではないが、周りが気にしている様子はない。
翔太にも文章を見てもらい、大輝は送信ボタンを押す。返事が返ってくるまで、落ち着かなくて絵も描けないと思ったが……
ブーと、マナーモードにしたスマートフォンが震える。まさかと思って画面を覗くと、通知されたのは天音からのメッセージだ。
(早っ! 華道部もう終わったのか――)
短い返事に、大輝は一瞬呼吸を忘れる。
「……翔太」
「ん? いい返事来た?」
大輝はスマートフォンを握りしめ、泣きそうになるのをこらえて翔太を見る。
「服、買いにいかね?」




