第35話 行方知れたり
「……自分が何を言ってるのか、わかってるのか」
逢坂さんの口が開きかけては閉じられを繰り返し、やっと返ってきたのがその言葉だった。
声音は低く、視線は鋭い。
さっきまで術式を解説していたときの、どこか楽しげな空気は消えていた。
「お前、昨日の説明で何を理解した? 魔法使いはダンジョンに入れない。入れるお前は異常なんだ。その異常を知っているのは、今この世界に俺とお前の二人しかいない」
……それは、わたしだってわかっている。
「俺の研究に協力するのなら、すなわちそれは俺と行動するってことだ。今はフリーとはいえ俺は魔術師だぞ。仕事の繋がりもあれば、同じテーマを追ってる同業者もいる。お前が一人でダンジョンに潜ってる分には誰の目にも留まらないだろうが——魔術師の周りをうろつくならば、話が違う。……嗅ぎつける奴は嗅ぎつけるぞ、お前の正体を」
「…………」
「お前の体質について、俺以外の魔術師が知ったらどうなることか——お前はそのリスクに見合うだけのものを、俺の研究から得られると思うか?」
そこで一拍、間が空いた。
逢坂さんの視線がわたしから外れて、作業机の上——金属板や書き込みだらけのノートが散らばるあたりをさまよう。
「……確かに、お前の力があればとは思う。魔法使いと同じ目でダンジョンの魔力を見れる者は——いない。いないんだ、今まで一人も。俺が何年かけても手に入れられなかった……俺には見えないものが、お前には見えるかもしれない。それが……いや、そうじゃない、今はそういう話をしてるんじゃない」
眼鏡のブリッジを押し上げるその仕草は、考えを整理して落ち着こうとするときの癖なのだろう——昨日からの短いやり取りで、なんとなく把握できている。
逢坂さんはひとつ舌打ちをして、改めてわたしに目を向けた。
「……いいか。お前は自分の体質の意味をまだわかっちゃいない。魔法使いの世界にもろくに関わってないんだろう。魔術師の世界なんか今日初めて知ったようなもんだ」
「…………」
「そんな状態で、どこの馬の骨ともわからん男の研究に首を突っ込むっていうのが——」
言葉が進むたびに、逢坂さんの声に苛立ちが滲んでいく。
それがわたしに向けられたものではないことは、なんとなくわかった。
「逢坂さん」
「……何だ」
「わたし、『魔女』ですよ?」
それも、危ない場所に突っ込んでは何事もなかったかのように帰ってくる、その道のプロの娘である。
「ダンジョンの中ではもちろん、外でだって、そう簡単にどうにかされたりしません」
「…………」
自分でそう言いつつ清野さんのノートの件を思い出すものの、逢坂さんの知る話ではない。勢いで押してしまおう。
……その辺の対策は、今度お父さんに聞いておこうかな。
あのノートがダンジョン産だったとしても、戦闘に関わるものではないから、ダンジョンの外でも使えるアイテムのはずだ。
そういうものの存在を知って自衛策の相談をするのは自然、なはず。
「……お前が自分の身を守れるとしても、少なくとも人間社会では生きていけなくなるぞ」
「どうせあと四年で人間社会は卒業ですよ。ああでも、ダンジョンに入れなくなるのは困りますね……入る前から出た後まで、ずっと隠れてなきゃいけなくなるかも」
あと、お父さんとお母さんになんて言えばいいのか、とか。
つい先ほど「大学生活だけはやり遂げよう」と決心した矢先にこれである。
わたしが卒業するまでの四年以内に、誰にも嗅ぎつかれずに成果が出せれば、全てが丸く収まるのだけれど。
逢坂さんの記憶を保った魔術のからくりを聞いたら、何とか対策できないだろうか。
「…………困る、ときたか」
逢坂さんは口元をひくつかせている。
呆れているのか、怒っているのか。……まあ、心配してくれたのにわたしがこうなんだから、そりゃそうだろう。
——そう、ダンジョンに入れなくなったら困る。
昨日そのことを考えたとき、逢坂さんのことが浮かんだ理由が、今になってわかった。
特に目的もなくダンジョンで魔法を磨いていた。
魔女に生まれたからには。将来両親の仕事を手伝うために。……全部、わたしが勝手に言っているだけだ。
