第40話 はじめてのよる
調理器具を魔法で綺麗に片づけて一息ついているうちに、いつもならお風呂に入っている頃になっていた。
「逢坂さんって、やっぱり一日の終わりにはお湯浴びたいタイプですか?」
「何だ急に……まあ、そうだが」
「了解です」
「…………おい、何する気だ?」
カバンから取り出した布を魔法で持ち上げて仕切りを作っていると、逢坂さんがものすごく訝しそうな顔でこちらを見ていた。
「何って、お風呂の用意をしようかと」
「さっきの魔法でいいんじゃなかったのか」
「そうなんですけど、やっぱりお湯に浸からないとすっきりしないじゃないですか?」
「……具体的に、何をする気なんだ?」
何故か逢坂さんの顔が引きつっている気がする。
まあ、こんな何もない場所でお風呂と言われても、イメージが湧かないのかもしれない。
「お湯のかたまりを浮かべて、そこに全身浸かる、みたいな? あ、この布だけじゃなくてちゃんと不可視の魔法で囲っておきますから」
「…………」
「湯舟とは違うので、ちょっと慣れないかもしれませんけど。逢坂さんには水中でも息ができる魔法をちゃんとかけておくので、安心してくださいね」
「………………」
……返事がない。
この程度魔法なら簡単なことくらい、逢坂さんはわかっているはずだと思うのだけれど。
もしや、不便まで含めてキャンプを楽しみたいタイプだったのだろうか。
さっきは自分で雰囲気のために火を焚いておきながら、お風呂に関しては優先順位が逆転してしまった。
一応さっきので希望を聞いたつもりだったけれど、いらないお節介を焼いてしまったのかも……
「……そうだ、そうだった。魔法使いってのはこういう奴ばっかりなんだよな」
「逢坂さん……?」
「せっかくだ、世話になる。お前が先に入れ」
……よくわからないけど、用意は無駄にはならなさそうだ。
いや、逢坂さんがいらなくてもわたしはお風呂に入りたいんだけど、やっぱり自分だけ快適に過ごすのは申し訳ないので。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……あ、先にこっちやっときますね」
逢坂さんに向けて人差し指をひと回しする。
わたしはローブを脱いでいるけれど、逢坂さんはコートもプロテクターも着込んだままだ。それらもまとめて全身浄化する。
「うおっ……」
「なるべくすぐ出るので~」
着替えとスキンケア諸々、テーブル代わりに浮かせる板を抱えて、逢坂さんに向けて手を振る。
それからマットとタオルも——いや、もしかすると逢坂さん、タオルなんて持ってきてないかもしれない。
わたしは魔法で何とでもなるから、タオルは後で逢坂さんに渡しておこう。
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「……上がったぞ」
「あ、おかえりなさ——ひょっとしてのぼせてます?」
宣言通りちゃちゃっと浸かって戻ったわたしに対して、逢坂さんは若干長風呂だった。
顔はもちろん、ラフな恰好から覗く四肢まで、青白かった肌がほんのり赤く染まっている。
「ああ……すまん、負担だったか」
「いえ、そんなことはありませんけど」
生み出したお湯や浮かせた物体を固定しておくくらいは、何も意識せずにできる。
水中呼吸だって基本的な魔法だ。
そもそも、外でならともかく、ダンジョン内で魔法を使うのに負担はほとんどない。
魔法を使うときの主な負担は星幽界からの魔力の汲み出しであって、ダンジョン魔力を使うわたしはそれを踏み倒せるからだ。
それでも魔力機関の性能は向上していくのだから、使い得である。
「こんな経験は滅多にないと思うとつい、な」
「やりたいならいつでも用意しますから」
下ろされた髪には、まだ少し水滴がついている。
向かいの椅子に座り込んだ逢坂さんに向けて、指をひと回しして髪を乾かした。
ついでに魔法で生み出したお湯を消して、浮かせていた布や板なんかも回収する。
「……至れり尽くせりだな」
「はい?」
「ダメになりそうだ。魔法のある生活ってやつは」
「ふふ……そうならないように、わたしも普段は文明の利器を使ってます。今日は特別ですよ」
逢坂さんは肩を竦めて、テーブルの上のミネラルウォーターを自分のコップに注ぎ、一気に飲み干した。
上下する喉から、何となく目をそらす。
「……明日はどうしましょうか。二十層のボスを倒して、それから」
「そうだな。すぐに帰還するにはまだ早い時間になるだろうが……」
「あの、だったら二十一層、ちょっと覗いてみませんか」
アンデッドモンスターがひしめく階層がどんなものなのか、ちょっと気になる。主に怖いもの見たさで。
それに、わたしが探索者としてのスキルやスペルをひらめく可能性があるとすれば、それは普段の魔法が通じないゴースト系を相手にしたときだろう。
「ついでにあのスペクターにもリベンジしてやりましょうよ。今度の属性武器は前よりいいやつなんですよね?」
