第58話 魔女の加護
「新鮮ですね、こういうの」
来る八月三日の早朝。
わたしと逢坂さんは、羽田空港行のリムジンバスに揺られていた。
ダンジョンやご飯に出かけるときは専ら逢坂さんの車で近場を移動するばかりだったから、こうして逢坂さんとのんびり移動するのは初めてだった。
「やっぱり、車だと一週間停めっぱなしは高くつくんですか?」
「いや、金はどうでもいい。……行きはいいが、帰りにまともに運転できる自信がないんでな」
げんなりとした顔で答えが返ってくる。
こんなふうでこれから長時間のフライトに耐えられるのか、早くも心配になってきた。
「帰りも迎えに来ますから、もし変更とかあったら絶対に連絡してくださいね」
「頼りになるこった」
まあ、迎えにと言っても、帰りもこうしてリムジンバスを使うことになるんだろうけど。
……探索者ライセンスだけじゃなくて、車の免許も取っておけばよかったかなあ。
「何もなくても連絡してくれてもいいんですよ? わたしはします」
「はいはい。……時差があるのは覚えとけよ」
「九時間でしたっけ」
「いや、今は八時間だ。向こうはサマータイムだからな」
そういえば、そんなものもあったような。
スマホの世界時計アプリにロンドン時刻を追加すると、逢坂さんの言う通り八時間前の時刻が表示された。
寝ているところを通知で起こすのは本意ではないし、気を付けておこう。
「……ふぁ」
会話が途切れると、途端に眠気が押し寄せてきた。
噛み殺そうとしたけれど、逢坂さんにはバレていたらしい。
「お前もこんな朝早くから着いて来んでもいいだろうに」
「せっかくだから色々見て回りたいんですもん」
「何だ、俺の見送りはついでか?」
弾んだ声に顔を上げれば、逢坂さんが意地悪そうに笑っている。
「ついでなんかじゃないですけど! ……こういう時じゃないと空港なんか行かないじゃないですか」
「わかったわかった」
ふいっと顔をそらして窓の外を見ると、ちょうどバスが首都高を降りたところだった。
白い建物が先まで連なっている。
車内アナウンスは、第一ターミナルへの到着が近いことを告げていた。
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目的の第三ターミナルに到着したのは、飛行機の出発より二時間半ほど前だった。
出国審査とか色々あるだろうし、これがちょうどいい時間なのだろう。
広大な出発ロビーにずらりと並んだカウンターのひとつで、逢坂さんが手早くチェックインしてスーツケースを預けるのを、後ろから見守る。
……保安検査場から先は乗客しか入れない。わたしがついていけるのはここまでだ。
いや、まあ、行けないことはないんだけれども……そこまでしたらさすがに引かれるだろう。たぶん。
万が一何かしらのセンサーにでも引っかかったら面倒だし。
逢坂さんの横顔が、保安検査場の列を眺めている。
もう、行かなければならない時間だ。
「お土産、楽しみにしてますね」
「観光じゃないんだが……菓子でいいか? それとも紅茶か?」
「どっちでもいいので、可愛い缶に入ってるやつをお願いします」
「……あまり期待するなよ」
……本当は、何か形に残るものがいい。
でもそんな重たいものを要求する勇気はなくて、その代わりに缶入りのものを求めれば、逢坂さんは眉尻を下げて口端を緩めた。
逢坂さんなりの「可愛い」がどんなものか、存分に期待させてもらおう。
「じゃ、行ってくる」
「あっ……待ってください」
保安検査場に向かおうとする逢坂さんの手を取る。
「何だ、どうし——柊?」
その手を両手で包んで、額に当てる。
同時に、魂のうちの星幽界との接点を大きく開いた。
胸の奥で、魔力機関が唸りを上げる。
触れている場所から力の高まりを感じたのだろう、逢坂さんの手がぴくりと震えた。
わたしから離れても、時間が経っても、この魔法が続くように。
——逢坂さんが、無事に帰ってこられるように。
「…………あっ」
