EPISODE 3: DUST BUNNY - 0 LY
待機エリア「ダスト・バニー」の空気は、裏通りの約束と同じくらい薄っぺらで、安物の冷却材とオゾンの臭いが肺をチリつかせた。
レースの開始を待つランナーたちの間には、言葉を交わすような情緒は存在しない。
あるのは剥き出しの殺気と、莫大な賞金への欲望だけだ。
……極稀に、極限の速度に対する渇望を持った変わり者も、いるにはいるが。
重機のような無骨な船体がひしめき合う中、185cm、88kgの巨躯を持つJ.J.がコックピットから身を乗り出す。
その瞬間、周囲のならず者たちが一瞬、静まり返った。
J.J.の声は砂利道を走るタイヤのような質感を帯び、葬儀場の石床ほどの温度で響いた。
「……用があるなら、聞くぞ」
ならず者たちの視線が、一斉に逸れる。
その隣、六畳一間ほどの狭苦しいコックピットの助手席では、ヴィカが加速への恐怖と負担で吐き気をこらえながらも、不敵な笑みを Grin と浮かべていた。
「……覚えてなさいよ、J.J.。あたしが体中の水分を吐き出す前に、あんたの命止めてあげるから」
「その前に、口ゆすいでこい」
その時、船体から金属音が響き、旧時代の遺物のような無骨なポッドが分離した。補助AI「カノン」の魔改造ドローン形態だ。剥き出しの配線と装飾を削ぎ落とした装甲は、まるで投げ出されたゴミのようにも見えた。
『J.J.様、ヴィカ様。外部接続完了しました。
こちらの方々は挨拶の代わりにEMPを飛ばしてくるようです。
21世紀のコンビニ店員の方が、まだ顧客への愛嬌があった気がします。』
「あった気がするって、体験ないでしょ、カノン」
「ジョークはいい。状況は?」
『EMP以外は特に周囲にアクティブな反応無しです。
それと「ならず者の円卓」より、銀河中継プロトコルがアクティブに。……開会宣言です』
ノイズ混じりの音声が、スター・レーンNo.6の全域に響き渡った。
『お集まりいただいた紳士淑女の皆様!
遂に10年に1度の、銀河全土を巻き込む大レースが始まろうとしています!』
ありきたりの挨拶から、よくある故事にからめて時節柄の話題を広げる司会。
内容が薄っぺらすぎて、何も頭に入ってこない。
これならまだカノンの21世紀ジョークのほうがマシだ。
『それにしても酷いコピペ挨拶ですな。
よほど程度の低い21世紀のAIにでも丸投げしたのでしょう』
訂正、どっちも何言ってるかわからん。
『──それでは、各機、位置についてください』
やっと前置きが終わった。
右手をそっと、レバーに添える。
左足はとっくにペダルの上だ。
待機エリアを満たす熱気と、それ以上かもしれない殺気がさらに膨れ上がる。
司会のカウントダウンが進み…
ドン、ドン、ドン。
…『5』を数えるタイミングで、大量の花火が打ち上げられた。
何をしたいのか、よくわからんな。
『4、3、2、1……』
「……行くぞ、ヴィカ。噛み締めろ」
『0!』
踏み込むメイン・スロットル。
次の瞬間、スター・レーンが解放され、バレット・カノンが咆哮を上げる。
尾を引き上がっていく玉を瞬時に追い抜き、バレット・カノンは火薬の花が開く前に、黒い空へと躍り出る。
その遥か背後で開く、青い空の花。
「わ…私たちに……見せた、ければ、あと10秒早く……打ち上げ、なきゃね……」
慣性制御装置で削りきれない5Gの重圧に顔を歪めながら、ヴィカが苦し紛れの軽口を叩いた。
『正確には最低で15秒、余裕を見て20秒は必要ですね』
すかさずカノンが、空気を読まないマジレスで正確な数値を返す。
「……ああ、そうだな。綺麗な赤だったぜ」
J.J.は、88kgの肉体をシートへと埋め込む重力に耐え、操縦に100%の神経を注ぎながら、まったく会話に噛み合っていない律儀な相槌を打った。
「どっちでも、いいわ……」
急速にブラックアウトしていく視界の中で、ヴィカはポンコツAIと会話の通じない相棒にさじを投げ、途切れ途切れに毒づいた。
そのまま彼女の意識は深い底へと落ちていく。
最後に彼女が見たのは、光が糸のように流れるスター・レーンの入り口と、重力に抗って前だけを見据えるJ.J.の冷徹な横顔だった。
そしてバレット・カノンは、背後で華やかに散るどんな花火よりも長く、鋭い白銀の尾を引きながら、深淵なる宇宙の闇へと吸い込まれていった。




