第52話 手のひらと胸のうち
「まずは……ストレングス・ブーストが一番わかりやすいか」
逢坂さんはノートを持っているのと反対の手を胸元に当て、目を閉じる。
支援スペルを受けたら、対象の身体が淡く光るものだけれど……そういった変化は見られない。
「——よし」
でも、逢坂さんは何か手ごたえを感じたようだった。
それから数秒、周囲を見回して——
「効果あり、だ。前より軽い」
「……なんでわたしを持ち上げたんですか?」
「わかりやすいだろ?」
意地悪く笑う逢坂さんに目を細めつつ、身体に触れて構築された術式を読み取る。
わたしが与田さんから受けたストレングス・ブーストと寸分変わらないことを確認した、次の瞬間。
術式はふっと解けるように消えてしまった。
「あれ?」
「ああ、もう切れたか」
わたしを持ち上げている腕が一瞬だけ揺らいだ。
……そういえば、戦闘中じゃないと支援スペルの効果はすぐに切れてしまうんだっけ。
「この辺もスペルと同じなんでしょうか?」
「どうだろうな。一応構築に使った体内魔力はほんの少しだし、術式自体が不安定な以上すぐ崩壊するのは自然だが——」
まずわたしを下ろしてからにすればいいものを、逢坂さんは片手に持ったノートを再び開こうとして……ぱさりと取り落としてしまった。
「ああもう……逢坂さん?」
魔法でノートを持ち上げて逢坂さんの目の前に持っていくも、反応がない。
その代わり、わたしを抱きかかえる腕に、少しだけ力がこもった気がした。
「——すまん。……こうも簡単に成功するなんざ、少し前までは考えられなかったもんでな」
ノートが落ちていた床に視線を落としたまま、そう零した逢坂さんの表情は、わたしからはよく見えない。
……ただ、ここ最近は聞くことのなかった、自嘲するかのような声色ではあった。
「……支援スペルの効果時間の変動が術式に由来するものなら、属性付与の術式にも共通する構造があるはずだ。だがそれらしきものは見当たらない……となるとダンジョン側か、あるいは探索者の側で制御していることになるか? スペルの宣言を通して『特定の術式を対象に転写する』というプロセスの他に効果時間の判定を行っている可能性も——」
宙に浮かんだままのノートを捲りながら思考を巡らせている逢坂さんの様子は、一見していつも通りのように見えた。
たぶん、平静であるよう努めて振舞っているのだと思う。ストレングス・ブーストの術式が成功してからずっと。
スペルの模倣とはいえ、何年もかけてきた目標がようやく叶ったのだ。もちろん平静でいられるはずがない。
だからって、こんな時までそんな声にならなくたっていいのに。
せっかく何年もかけていた研究が大きく前進したのだから、むしろ喜んで——
(————あっ)
息を吞んだ。
……何年かかっても得られなかった大きな成果を、わたしという魔法使いがすんなり読み取ってきた術式で得てしまった。
こういうとき、どんな気持ちになるのか……わたしにも少しは覚えがある。
思い出されるのは、あのパーティから逃げ出した日。
みんなで第六層に行って食材を集めようと頑張っていたところに、神林さんからたんまりと渡された高級食材の数々。
今までやってきたことは何だったのか——そんなやるせない気持ち。
「次は何か適当なモンスターで実験を……いや、その前に全能力向上の術式が非戦闘時にどういう挙動を見せるかの方が……」
逢坂さんは未だわたしを抱き上げていて、顔もノートに向けたまま。
今どういう顔をしているのか、わたしに見せてはくれなかった。
……あの時、わたしはどうしてほしかったんだろう。
神林さんに何を言ってもらえれば、燻ぶった気持ちを昇華できたのだろう。
いくら考えても、答えは出なくて……衝動のままに、眼下で揺れる銀髪をそっと撫でた。
「…………何だ」
「なんと、なく?」
ようやくわたしに向けられた目は、ほんのわずかに揺れていた。
ボサボサに跳ねた髪は硬くてパサついていて、手のひらが少しちくちくする。
「……そうかい」
逢坂さんはひとつ鼻を鳴らしてから、眉尻を下げて笑った。
---
それから、わたしがノートに記録した術式構造は全て試してみた。
アジリティ・ブーストはともかく、バイタリティ・ブーストは効果のほどがわかりにくいし、インテリジェンス・ブーストの効果なんて検証不能だ。それでも、ストレングス・ブースト同様、すぐに術式は消えてしまった。
属性付与スペルであるアース・エンチャントとアクア・エンチャントの術式についても、同じくらいの魔力で術式を組み上げた結果、同じくらいの時間で消えることがわかった。
