第54話 灰の柱
自分のスキルとはいえ、攻撃の一瞬だけ発動するようなスキルを読み取って術式に描き起こすのは、今回の遠征で一番の難産だったかもしれない。
能力向上の支援スペル四種、土と水の属性付与のスペル、そしてわたしがひらめいた攻撃スキル。
合計七種類のスキル・スペルの術式が、この三日間の戦利品である。
あと、ついでに全能力向上の合体術式も。
それらが収められたノートを携えて、ついでに協会支部でちょっとした用事も済ませ。
わたしたちは、ようやく研究室——正確には、逢坂さんのお家に帰還した。
「ただいまぁ~……!」
「お前の家じゃないんだが?」
「いいじゃないですか、細かいことは」
今や自分の家には寝に帰っているようなものなのだし。
「預かってるテントとか、どうすればいいですか?」
「あー……物置部屋に適当に突っ込んどけ。あとで片付けておく」
「はーい」
逢坂さんのお家の物置部屋には、よくわからないものが色々と詰め込まれている。
一応キャンプ用品は一か所にまとめられていたようで、そこだけぽっかりと空間が空いていた。
テントに椅子やテーブル、逢坂さんの寝袋、焚火台をはじめとした調理器具、その他アウトドア用品。
逢坂さんが用意してくれたそれらを、とりあえず取り出しては端に寄せる。
あと、着替えとかの私物がまとめられた袋も。
……預かったときにも思ったけれど、ラインナップがやたらと本格的な気がする。
設営も手馴れていたし、前からダンジョンに泊まり込むことが多かったりしたのだろうか。
まあ……調理器具だけやけに綺麗だったけども。
「……んー」
カバンの中には、使いきれなかった食料品がまだ残っている。
レトルト系はともかく、野菜やお肉は早めに使ってしまいたい。いくら氷の魔法で保存していたとはいえ。
今日の夕飯は、この残り物を使いきる勢いで豪勢にいこうかな。
ちょっとしたお祝い、ということで。
---
そんなこんなで夕食後。
ろくにキッチンを使っていなさそうなのに何故か置いてある食洗機に諸々の食器を突っ込み、入れられないものは洗い終え、一息つく。
逢坂さんはノートに記録した術式を解析するため、下の研究室に篭もっている。
どういう作業をしているのか、今度見せてもらいたいものだ。
……少し夜風にあたろうかな。
ベランダに出て、サンダルを足に引っ掛ける。
手すりに体重を預けて目を閉じた。
みなとみらいダンジョンは終始屋内のダンジョンだったから、風が吹くことなんてなかった。
少し生ぬるい風が、今は心地いい。
空気はみなとみらい浅層の方が綺麗だった気がするのは……まあ、ご愛敬ということで。
人の声がして目を開けると、ビル前の道を連れ立って歩く若い人たちのグループがあった。
このあたりは飲食店や居酒屋が多いし、これから飲み会にでも行くのかもしれない。
行先を見届ける前に、もう一度目を閉じた。
そうして身体の力を抜いたまま、だんだんうとうとしかけていたところで——背後に人の気配を感じた。
「ここにいたか」
顔を上げて後ろを振り返るより先に、逢坂さんが隣に立っていた。
「お疲れ様です。もう作業はいいんですか?」
「ああ。しばらくは待つだけだ」
そう言いながら、逢坂さんは煙草とライターを取り出す。
もう、中に戻っていろとは言われない。
煙草を一本口に咥え、ライターの蓋を開けて——カチ、カチという音と共に、火花が数回散った。
「……ぁん?」
何度親指を弾いても、火花が散るばかりで火がつかない。
逢坂さんは一度煙草を口から離して、苛立ち混じりに舌打ちした。
「チッ、まだオイルは入ってるだろうが……」
よくわからないけれど、ライターの調子が悪いらしい。
使い物にならないライターと、指に挟まれた煙草を見比べている。
やがてライターだけを仕舞い込んだ逢坂さんの白衣の裾を、片手でくいと引いた。
「? 何——」