こんなに星幽魔力を取り込むことなんてなかなかないからか、ぐらりと足元がふらついた。
「無茶しやがる」
倒れかけた身体が、逢坂さんの腕に抱き留められる。
すみません、と手を離して姿勢を正したけれど、逢坂さんの手はわたしの肩を掴んだままだった。
「今、何をした?」
「障壁の——護りの魔法を。これで向こう二週間は飛行機が落っこちても平気なはずです」
「……縁起でもないことを言うんじゃない」
呆れたような声とともに、肩を支えていた手がするりと離れた。
「だが……魔女の加護ってのは悪くない。ありがとな」
……加護だなんて、そんな大げさなものだろうか。
まあ、少なくとも神頼みよりは確実性のある魔法だとは思うけども。
あ、今の罰当たりだったかな。許してください神様。
「……いえ。気をつけて行ってきてくださいね」
「ああ。お前も、俺がいない間に今みたいな無茶をするなよ」
そうして、今度こそ逢坂さんは保安検査場に向かっていった。
順番待ちの列の中でも、文字通り頭抜きんでた銀髪が、ガラスの奥に消えていく。
わたしは、黙ってそれを見送った。
さっきまで逢坂さんの声だけを拾っていた耳に、一気に雑踏が押し寄せる。
「…………」
これで、この一週間は一人かあ。
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ザ・江戸みたいな内装のフロアで軽く朝食をとり、物販をぶらつく。
やっぱりこういうのは外国人にウケがいいのか、テンションの高い様子で写真を撮っている人もいた。
逢坂さんの飛行機が飛び立つのを見届けたら、他のターミナルを回ってみよう。
そういえば、確かこのターミナルに直結のモールもあるんだっけ?
順番的にはそっちが先かな。
……あんまりここを一人でぶらついていると、「Sweetie, are you lost?(お嬢ちゃん、迷子?)」とか声かけられそうだし。
正確にはさっきかけられた。家族連れの金髪マダムに。
そんなわけで、五階にある展望デッキに足を運んだ。
「あっつ」
外に出た瞬間、蒸し暑い空気とじりじりとした日差しが肌を撫でる。
持ってきていた日傘を差して、人差し指をくるりと回し、涼しい風を身に纏う。
ぼんやり滑走路を眺めている間にも、世界各国の色とりどりの機体が飛び立っていた。
「どの飛行機かな……」
日本の航空会社の、青いラインの入った機体のはずだけれど。
フェンスぎりぎりまで近づいて、目当ての機体を探す。
離陸時間が近づいて、ようやく逢坂さんが乗っているであろう飛行機を特定できた。
「……逢坂さんが、何事もなく帰ってきてくれますように」
胸元に片手を当てて祈る。
逢坂さんにかけたのは、危険から身を守る障壁の魔法だけじゃない。
清野さんのノートの件もあり、聞こう聞こうと思っていた思考誘導への対策——精神保護の魔法を、先日やっとお父さんに教わったのだ。
なお、わたしは子供の頃にその存在を一度教わっていたらしい。ちょっと記憶になかった。
おそらく、その時にかけてもらった魔法が、わたしを清野さんのノートから守ってくれたんだと思うけれど……経緯を明かせない以上、そのお礼も言うわけにはいかなかった。
……それにしても、お父さんの精神保護の魔法はわたしが大人になるまで一応残っていたというのに、わたしはあの程度でふらつく体たらくとは。
障壁の魔法とセットだし、強度の方に力を込めたから単純な比較にはならないけれども。
やっぱり、まだまだ両親には及ばないな。
何はともあれ。
逢坂さんのことは心身ともにがっちりガードした。あとは事件や事故に巻き込まれず、予定通り帰ってくることを祈るしかない。
青いラインとシンプルなロゴの入った飛行機が、滑走路を走って高度を上げていく。
空高く、その影が見えなくなるまで……わたしは雲の向こうを見つめ続けるのだった。
……ああ、そうそう。
これもついでに祈っておこう。
逢坂さんが、障壁の魔法でもどうにもならない時差ボケに打ち勝てますように!




