第55話 一歩ぶんの距離
逢坂さんの返事がない。
問いが口をついて出てから、じわじわと後悔が押し寄せてきた。
逢坂さんはわたしに踏み込まないでくれたのに、このタイミングでわたしから踏み込もうだなんて、あまりにもデリカシーがなさすぎやしないか。
「あの……言いたくなかったら言わなくていいんですけど。魔術を使って最強の探索者になりたい~とかでも全然引きませんよ、わたし」
「それは違う。というか、それで引かないのもどうかと思うが」
今度は即答されてしまった。
……そうかなあ。「やるからには最強を目指したい」って、わりとよくあることだと思うんだけども。
「……まあ、お前も知りたくて当然か」
短くなってしまった煙草に視線を落としながら、逢坂さんが呟く。
赤熱した先端をしばらく名残惜し気に眺めてから、それを傍らの灰皿にぐりぐりと押し付けた。
「研究の意義の話をするならば——地脈魔力に依存しない魔術の開発は、昔から魔術師にとっての課題だった。ダンジョンという環境で魔術を使えるようにする過程で、その方法論を確立しようってのが一つ。モデルケースってやつだ」
その言葉に、わたしは首を傾げた。
昔からというのは、ダンジョンが出現する前からということだろうか。
それなのに、地脈魔力が使えないケースを想定していた、ということ?
「不思議そうな顔だな。……魔術の世界も日々進歩しちゃいるが、科学の進歩はそれ以上だ。いずれ宇宙開発だなんだと、人類が地球を離れる日が来るかもしれん。……そうなったら、魔術師が積み上げてきたものは全て失われる」
「……なるほど」
こういう言葉は適切ではないかもしれないけれど……「もったいない」という言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
思い出されるのは、逢坂さんの研究室に詰め込まれていた、たくさんの本。
あれが全部、地球を離れただけで無意味なものになってしまうだなんて、考えたくなかった。
「とはいえダンジョンが生えてきた今の地球を、人類がむざむざ捨てるとも思えないが……それに、実利で研究してる輩も当然いる。最強とは言わずとも、ダンジョンという世界で有利に立ち回りたいって欲を持つ奴らがな」
そこまで言って、逢坂さんは腕を組み、目を閉じた。
酔って大きな声で騒ぎながら歩く人たちの声や、マフラーを改造したと思しきバイクのエンジン音が、遠くから響く。
「——だが、お前が聞きたいのはそういうことじゃないんだろう」
瞼を上げた逢坂さんの視線は、わたしではなく足元に向いていた。
「聞いても、いいんですか?」
そう問えば、逢坂さんの視線が少しだけ上向く。
交わった視線を先に逸らしたのは、逢坂さんの方だった。
「力には目的が必要だと言ったのはお前で、お前の目的になることを受け入れたのは俺だ。……俺の目的をお前が知らないままってんじゃ、筋が通らん」
逢坂さんはベランダの外に向き直り、空を見上げる。
今日は少し曇っていて、月も星もよく見えない。
わたしは逢坂さんに一歩近づいて、その横顔を見つめた。
「……元々、ダンジョンには興味がなかったんだよ。俺は」
「そうなんですか?」
「ああ。……きっかけは、学院でとある教授に誘われたことだった」
それから、逢坂さんはぽつりぽつりと話し始めた。
学院で、ダンジョンの研究をしている教授に声をかけられ、そのまま研究室に所属を決めたこと。
その教授はダンジョンで魔術を云々というより、ダンジョンの仕組みを解明することを目指していて、そのために様々な魔術式に明るい人材を集めていたこと。
逢坂さんは、術式回路にかけては同期の中で特に優秀で、しかもダンジョンに適性があった。それで、声がかかったのだそうだ。
ダンジョンに興味がなかったという逢坂さんも、色々な魔術式の専門家が集まる環境という点には魅力を感じたのだとか。
「大抵は同じ流派——つまり、同じ派閥で集まるもんだからな。そういう垣根がないってのは面白そうだと思った」
「たしかに、そうかもしれませんね」
「ま、結局俺はダンジョン関係なく好き勝手に研究してたんだが」
ダメじゃん。
そんなツッコミを込めた視線を送れば、逢坂さんは肩を竦めて返してきた。
