第30話 真理はここに
逢坂さんに連れてこられたのは、オフィスビルの二階にある雰囲気のいい和食レストランだった。
「なになに……『天ぷらと日本酒のお店 わだち』……」
「ジュースもあるから安心し——待て。お前いくつだ? 高校生じゃないだろうな?」
「十八ですけど、大学生です」
「ならいい」
逢坂さんの背中についていき、お店の入り口を潜った瞬間、世界が変わったような気がした。大人の世界、と表現すればいいだろうか。
格子や障子などの和風のモチーフを取り入れつつ、全体的にモダンなつくりになっている。
カウンター席の向こうにいる板前さんが、スーツ姿のサラリーマンと何か話していた。……本物の板前さんだ!
「ああ、逢坂さん。いらっしゃい」
「おう」
逢坂さんを親しげに出迎えた板前さんの視線が、後ろにいるわたしを捉えた。
「逢坂さんが個室なんて珍しいと思ったら……彼女さんかい?」
「馬鹿言え。奥でいいな」
「はいよ」
板前さんに会釈をしつつ、ずんずん進む逢坂さんを追う。
周りのお客さんはスーツ姿であったり、上品な恰好をしている人がほとんどだ。たまに探索者っぽい恰好をしてる人もいるけれど、もれなく身綺麗である。
自分がちょっと場違いな気がして、少しだけ心細くなった。
店内の一番奥まったところが、逢坂さんが取った個室であるらしい。
部屋というよりは、仕切りで囲まれた空間、と表現するのが正しいだろう。
「……さっきの今でよく個室なんて取れましたね」
「この店は常連のためにいつも一部屋はキープしてるんだ。俺はおやじさんと長い付き合いだからな。……そら、好きなもんを頼め」
そう言って差し出されたメニュー表までもが高級感に溢れている。
コース料理のページを飛ばし、単品のメニューを眺めてみた。入口のうたい文句の通り、色々な天ぷらが並んでいる。
お値段は……見なかったことにしておこう。
「……セタガヤダンジョン産野菜の天ぷら盛り合わせ……」
その文字列に、あの日食べたシチューをふと思い出した。
遥香ちゃんも、いつかこういったメニューをお家のレストランで出すのだろうか。
……あんなことさえなければ、その時は食べにいきたかったのにな。
「ん? それがいいのか?」
「……いえ。旬野菜の盛り合わせにします。あと、お刺身とご飯を」
「そうか。飲み物は?」
「お冷で——んんっ。マンゴージュースを」
水で十分だと言いかけたら逢坂さんの目がすっと細まったので、慌ててメニュー表の最後に載っていたジュースを指定した。
そうしたら、今度は馬鹿にした顔をされた気がする。解せない。
わたしの注文を聞いた逢坂さんは、勝手知ったるという感じで店員さんを呼びつけて、自分の分をあれこれと注文してから、わたしの注文を付け足した。
メニューを見なくても食べたいものを決められるくらい、ここに通っているということなのだろう。常連というのは本当のようだ。
「あの……話はご飯のあとですか?」
「お前……天ぷらだぞ。揚げたてを食わんでどうする」
「それはまあそうですね」
ぐうの音も出ない。
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「……ごちそうさまでした」
——わたしは口の中に宇宙の真理を見た。
「どうだった?」
「……もうスーパーの天ぷらもお刺身も食べれません」
「そいつはよかったな」
極限まで薄く、それでいてサクッとした衣の中に、素材のうま味が凝縮されていた。かじった瞬間を何度も反芻しては、ほうっと息をついてしまう。
どれも美味しかったけれど、特にタラの芽の天ぷらはできることならもう一度食べたい。
新鮮ゆえなのか下処理がいいのか、お刺身もまたレベルが違った。
醤油をつけずにそのまま食べてもいける。付け合わせのワサビすら香りが段違いだ。
わたしは明日から生きていけるだろうか。この天ぷらとお刺身のない世界で。
「さて、本題に入ろうか」
「…………そうでした」
