第47話 勝ち取ったもの
わたしは魔女であり、同時にダンジョン探索者でもある。
ダンジョン探索者はダンジョンの中でのみ能力成長し、超人的な力を得る。
このルールは、もちろんわたしにも適用されている。
今までは、ずっと歩き通しでも疲れない、くらいしか恩恵がなかったけれど……
「……柊さん? 何を——」
岩本さんの斧が落ちている場所は、幸いわたしたちのいるところから近い。
背後では、逢坂さんの短剣とアルファの鉤爪がぶつかり合う音が絶え間なく響いている。
その音が途切れないうちに、斧のそばまで辿り着いた。
握るのも一苦労なくらい太い柄を持つそれを、拾い上げようとして——
「……お、おっも……」
普通に無理だった。
何だこれは。本当に人間が振り回せるものなのか。
「柊さん、それはさすがに……」
「そうよ! 早瀬にだって持てないのに……!」
「……でも、これしかないんです」
振るえるか振るえないかでいえば、見えざる手で補助すれば楽々振るえるだろう。
でも、それはスペルを扱う魔道士が持っていていい膂力ではない。
逢坂さんの方を見る。
小回りの利くモンスターを相手取る場合、盾役は敵の背中を味方に向けるよう立ち回るべきだという。
それに倣ってくれているおかげで、アルファも今のところ、こちらにまで気が向いていないようだけれど……
「くっ……」
「っ逢坂さん!」
「気にするな!」
小さな呻き声とともに、キィンという音が聞こえた。
刃が装甲に当たる音に似ているけれど、違う。……障壁の魔法が発動した音だ。
つまり、逢坂さんもアルファの攻撃を避けきれなくなってきている。
立て続けにもう一度、今度はもっと重い音。
逢坂さんが体勢を崩しかけていた。すぐに立て直したけれど、足元が一瞬ふらついたのを見てしまった。
バイタリティ・ブーストの効果も万能ではないのだろう。
体力切れというより、集中力切れのように見えた。
障壁の魔法がある限り逢坂さんが傷つくことはないけれど、衝撃自体は防げない。
逢坂さんを振り払ったアルファが次に狙うのは……攻撃手段を持たないわたしたちだ。
まず、与田さんたちがいる一帯に障壁の魔法を張る。
必要な保険ではあるけれど、これだって発動しないに越したことはない。
それから何とか斧の柄を天井に向けるところまで持ち上げて——アルファが逢坂さんを弾き、こちらへ振り返りかけたのが視界の端に映った。
時間がない。
「与田さん! わたしにストレングス・ブーストを!」
そう……大ボスフロアでの戦いからずっと、この機会を待っていた。
今、逃す手はない。
「……無茶だ!」
与田さんが叫ぶ。
その声には困惑が滲んでいた。……無理もないだろう。
「柊さんは魔道士だろ!? ストレングス・ブーストをかけたところで、その斧を振るえるわけが——」
「わかってます。でも、今の状況を打開するにはこれしかありません。……それに、わたしなら大丈夫です」
筋の通らないことを言っている自覚はある。
魔道士が身体強化を求めて重武器を振るおうとするなんて、どう考えてもおかしい。
こんなの、いつぞやの神林さんのことをとやかく言えたものではない。
与田さんの瞳が揺れている。
……やっぱり、難しいのかな。
「——逢坂さん!」
「わかってる!」
振り返りかけたアルファの意識は、逢坂さんが短剣で引き戻していた。
ひたすらに目元を狙いながら、アルファを再び自分に向かせる。
あの人が稼いでくれている時間は、そう長くない。
「与田さん。……信じてください」
「……っ」
与田さんの瞳は未だ揺れている。
深い呼吸と共に、肩が上下していた。
「……与田」
黙ってやりとりを聞いていた火野さんが、ぽつりと呟いた。
「やって。アタシたちを……毅を、助けて」
「…………わかった」
与田さんが立ち上がった。
杖を構える手は、まだ震えていた。
「……いけるんだね」
「はい」
ほとんど反射で返事をした。
根拠はない。斧なんて扱ったことがないし、それで本当にあの装甲を壊せるかもわからない。
でも——逢坂さんが今も前で戦っている。この人が信じようとしてくれている。
ならばわたしは、応えなければいけない。
それでも無理なら今度こそ、その時はその時だ。
なんてったって、わたしは魔女なのだから。
「——ストレングス・ブースト!」
与田さんの声が響いた。
光がわたしの全身を包む。
そして——わたしの中で、何かが動いた。
(……すごい)
身体の奥から力が湧いてくる。まるで自分が自分じゃないみたい。
指先まで、爪先まで、全身に行き渡っていく。
遥香ちゃんのインテリジェンス・ブーストじゃこうはいかなかった。
自分で実感できる能力だと、こんなに違うのか。
斧の柄を握り直す。
さっきまで持ち上がりもしなかったそれが、なんとか両手で構えられる重さになっている。
それと同時に……別の手応えが、胸の内側にあった。
逢坂さんの構築した術式を読み取る練習を経た、今だからこそわかる。
術式回路にどこか似ていて、けれど全く違う構造の、魔力のかたち。
これが、ストレングス・ブーストのスペル——すなわち、ダンジョンにおける筋力強化の術式……?