両親がどういう仕事をしているかすら、具体的には知らないくせに。
でも、昨日逢坂さんの話を聞いたとき……無意識に、わかってしまったのだろう。
行先のない力は、何かのために活かすべきで——逢坂さんの研究は、まさにそれになり得るのだと。
ただの魔法使いじゃなく、ダンジョンに入れる魔法使いであるわたしだけが、逢坂さんに差し出せるものがあると。
「ねえ、逢坂さん。力には行先が、目的が必要だと思いませんか」
「…………」
「少なくとも、魔法使いに……わたしにとっては、そうなんですけど」
うんともすんとも言わないダンジョンの壁に魔法を壁打ちするよりも、フロアボスを倒すのに使った方がいいのと同じように。
……そうかな? そうかも。
「わたしは誰かのために力を使いたい。逢坂さんはわたしの力がほしい。Win-Winじゃないですか?」
「……だが、」
「ここで逢坂さんが断ったら、わたし、他の魔術師の人を探して営業かけちゃいますよ。ダンジョンに入れる魔女はいかがですかーって」
まあ、さすがにそれは冗談だけども。
一方で……逢坂さんは、見事に固まっていた。
「…………」
「…………」
「…………はあぁぁ…………」
今まで聞いた中で一番大きな溜息と共に、逢坂さんは目元を押さえて首を横に振った。
……さすがに困らせ過ぎたかもしれない。
少しだけ居た堪れなくなって、最初に一口飲んだきりのペットボトルの蓋を親指でなぞりながら、視線を逸らす。
「————敵わんな」
ぽつりと呟くように聞こえたその言葉にぱっと顔を上げれば、大きな手の下で逢坂さんの口角が上がっているのが見えた。
それは見間違いかと思うくらい一瞬で——その手を下ろして腕を組んだときにはもう、いつもの真剣な顔になっていた。
「ひとつだけ約束しろ」
「……何でしょう?」
「お前がダンジョンに入れる魔法使いだということは——絶対に、誰にも知られるな」
その視線と声色に、思わず姿勢を正す。
「一般人は論外として……魔術師はもちろん、魔法使いにもだ」
「……両親にも?」
「ああ。……お前の両親に頼るのは、厄介なのに目をつけられたときの最後の手段にしておけ」
元々ダンジョンのことは隠し通すつもりだったのに、その言葉はあまりにも重くのしかかった。
そんなにとんでもないことなのだろうか……ううん、きっとそうなのだろう。
「わかりました。逢坂さん以外には、絶対に言いません」
「よし」
短く応じた逢坂さんの視線が、わたしから外れて作業机の方へと移った。
金属板やノートが散らかるその上を、何かの段取りを考えるように眺めている。
……もしかして、もう研究の方に頭が行っている?
さっきまであれだけ悩んでおいて、切り替えが早すぎやしないだろうか。
まあ、悩んでいたのはわたしのことであって研究のことではないから、むしろ当然かもしれないけれど。
「…………そうと決まれば」
そんなことを考えていると、逢坂さんがゆっくりとこちらに向き直った。
——あ、この顔。
にぃ、と口角が持ち上がり、尖った歯がちらりと覗く。
昨日も見た、子供が見たら確実に泣きそうな悪い笑顔。
「まずはお前に術式の何たるかを叩き込まにゃならんな? こんな紙の上で表現できる程度じゃ足りん。実用的な多重構造式までしっかりと理解してもらう」
「……えっ」
「まあ最初は基礎からにするから安心しろ。手始めにこの『近代西洋魔術概論』と——これとこれと、あとはこれか」
「……ひ、ひぇ」
本棚から新たに取り出された分厚い本が、わたしの目の前に積み重なっていく。
…………気が遠くなってきた。
「いやあそれにしても、まさか『魔女』が手に入るとはな。死にかけた甲斐があったってもんだ」
それはあまりにわざとらしく悪びれた言い方で、もちろん冗談で言っているということはわかっている。
……わかってはいる、のだけれど。
満足げに細められた目に宿る光が、ほんの少しだけ本気に見えた。
「…………もしかして、わたし、早まりました?」
首を傾げてそう問えば、逢坂さんは鼻で笑って答えた。
「吐いた唾は飲み込めんぞ」




