第34話 逢坂先生の魔術講義
「さて……とりあえず、その辺にでも掛けておけ」
逢坂さんの視線の先には、テーブルとソファがあった。休憩スペースだろうか。
近くに冷蔵庫があって、その中から取り出されたペットボトルを手渡される。ミネラルウォーターだ。
「いただきます」
早速開けて一口。よく冷えた水が身体に染みわたる。
ソファもスプリングがちょうどよくて、座り心地がよかった。
蓋を閉めたペットボトルをテーブルに置き、逢坂さんに向き直る。
「ふむ……最初に確認しよう。お前は魔術師や魔術のことを何も知らない。合ってるか」
「まあ、はい」
「そうか。なら、基本からだな」
そう言うと、逢坂さんは本棚から一冊の本を取り出して持ってきた。
表紙は、"An Introduction to Modern Western Wizardry"——『近代西洋魔術概論』と書いてあるのが見える。
「こんな本が存在することからもわかる通り、魔術は体系化された技術だ。お前たち魔法使いの魔法とはそこが根本的に異なる」
「技術……」
思わず声を零しながら分厚い本を見つめるわたしに、逢坂さんが鼻を鳴らす。
「魔法使いってのは過程を無視して結果だけを好き勝手に引き起こすもんだ。むしろ細かいことを気にしだすと魔法の幅が狭まると聞く」
耳に痛い言葉だ。
わたしが壁を抜けられないのも、対象の一部にだけ時戻しを使えないのも、そのあたりが理由なのは自覚している。
一方で、たとえば雷の魔法を使うときに、プラズマが~なんていちいち考えはしない。
場合によってはどういう流れで現象を起こすか考えることもあるけれど、基本的には過程を無視するということで正しい。
「だが、魔術は過程をこそ重視する。……正確には、過程を以て結果を指定する必要がある、と言おうか」
そう言って逢坂さんは『近代西洋魔術概論』をぱらぱらと捲り、とあるページを開いてわたしの目の前に置いた。
何やら幾何学的な図形が描かれている。雰囲気としては、さっき貰った通行証に彫られたそれに近い。
「これは?」
「魔術式の一例だ。俺が修めているのはこういった術式回路だが、言語や陣を用いることもある」
まじまじと見つめてみるも、現代美術か何かにしか見えない。
回路という呼び方の通り、一応線は全て繋がるか交わるかしているようだ。それしかわからない。
「魔術は魔力で術式を構築して現象を起こす。どういう手順でどういう現象を起こすか、その全てが術式で示される。それを紙面に固定したものがこれだ」
「なる、ほど?」
「身近なところで言えば、プログラミングに近いな。術式の理解と構築さえできれば、誰がやろうと結果は同じというわけだ」
……それってかなりすごいことなのでは?
思わず逢坂さんの顔と紙面の魔術式を見比べてしまう。
「……理解と構築さえできれば、だ。口で言うほど楽じゃない。紙面だけで表現できるその程度の術式じゃ、大したことはできんぞ」
「これでも結構複雑に見えますけど」
「それでもだ」
目の前の本をもう一度眺めてみる。
覚えて書き写せと言われたら即座に無理と返したくなる、複雑な文様。その下にある解説によれば、これは小さな光の玉を浮かべる術式らしい。
向かいから伸びてきた逢坂さんの指が、おもむろに紙面の術式に触れる。
次の瞬間、電球サイズの光の玉が、本の上にぽうっと浮かび上がった。
「わ……」
光の玉に手をかざしてみる。熱は感じない。
蛍光灯やLEDが熱を発するのは、電気を使うからだと昔聞いた気がする。今起こっているのは純粋な発光現象だけということか。
「こんなところだ。この程度なら魔術なんざ使わずとも、デスクライトでも点ければ十分だがな」
逢坂さんが手を払うと、光の玉は消えてしまう。
その代わりに差し出された手のひらの上に、今度はもっと大きい光の玉が現れた。
「その本に描かれた術式で生み出せるのはさっきの大きさの光だけだ。調整したいなら自分で術式を組む必要がある」
「なるほど……」
「どれほど魔力を込めるかでパラメータを調整する手法もあるが、この術式の場合は持続時間がそれにあたる。今回はほんの少ししか込めなかったから——そら、勝手に消えた」
その言葉の通り、光の玉はふっと霧散する。
昔授業でやったプログラミングの知識を引っ張り出すと……光の持続時間は引数で、外部入力でどうとでも変えられる。
対して光の大きさは定数で、変更したいならプログラムのその部分を書き換えなきゃいけない、というところか。
「……今のは逢坂さんが自分でやったけれど、この本に描かれた術式は魔力を流せばそれだけで使える。合ってますか?」
「ああ」
「わたしにもできますか?」
魔力で術式を組み上げるとか言われても、急にそんな複雑なことはできないけれど……既にある術式に魔力を流すだけなら、わたしにもできるのでは?