……今は考えてる場合じゃない。覚えておけばそれでいい。
ダメ押しに隠形と不可視の魔法を、わたし自身に重ねる。
何かあればわたしが囮になれるように使っていなかったけれど、もうその段階は過ぎた。
除外対象は、この場にいる全ての人間。
「……よし」
これで今、アルファの視界にわたしはいない。
逢坂さんの短剣だけが、アルファの意識を引きつけ続けている。
柄がずいぶん短くなる位置を握って、半ば引きずるようにして走る。
まだ少し重いし、何より太くて握りにくいぶん、見えざる手の魔法で補助をする。
そうして、まっすぐアルファの背中へ。
「————」
逢坂さんの金色の瞳が、一瞬だけわたしを捉えた。
言葉は何もなかったけれど、アルファの注意を引きつけるための攻撃がさらに鋭くなった。
この一振りで、逢坂さんの期待に——そして、預けられた信頼に応えてみせる。
腰を落として、全身の力を回転に込めて……横薙ぎに叩きつける!
「っだ——」
——斧がぶち当たる直前、頭の中で何かがかちりと嵌まった。
初めてダンジョンに入った探索者が、己のギフトの名前を知るように。
スキルやスペルをひらめいたときもまた、その名前と効果がわかるのだという。
……でもごめんね、今はその時じゃないので。
「——らぁっ!!」
衝撃と共に、装甲が砕けた。
黒鉄色の金属が弾け飛び、内側から腐った肉が露出する。
飛び散った破片が頬を掠めようとして、キィンと小さな音を立てた。
『グルルァ——ッ!』
アルファが初めて苦痛の声を上げ、大きくよろめく。逢坂さんは既に飛び退いて離脱していた。
斧を手放し、腰に差していた杖を掲げて叫ぶ。
「ウィンドカッター!」
宣言と共に、不可視の斬撃を叩き込む。
露出した腰回りに斬撃が深く食い込み、アルファが前のめりに傾いた。
それでも何とか足を踏みしめようとして……横から突っ込んできた影に、それは阻まれた。
「——こンの、クソ犬ッ!!」
岩本さんが、戦線に復帰した。
ガーディアン・マザーSPDの巨体を崩した、あのタックルほどの勢いはない。顔色だってまだ悪い。
でも、声だけは今まで通りの威勢の良さを保っていた。
「……うーわ、岩本のやつ素手で装甲引っぺがしてる……野蛮すぎ……」
続いて、早瀬さんが起き上がった。
重戦士と斥候という違いや、バイタリティ・ブーストの有無が影響したのだろう。足元はまだふらついていて、万全には程遠い。
「早瀬、行けるな!」
「……無茶言うなぁ!」
それでも、彼は応えた。
山刀を拾い上げた早瀬さんが、岩本さんが剥がした箇所に刃を突き立てる。
「——インテリジェンス・ブースト!」
「ナイス与田! 早瀬どいて! ……ファイアボール!」
「ほんとに無茶!!」
露出した腐肉に、球状の炎が放たれた。火野さんのスペルだ。
わたしや早瀬さんがつけた傷口を、炎が抉る。
「まだ倒れねぇのかよ、しぶといな……」
……金属装甲が砕けてヒビまで入っている今、それを通して身体に熱が伝わっているのかもしれない。
アルファは苦しげな声を上げて、もがいていた。
むやみに苦しませるよりはひと思いに——そう思ったのは、わたしだけではなかったのだろう。
「……——」
小さな呟きと共に、逢坂さんの短剣が、アルファの眼窩を深く貫いていた。
『——グゥ、ン……』
鉤爪が力なく床を打つ。
散らばった装甲の残骸と共に、アルファの身体がゆっくりと塵に変わっていく。
「………………」
誰も声を出さなかった。
しばらくの間、荒い呼吸だけが部屋に響いていた。
「……はあぁ……」
わたしも、深く息を吐いて座り込んだ。
腕がじんじんする。斧を叩きつけた衝撃が、まだ身体全体に残っていた。
支援スペルの効果はもう消えている。
ついさっきまでは振るえていた斧も、もう持ち上げられそうにない。
でも、この一戦でストレングス・ブーストの術式構造は得られた。
そして、もうひとつの収穫……斧をぶち当てる直前にひらめいた、スキル。
これで……逢坂さんの役に立てる。
「よくやったな、柊」
いつの間にか戻ってきていた逢坂さんの手が、わたしの背中をぽんと叩いた。
「……ちょっと疲れました」
「だろうな、俺もだ。……だが、後始末は動ける俺たちの役目らしいぞ」
その言葉に、与田さんたちの方を横目で見る。
「——よっっっしゃああぁぁ……あ……」
「ちょっと毅!?」
「あ、俺も無理……」
「わーっ、早瀬!?」
歓声を上げながら倒れていく岩本さんと早瀬さん、そして二人に慌てて駆け寄る火野さんと与田さん。
……これは確かにわたしたちがドロップアイテムの回収をするしかなさそうだと、二人して笑うしかなかった。