能力向上スペルの術式と違い、属性付与スペルの術式構造はそれ単体で安定しているように見える、らしい。
それでもすぐに消えてしまうということは、術式の安定性とは関係ない問題があるのか、それとも術式自体に「非戦闘中はすぐに消える」という記述が含まれているのか。
あるいは、ダンジョンや探索者側が術式を検知して仕様通りの挙動になるよう管理しているのか……とかなんとか、逢坂さんがぶつぶつ言っていた。
順番を考えれば、次は戦闘中の術式構築を試してみるべきだろう。
でも、まだそれができない理由があった。
「……まだ消えませんね」
「効果も健在か」
わたしが記録したのではなく、逢坂さんがノートに書き込んだ、全能力向上の統合術式。
それを試してみたところ……非戦闘時にも関わらず、しばらく消えないままなのだ。
「敵に出くわしてからの支援スペルは、基本的に戦闘終了と同時に効果が切れるが……確か、一時間経ってもそこで効果が切れるんだったか?」
「もしかすると、その術式の効果も……」
「そんくらい続く可能性はあるわな」
なお、単一の能力向上スペルに比べて、個々の効果は控えめなようだ。
この効果量は術式に費やす魔力量に比例するのではないかというのが、逢坂さんの見立てである。
さて……既におもしの任からは解放されている。
逢坂さんも術式の効果が出ているかどうかは自分でわかるようだし、今のところ事故の心配もなさそうだ。
「わたし、ご飯の準備しておきますね」
「あ? 飯ってお前——」
逢坂さんが腕時計を見る。次いで、露骨に顔をしかめた。
「……もうこんな時間だったのか」
「食糧はまだありますし、他の予定も入れてないので。今日また一泊しても大丈夫ですから」
元々は時戻しの魔法のために用意していた、有り余る魔法のエネルギーを野営の準備に回す。
カバンの中から次々に浮かび上がってくるのは、焚火台や調理器具に食材、ついでにテントやら何やら。
それらがいい感じの場所に配置されていくさまを目で追っていた逢坂さんは、やがて眉間を押さえて溜息をついた。
「……テントの設営は俺がやる。今なら楽そうだ」
「あ、なら組み立て方教えてください。魔法でもできるようになりたいので」
「これ以上俺の仕事を奪うんじゃない」
逢坂さんはそう言うけれど。
心無しか丁寧にテントを組み立てる様子を、わたしが横からじっと見ていても、それを止めはしなかった。
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設営を見ていたぶん、魔法も交えて手早く簡単に食事の用意を済ませた。
今夜のメニューは温野菜と蒸し鶏、それから簡単なスープである。
ようやく全能力向上の術式の効果が切れたのは、テーブルにお皿を並べ終えたあとだった。
「……一時間。やはり支援スペルと同じか」
「他の術式はすぐに切れちゃったのに、不思議ですね」
食事を口に運びながらも、逢坂さんの思考は術式に持っていかれているようだ。
無論、わたしも気になるところではある。
「次は統合術式の結合部位を一か所空けて試してみるか。それで効果が切れるのが早ければ、原因は術式の安定性だ」
「でも、属性付与の術式は安定してるのにすぐ消えちゃうんですよね?」
「そこなんだよなぁ……下手したらスペルを通さない属性付与は使い物にならないかもしれん。戦闘中でもだ」
逢坂さんの話を聞きながら、食事の減り具合を観察する。
……スープのお代わりはまだあるけれど、お肉も追加で蒸そうかな。それとも焼いた方がいいだろうか。
「その次は戦闘中に術式を組んでみて、効果時間を検証したいところだが……」
「それはさすがに明日にしましょう。ね?」
「……まあ、そうだな。時間はあるんだ」
そうしてまた上の空でスープを飲み始める逢坂さんに苦笑しつつ、一足先に食べ終えたわたしは匙を置いて、追加の鶏肉の仕込みを始めるのだった。
★★★
【Tips: 術式の安定性】
術式回路をはじめとした、魔力がかたどる形状に意味をもつ魔術式においては、「安定性」という概念が存在する。
安定した形状の術式は、最初に供給された魔力が尽きぬ限り、独立して自らの構造を維持し続ける。しかし、不安定な術式は放置すれば崩壊する。不安定な術式を対象に定着させ続けるには、術者が継続的に魔力を供給し続ける必要がある。
術式回路は魔力効率を第一に考えた術式記述体系ではあるものの、安定性もまた使い勝手に大きく影響する重要な評価項目である。一度行使すれば術者がそこにいなくとも動作し続ける魔術式の需要が高いのは、言うまでもない話であろう。




