第56話 かみのいかづち
「明日は休みだ」
助手席から駅のロータリーに降り立ったわたしに、逢坂さんが言う。
「わかってますってば」
「念押ししないと押しかけるだろ、お前は。明後日は……まあ、来たいなら来い」
「はぁい。……おやすみなさい」
「ああ」
そうして窓を上げて走り去っていく逢坂さんの車を、ぼんやりと見送る。
ライトが見えなくなってから、駅構内へと向かった。
改札を通り抜け、ホームに出たところで——ふと、掲示されたポスターが目に入った。
最寄りのダンジョンとしてみなとみらいダンジョンまでの簡単な地図と、「東口から徒歩15分」みたいな案内が書かれている。
そのポスターの隣にあるもう一枚。……ヨコハマダンジョン。
引っ越してきたときにちょっと通っていたけれど、逢坂さんと会ってからはめっきり行かなくなっていた。
「…………」
スマホで今の時刻と、終電の時刻を確認する。
……日付が変わる頃に横浜駅に戻っていれば、じゅうぶん間に合う。
『まもなく四番線に——』
そうこうしているうちに、横浜駅行の列車がやってきた。
帰り道へのホームに背を向けて、そちらへ乗り込む。
『まもなく横浜、横浜。お出口は——』
乗り換えのためなのかこれから飲み会なのか、この時間でも多くの人が降りていく。
わたしもまた、そこに紛れてホームへと降りた。
特に理由はない。
ただ、最近はちょっとした魔法ばかり使っていたから……ここらでひとつ、派手にやってみたくなった。
……本当に、それだけ。
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横浜駅構内、そして夜の街を早足で歩く。
連休ど真ん中の夜となれば、やっぱりいつも以上に人通りは多い。
でも、今からダンジョンに向かうという人はまずいないだろう。
隠形と不可視の魔法を重ね、眠そうにしている協会職員さんの横をするりと通り抜ける。
そのままゲートを潜った先は、外と同じく夜だった。
星はなく、月だけが光源として浮かんでいる。
ヨコハマダンジョンの浅層は、草原と水辺がモチーフのフィールド型ダンジョンだ。
見渡す限りの草原のところどころで、川の水面が月光を反射してきらきらと輝いている。
協会の査定受付ブースの明かりはついていたけれど、人影はなかった。
たぶん、全然人がいないものだから、この時間は奥に引っ込んでいるのだろう。
今夜のうちに査定を依頼する予定はないので、問題はない。
ヨコハマダンジョンは第十層を越え、第十二層までのフロアボスを既に突破している。
オベリスクを通じて、第十一層へと向かった。
「——わっ」
第十一層の空には月がなく、逆に星が瞬いていた。
夜のダンジョンは久しぶりだから、この変化に思わず声を上げてしまう。
光源はほぼないようなものだけれど、魔女であるわたしには関係なかった。
人差し指をくるりと回し、地面を蹴った。
半透明の翼が空気を掴んで、身体がぐんと持ち上がる。
風にそよぐ草原や、第一層よりも深く暗い水面が、足元いっぱいに広がった。
夜闇に身体を投げ出して、次階層への階段へと一直線に飛翔する。
——以前は、これが怖かった。
あのコンテナハウスから逃げ出して、夜のオオミヤダンジョンをひとりぼっちで進んでいたときは、空を飛ぶ気にはなれなかった。
道中空を飛ぶモンスターもいたはずだからぶつかるかもしれないとか、いくら夜目が利いても怖いものは怖いとか、それらしい理由はいくらでもある。
でも、それ以上に……自分がどこにいるのかわからなくなりそうなのが、恐ろしかった。
今は違う。
わたしは、わたしの居場所をちゃんと知っている。
……それに、今は多少危険に身を晒すくらいの方が、気が楽だった。
「まあ、障壁の魔法があるんで結局危険はないんですけど……っと」
階段に到着したので降下して、第十二層へ。
そこでも全ての道のりをショートカットして、階段を下りていく。みなとみらいダンジョンの徒歩探索とは比べるべくもない。
第十三層に到達して、初めて使い魔のフクロウたちを放つ。周囲に誰もいないフロアボスを探すために。
そうやって次の階層に進んでは、フロアボスに雷を落とし、また進む。
階層が深くなるほどに、地表は湿地のようになっていくけれど、空を飛ぶわたしには問題ない。
——第十五層。暗い中膝まで浸かって移動する探索者パーティを見かける。