「俺の足踏みを知ってりゃわかるだろ。教授の研究には一向に成果が出なかったんだ」
「…………」
「フィールドワークだなんだとダンジョンに連れ回されたりもしたが、ダンジョン内で魔術師が魔術師としてできることなんざ何もない。互いのスキルやスペル、それからドロップアイテムなんかを観察しながら、ああだこうだ考察しあうくらいだった」
その研究室に入ったことを後悔しなかったのか、と尋ねようとして、やめた。
……本当に後悔していたら、きっとこんなふうには笑っていない。
「で、結局影響されてこっちの道に進んだってわけですね」
「そういうわけでもない」
「えっ」
じゃあ、どういうわけなのだろう。
逢坂さんは口元に手を当てて、しばらく視線を宙に漂わせていた。
言葉を選んでいるのか、それとも、どう言葉にすれば自分でもよくわからないのか。
「……教授がな。ダンジョンのせいで死んだんだ」
死んだ。
ダンジョンの奥深くまで探索している人間ならば、常に頭の隅に存在するであろう可能性。
それが、冷たい刃のように胸に突き刺さった。
「学院が夏季休暇に入って授業もなくなったのをいいことに、教授は長期のダンジョン探索に出かけた。俺はこれ幸いと自分の研究に没頭して——そろそろ教授が帰ってくるかと思った頃に、訃報が届いた」
逢坂さんの声に色はなかった。
悲しみを受け入れたというより……なんとなく、意図的に感情を抑えているように感じた。
「教授が死んで、研究室の解散が決まった中で、残された連中の一人がこう言った。——師の研究を、それぞれのやり方で引き継がないか、と」
「逢坂さんは、それに……」
「乗った。……正直、言われるまで頭にもなかった選択肢だったが。教授には世話になったが、俺はダンジョンのことを、どうしても……魔術師が追うべき神秘だとは思えなかった」
通して、意外な話ではあった。
ダンジョン内魔術に対する逢坂さんの熱はよく知っている。
だから、最初から自分の意思でこの道を選んだとばかり思っていた。
「とはいえ、俺は既に自分の論文があったからな。そっちを片付けてから学院を出て、ここに戻ってきて……仕事の傍らダンジョンに潜り、術式の試行錯誤を始めた。ダンジョンを解明するにしても何にしても、まずは魔術師として活動できなきゃ話にならんだろう」
「……じゃあ、今の研究は……その先生のために?」
「————ああ、そうだ。何だかんだダンジョンの未知を明かそうとするうちにハマっちまったところもあるが。俺の……俺たちなりの追悼ってとこだ」
嘘は言っていない。
わたしは嘘を判別できる程度に読心の魔法が使えるけれど、まさかそれを逢坂さんに使うほど不義理ではない。
だから、これは単なるわたしの勘だ。
そして……今言ったのが全部でないことも、なんとなくわかった。これも勘だ。
「こんなもんだ。もういいか?」
「……はい。ありがとうございます、話してくれて」
でも、それを追及することはしない。
これ以上は、さすがにライン越えだろう。
……ここまで近づかせてもらえたのに、わたしから同じくらい明かせないのがもどかしい。
前のパーティで何があったかを説明することは、遥香ちゃんたちと神林さんの関係を明かすに等しい。
清野さんは、神林さんとの関係の公表は学業に支障をきたすと言っていた。それは全くもって正しいと思う。
いくら逢坂さんが秘密を守ってくれる人だとしても、他人の秘密を明かすかどうかは別の話だ。
……ううん、取り繕うのはよそう。
わたしは逃げ出したのだ。
遥香ちゃんを、那月ちゃんを、茜ちゃんを見捨てて。たった一人で。
それを逢坂さんに知られることが、たまらなく恐ろしい。
「さて……そろそろ結果が出る頃だ。お前はもう帰って休め」
「はーい。あ、冷蔵庫に作り置き入れといたので、ちゃんと食べてくださいね」
「はいはい」
——幼い頃、わたしに絵本を読み聞かせてくれたお父さんやお母さんは、悪い魔女を指して「こうなってはいけないよ」と言っていた。
家にあった絵本では、白雪姫を殺そうとしたお妃さまは、雷に打たれて死んだという。
ならば、雷を扱うわたしには、どんな罰が待っているんだろうな————