食の大宇宙に思いを馳せている場合ではない。わたしは自分が魔法使いだと——魔女だと証明しに来たのだ。
わたしの様子を見て満足したのか、逢坂さんはひとつ頷いて、ぱちんと指を鳴らした。
例の世界から切り離されたような感覚が、部屋全体に広がっていく。
「大暴れでもしなきゃ、これで外に漏れることも、人が見に来ることもないだろう」
「お店側はそれで大丈夫なんですか?」
「閉店まで貸し切りで取ってあるからな。問題ない」
こういうお店のことはよくわからないけれど、常連の逢坂さんがそう言うなら、そういうものなのだろう。
「じゃあ、その、もう一回聞きますけど……どうしたらわたしのこと信じてくれますか?」
「そうだな……とりあえず、手を出してみろ」
「はあ」
お膳を一旦横にどけて、テーブルの真ん中あたりに右手を置く。
「触るぞ」
返事をする間もなく、逢坂さんの手がその上に重なる。
革手袋に覆われていない手のひらは、思ったより冷たかった。
「この状態で何か使ってみろ。お前の言う『魔法』をだ」
「何でもいいんですか?」
「店を壊すようなのじゃなきゃな」
「しませんよそんなこと……」
さて、どうするべきか。
最初に目に入ったのは空の食器だ。剥がれ落ちた天ぷらの衣が若干残っている。
あれに、もしくはわたしに時戻しの魔法を使えば、もう一度あの天ぷらを食べられるのでは?
その場合、天ぷらが現れるのはわたしの口からということになるけれど。
……却下。さすがに人として終わる。
じゃあ、いっそ何か壊してみて、それを元に戻すとか?
いや、逢坂さんのコートだって似たような感じで直っている。おそらく魔術でも結果としては同じことができるのだろう。
これはインパクトに欠ける。どうせなら魔術にはできなくて、魔法ならできることをしてみたい。
「逢坂さん、魔術でできないことってあります?」
「む……回答が難しいな。何ができるかなんてのはそれぞれの家系によるし、隠し玉もある。『できない』を証明するのは無理だろう」
「なるほど……」
「死者蘇生だの不老不死だのなら、大真面目に研究してる家も多いが……」
向けられた視線に、首を横に振って答える。
前者はできないし、後者は証明のしようがない。
それに、できないことを証明するのは無理というのにも頷ける。
視点を変えて、逢坂さんが調べやすいようにしたらどうだろうか。
たぶん、この手を通してわたしが何をしているのかを読み取ろうとしているのだと思う。
それに加えて、魔法で生み出したものを好きなだけ調べることができたら、逢坂さんも納得してくれるかもしれない。
そういうわけで、選ばれたのは使い魔の魔法。
ネズミ……はやめておこう。レストランでそれはシャレにならない。
というか、どんな動物でも良くはないか。別にわたしの使い魔は変な菌とか持ってたりしないけども。
こういうのはイメージの問題なのだ。
逢坂さんのお気に入りのお店なのだし、変な記憶を植え付けるのはよくない。
じゃあ、どうするか。答えは簡単。
レストランにいてもおかしくない生き物にすればいい。
「やってみますね」
目を伏せて、テーブルの下で左手の人差し指を立てる。
身体の奥底にある星幽界への扉を、いつもより少しだけ大きく開く。
最近はちょっとした魔法しかダンジョンの外で使っていなかったから、この負荷が少しだけ心地いい。
そうして汲み上げた魔力を原動力に、魔力機関がきゅいんきゅいんと回る。
回転によって生み出されたエネルギーが、光の粒子となってわたしの隣に集まっていく。
「————これは」
逢坂さんの視線が、わたしの斜め上に釘付けになっている。
光の粒子が大きな塊を形作って——そして、それは現れた。
白いリボンの結ばれた、ブルーグレーの癖毛。
メーカー製のカジュアルなローブと、腰に差された短い杖。
開かれた瞼の下から現れるのは、銀の瞳。
わたしと瓜二つの姿をした人間が、わたしの隣で微笑んだ。