「あいつは徘徊型だぞ。見つけようとして見つかるもんじゃない」
「でも先週だって見つけたじゃないですか、徘徊型」
「運が良かったからな。……ま、どうせ時間はあるんだ。進んでみるか」
「やった」
ガッツポーズするわたしに、逢坂さんが苦笑する。
アンデッド階層にノリノリとか、変な子だと思われたかもしれない。今更か。
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それからしばらく、二人それぞれでスマホを眺める時間が続いた。
みなとみらいダンジョンの中継キャンプは、案の定大混雑しているようだ。
キャンプに適した部屋の案内がマップに出ている。
わたしたちがいるこの小部屋も一応対象ではあるものの、物理的に入れないよう障壁を張っているのに加えて、存在を意識できないようになっている。
他の人がこの部屋に辿り着くことはないだろう。
逢坂さんは何を見ているのだろうとチラ見してみるも、その前にスマホがしまわれてしまった。
「そろそろ寝るか」
「はーい」
テント内には既にインナーマットが敷かれていて、荷物も運びこんである。
カバンから二人分の寝袋を取り出していると、逢坂さんが自分の分を抱えてテントの外に出て行ってしまった。
「え? それどうするんですか?」
「……あのなあ……俺とお前が同じテントで寝られるわけないだろうが。俺は外で寝る」
「えっ……!」
……ショックで寝袋を取り落としてしまった。
そうこうしているうちに、逢坂さんはテントの外に寝袋を広げてしまう。
「し、仕切り! 仕切り作れますよわたし!」
「それでもだ。ったく……」
「せめてわたしが外に!」
「いいから、さっさと寝ろ」
取り付く島もないとはこのことか。
いや、さすがに一般的には逢坂さんが正しいことくらいはわかっているのだけれど。
テント内トークは今回もならずである。悲しい。
「……そうですよね……逢坂さんにはプライバシーってものがありますもんね……」
「何でお前にはないみたいな言い方なんだ……」
「わたしはほら、魔法で透明になればいいので」
「…………そうかよ」
その返答と共に、フライシートのドアが無慈悲にも外から下ろされてしまった。
「あぁ……」
「もういいだろ。……おやすみ、柊」
「……おやすみなさい、逢坂さん」
ドアの向こうからは、寝袋を整える音が聞こえる。
わたしも観念してメッシュのインナードアを閉め、テント内に寝袋を広げた。
逢坂さんでも足を伸ばして寝転がれるであろう、広いテント。
当然わたしにとってはさらに広くて、一人では少し心細かった。
もちろん、普段一人で過ごすわたしの部屋よりはずっと狭い。
でも、なんというか……あるべきものがないというか。
「…………はぁ」
暗い中手探りでランプをつけて、スマホを魔石式充電器に繋ぐ。
少しだけと思いつつSNSのタイムラインを眺めていたところで、ふと気づいた。
テントの中はちょうどいい具合に薄暗くなっているけれど、このダンジョンは二十四時間、照明が点いているはずだ。
そこまで明るくはないと思うけれど……逢坂さん、ちゃんと寝られるんだろうか。
いつの間にか、物音は聞こえなくなっていた。
「……逢坂さん、まだ起きてますか」
閉め切られたドアの前ににじり寄って、そっと声をかける。
「……何だ……」
布擦れの音と共に、低く掠れた声が返ってきた。
ドアを開けてその姿を確認したくなる好奇心を抑えつつ、言葉を続ける。
「そっち、明るくないですか。ちゃんと眠れそうですか?」
「……大丈夫だから……いい加減、もう寝ろ」
再び布擦れの音がして、それきり静かになってしまった。
……ほんとに大丈夫なのかなあ。
思い切って使い魔のネズミを生み出し、テントの外へと走らせる。
そこでは、逢坂さんがテントの出入り口を避けるようにして横たわっていた。
わたしと同じ、封筒型の寝袋だ。やけに大きい。
一見眠っているように見えるけれど、目元がやや険しい気がする。
やっぱり、少し眩しいのかもしれない。
暗くするとわたしが何かやったとバレてしまうだろうから、ここはほんの少しだけ、眠りの魔法をかけておこう。
使い魔越しに魔法をかけると、逢坂さんの表情が少しだけ柔らかくなった。
いつもの眼鏡はケースに入れられて枕元に置かれ、長い銀の睫毛が影を落としていて——
……その寝顔は出会った時の死にかけていた逢坂さんを思い出させ、ちょっと心臓に悪かった。
「いい夢を」
それだけ呟いて、わたしも寝袋の中に入る。
戻ってきたネズミを撫でると、目を閉じて解けるように消えていく。
ランプの明かりは常夜灯にはちょうどいい程度で、眠りの妨げにはならなかった。
壁の向こうに誰かがいる。
それは同じなはずなのに、あの夜逃げ出したゲストルームのシャッターほどの隔たりを感じないのは、一体どうしてだろう——そんなことを考えているうちに、意識は暗闇に落ちていった。