「はい、どうぞ」
人差し指を立てて、高く掲げる。それでもまだ逢坂さんの口元までは届いていないけれど。
その指先には、小さな魔法の火が灯っている。
それを見た逢坂さんは目を見開いて、ひとつ瞬きをした。
「……おま……こんなところで魔法を……!」
「誰も見てませんよ」
このベランダは、逢坂さんの魔術で無人に見えるようになっている。
そういうのを見破る人もいるかもしれないと、今はわたしの不可視の魔法も重ねている状態だ。
問題はない、と思う。
「腕が疲れちゃうので、早く」
「…………ったく」
逢坂さんは再び煙草を咥えると、わたしの指のそばに手を添えて身を屈めた。
揺らめく炎の先に、煙草の先端が重なる。
そこが赤く灯ったのを確認し、逢坂さんが身を起こしてから、火を消して腕を下ろした。
一口目を吸い込んだ逢坂さんは、いつもよりほんの少し長く、煙を肺に留めている。
やがてゆっくりと紫煙を吐くその横顔からは、先ほどまでの強張りが抜けているような気がした。
「……ありがとうよ。世界一贅沢な一服だ」
「一日一本までなら、またやってあげますね」
「そりゃ厳しい」
くつくつと喉を鳴らして、それから視線を外に戻して二口目を吸うのを、黙って眺める。
わたしの灯した赤い火が、先端を白く変えながら、じわじわと根元へ進んでいく。
何回目かの紫煙を吐き出した逢坂さんが、やがてぽつりと口を開いた。
「今回の収穫は、思ったより大きかったな」
「ですね。……まずはブースト系の方からですか?」
「ああ、そうなる。問題は属性付与だな……翻訳に手がかかりそうだ」
そうは言いつつも、逢坂さんの口角は吊り上がっている。
魔術師として、そして研究者として、やっぱりそういう作業は楽しいのだろう。
……少なくとも、何も掴めないまま進み続けるよりは。
「——ひとつ聞いていいか」
気づけば、逢坂さんの視線はわたしに向かっていた。
「お前、あの時——岩本たちの前で、支援魔道士のパーティにいたことがあるとか言ってたな。あれは方便か?」
それは、昨日の救護室でのこと。
岩本さんに斧を振り回せた理由を聞かれて、口にした言い訳。
「本当ですよ。進学前に居たパーティのリーダーが、支援魔道士の子でした」
「……ふむ」
一拍置いて、逢坂さんが軽く灰を落とす。
「そいつとどこかで一度組むなりして、協力してもらうことはできないか。土と水以外の属性付与の術式も欲しい」
それは、研究者としては当然の発想だと思う。
遥香ちゃんは、火属性付与——ファイア・エンチャントを使えたはずだ。
それだけじゃなく、今はもっとたくさんのスペルを覚えているかもしれない。
————でも。
「……たぶん、無理だと思います」
声が震えないように気を遣ったのに、驚くほど暗く沈んだ声色になってしまった。
手すりを掴む指先に、つい力が入る。
あんなふうに……逃げるように関係を断ち切って、今更どんな顔で遥香ちゃんたちに会えばいいというのか。
「…………」
視線を感じたけれど、顔は上げられなかった。
「……そうか」
それだけ言って、逢坂さんはまた煙草に口をつけた。
食い下がることも、深入りしてくることもない。
……ありがとうございます、と言いかけて、それを飲み込んだ。
ゆっくりと息を吐く。
生ぬるい風がまた吹いて、煙草の匂いを攫っていった。
——そういえば、わたしもこの人の過去を何も知らない。
ダンジョンで魔術を使いたいということ。
そのために何年も、たった一人で研究を続けてきたということ。
わたしが知っているのは、それだけだ。
今日ダンジョンにいた間も、そのことに思いを馳せていた。
「逢坂さん」
「何だ」
「——逢坂さんは、何のためにダンジョンで魔術を使いたいんですか?」
逢坂さんの手が、止まった。
煙草の先で、灰の柱が静かに長くなっていき——とうとう、ぽとりと床に落ちた。