埋め立てられた土地に協会の中継キャンプがあって、たくさんのテントがひしめいていた。
——第十七層。水面がフィールドの半分以上を覆っている。
水面すれすれを低空飛行しても、不可視であるわたしの影は映らない。
——第十九層。もうほとんど湖みたいなものだった。
草原の名残のような小島がいくつか浮かんでいるだけで、視界の大半は黒い水面だ。
固定シンボル型のボスに向かっている途中、水中から徘徊型ボスの奇襲を受けた。巨大なウミヘビのようなモンスターだ。
水面に雷を走らせたら、そのままぷかりと浮いてしまった。
しばらくびくびくしていたので、もう一発落としたら動かなくなった。
これで、第十一層からのプレートに、九つ目の石が嵌まる。
……機械型を相手にマラソンしてたときの癖で雷ばっかり使ってたけど、ここなら氷の魔法でも面白かったかもしれないな。
そんな反省を胸に、ひと際大きな島へと降り立つ。
その島の中央に、階段があった。
最近はたくさんのパーティに紛れて進んでいた大ボスフロアへの階段を、今日は一人で下りる。
階段を下りきった足がくるぶしまで水に浸かりそうになって、慌てて足を上げて浮遊した。
——第二十層。そこは一面の湖だった。
暗い水面が、向こう側まで広がっている。
足場になりそうな岩がいくつか点在しているけれど、それ以外に陸地らしい陸地はない。
中心はいっそう深くなっているようだった。
頭上には星も月もなく、ただの岩盤だった。ロケーションとしては地底湖というところか。
辺りを照らしているのは、水底から淡く漏れてくる青白い光だけ。
「…………きれい」
そんなわたしの感慨をぶち壊すかのように、水面が盛り上がった。
『シャシャシャアアアァァァ……!!』
長い首が三本、水の中からせり上がってきて、しぶきをまき散らしながら天を衝く。
わたしを見下ろす黄色い目もまた、三対。
……前情報によれば、レッサーヒュドラ、だったっけ。
胴体は水中に沈んだまま見えないけれど、首だけで……十メートルはある。
三つの頭のうち真ん中の一つが、大きく口を開けてわたしに向かってきた。
——ああ、やっぱりこれは、一種のストレス発散なのかもしれない。
人差し指を回す。
胸の奥底で、魔力機関がきゅいんきゅいんと唸った。
レッサーヒュドラに向かって手を伸ばす。
バチバチという音が絶え間なく耳元で弾ける。やっぱりわたしは雷がいい。
杖はいらない。待ち時間もいらない。スペルの名前を叫ぶ必要もない。
今のわたしは、魔道士でも、魔道戦士でもなく——魔女だ。
手の先から、雷光が迸った。
『————!!』
轟音と共に、湖の水面が白く染まる。
三つの首が同時に痙攣して、悲鳴すら上げられないまま硬直する。水を伝って、電流が逃げ場なく蛇身を走り抜けていく。
「……まだ耐えるんだ」
大ボスフロアの主は、さすがに一撃では沈まないらしい。
真ん中の首が、震える身体を奮い立たせるように持ち上がった。
口の奥で何かが光っている。ブレスか何かだろうか。
天井高くに飛び上がると、案の定、勢いよく何かが吐き出された。
ヒュドラといえば毒だ。これを喰らったら、きっとろくなことにならないのだろう。
それを確かめる前に、二発目を頭上から落とした。
今まででいちばんの閃光。
三つの首が、ゆっくりと水面に沈んでいく。
……水底の青白い光は消えてしまった。
その代わりに、向こう岸——第二十一層への階段まで続く足場が浮かび上がってきた。
ちょうど真ん中のあたりには、レッサーヒュドラのドロップアイテムが散らばっている。
首から提げたプレートを見れば、最後の石が嵌まっていた。
「よし」
わたしは翼をしまって近くの岩に腰を下ろし、片足だけ濡れた靴を乾かす。
静かになった湖は、さっきまで怪物がいたとは思えないほど穏やかだった。
「…………ふぅ」
満足した、と思う。
少なくとも、このダンジョンに入る前にわたしの中でわだかまっていたものは、いくらか軽くなっていた。
立ち上がって、ドロップアイテムを回収する。査定はいつかまた今度。
第二十一層への階段を下り、マップアプリを頼りにオベリスクを探して、ダンジョンの出口へと戻ってきた。
ゲートを潜って外に出ると、湿った空気を打ち消すような夜風が吹いていた。
スマホを確認する。何とか終電には間に合いそうだ。
家に帰って、シャワーを浴びて、寝たい。
明日はゆっくりして……明後日、また逢坂さんに会いに行こう。