そう思って聞いてみると、逢坂さんは片眉を上げてみせた。
「……やってみるか?」
「はいっ」
「まあ、何事も経験か。……待て、その本でやるな。お前はこっちだ」
術式の本を取り上げられたと思ったら、逢坂さんは作業机の上から金属板をひとつ手に取って、指を少し滑らせてから渡してきた。
どうやら、さっきの術式と同じものが描かれているようだ。
「これに魔力を流せばいいんですよね?」
「ああ。慎重にな」
金属板を手に取り、目を閉じる。星幽界との接点をほんの少しだけ開き、魔力をその身に取り込んでいく。
……やろうとすると意外と難しい。
魔力機関を通してしまったらそれは魔法となり、わたしの意思によって勝手に光の玉が現れてしまうかもしれない。
だから、いつもは勝手に魔力機関に吸い込まれる星幽界の魔力の流れを、慎重に逸らしていく。金属板に触れる右手まで、ゆっくりと。
そうして何秒経っただろう。
やっとのことで魔力が金属板へと辿り着いた、その瞬間——
『パキッ』
「え゙」
手に持っていた金属板が、砕け散った。
「あ、あああ、あの……これ……」
「……ふむ、やはりな」
貸してもらったものを壊してしまったと慌てるわたしに対して、逢坂さんは動じていなかった。
「こうなるから本を使わせなかったんだ。わかっていたことだから安心しろ」
「……わたし、失敗したんですね」
「失敗というか……そもそもお前に魔術は使えない。これから説明する」
その言葉にひとまず息をついて、両手を膝に置いて逢坂さんの説明を待つ。
……ところで、いつの間にやら持ってきたピンセットと小瓶で、金属板の破片を丁寧に収めているけれど……それはまだ使えるんだろうか?
テーブルの上を片付け終えた逢坂さんは『近代西洋魔術概論』を再び手に取り、別のページを開いてみせる。
そこに描かれているのは術式ではなく、地球のイラストだった。一部が断面図のようになって欠けている。
地表や地中、そして地面に立つ人間にまで、いくつも矢印が描かれていて、何らかの流れを表しているようだ。
「お前たち魔法使いが星幽界から魔力を取り込んで魔法のエネルギーとするように、魔術師にもエネルギーが必要だ」
「それが、その……地脈、でしたっけ?」
「ああ。この地球に在る全てのものを巡る力。西洋魔術ではそれを『地脈エネルギー』あるいは『地脈魔力』と呼んでいる」
つまり、魔術は地球を巡る力を取り込んで行使するもの、ということだろうか。
……なるほど。合点がいった。
「で、さっきの板の話に戻る。お前が流したのは星幽魔力だろう」
「……はい」
「地脈魔力と星幽魔力じゃ性質が違いすぎる。地脈魔力用に設計された術式に異なる魔力を流せば、ああなる」
ついでに、逢坂さんの昨日の話にも納得できた。
そのことが顔に出ていたのだろう、逢坂さんはさらに言葉を続ける。
「察したか。地に足をつけてなかろうが何だろうが、この星にいる限り地脈エネルギーは取り込めるんだが……ダンジョンでは話が別だ」
「ダンジョンには地脈がない……ダンジョンの魔力も代わりにならない……だから、ダンジョンでは——魔術が使えない」
「そういうことだ」
正直あの早口の半分以上は聞き流していたものの、地脈がないから魔術が使えない、みたいなことを言っていたのは覚えている。
……わたしはダンジョンの魔力を星幽界の魔力の代わりにできるけれど、魔術ではそれができない、ということ。
「……じゃあ……わたしも地脈魔力の扱いを覚えれば、魔術が使えるんじゃないんですか?」
「無理だ。魔法使いであるお前の身には少なからず星幽魔力が流れている。どうしても不純物としてそれが混じるだろう」
「そうですか……」
使ってみたかったんだけどなあ、魔術。
「……残念そうな顔をしてるがな、そもそも魔術は魔法の模倣を目指して発展してきた一面もあるんだぞ。お前は魔法があるんだからそれでいいだろうが」
「そりゃそうですけど……魔法だって万能じゃないんですよ。できることに個人差があるんです。誰でも同じことを起こせるなら、できないことができるようになるってことじゃないですか」
具体的には、壁抜けとか壁抜けとか壁抜けとか。
……ダンジョン探索のために壁抜けしたいのに、ダンジョン内で使えない魔術じゃ意味ないか。
「——いや、でも、逢坂さんは……ダンジョンで魔術を使うための方法を探しているんですよね?」
わたしが逢坂さんから聞きたかった話は、何も魔術についてだけではない。
逢坂さんの研究のことも知りたかった。
「……まあ、な」
「わたし、お手伝いできませんか?」
逢坂さんの目をまっすぐ見つめる。
対して、逢坂さんはその目を見開かせていた。
たぶん、逢坂さんも既に気づいている。
行き詰っているという研究を前に進めるために、わたしなら協力できるかもしれない。
少なくとも、昨日耳に入った話によれば——普通は操作なんかできないというダンジョンの魔力も、わたしは扱える。
わたしは、静かに彼の返事を待った。
★★★
【Tips: 魔法使いと魔術師】
魔法使いと魔術師はいずれも神秘を行使する存在だが、両者は明確に区別がつけられている。
原初より存在したのは魔法使いである。彼らは——主に彼女らなのだが——神秘の外界たる星幽界との接点をその魂のうちに持っている。
そこから魔力と呼べるエネルギーを取り込み、現実を改変するためのエネルギーへと変換する。そこに既存の理論や法則は通用せず、各々がその場その場でそれを定義する。そんな『魔法』を使う者は、人間とは異なる種族として分類されるのが主流である。
一方、魔術師の行使する『魔術』は学術的・実証的に構築されてきた技術体系である。学識と研鑽によって、人間の身で神秘を体現する者を魔術師と呼ぶ。
彼らが魔力と呼ぶものは、地球の大地を巡る地脈エネルギーであり、それを自らのうちに取り込んで術式として組み上げることで魔術は完成する。適切に術式を理解・構築できれば、理論上どの魔術師でも同じ結果をもたらすことができる。
なお、魔法使いに対して古くは『魔女』という呼称が使われていた。現在では女性の魔法使いを指す語として扱う者もいれば、性別に関わらず『魔女/witch』と呼称する向きもある。




