第25話 RWD
壁の向こうの大部屋にいたのは、黒い靄のようなモンスター。
その向こうに、人間が一人。モンスターが邪魔でよく見えないけど、声からして男の人。
そして、血の匂い。
あまりにも情報量が多すぎて、わたしは穴の縁で固まった。集中が切れて、背後で壁が塞がっていく音がする。
モンスターは、おどろおどろしい姿をしていた。どことなく人に近い形をしていて、鋭い爪をもつ両手だけが、はっきりとした輪郭を持っている。
この階層ではなく、もっと上の階層にいるはずの、アンデッド型モンスター。おそらく、イレギュラーだ。
それはまだいい。問題はもう一人の方だ。
壊せるはずのないダンジョンの壁を壊すところを、はっきりと見られてしまった。
――落ち着け、わたし。
深呼吸をひとつ。
わたしは今、隠形と不可視の魔法を使っている。壁を壊したことで注目を集めてしまい、隠形の効果は解けているかもしれないけれど、姿は確実に見えていない。
「チッ、新手か?」
男の人がこちらに向けて短剣を構えるのが、靄の隙間から見えた。完全に敵だと思われている。
それはそうだろう、誰だってそう思う。
問題は、どうやって無害だと伝えるか、だ。戦っているときに邪魔になるようなことはしたくない。
モンスターじゃなくて人だと声を出す? とりあえずモンスターを攻撃して加勢する?
そうこうしている間に、靄が動いた。
何らかの手段でわたしを感知したのか、ゆらりとわたしの方に近寄ってくる。
そのとき初めて、彼の全身がはっきりと見えた。
「――血だらけじゃないですか!!」
同時に、わたしは身を隠す全ての魔法を解除した。
やや屈んだ姿勢でもわかるほどの、ひょろりとした長身。白かったであろうコートの下に、おそらくプロテクターを着こんでいる。
全身傷だらけな上に、お腹のあたりからぼとぼとと血が垂れ落ちている。致命傷でもおかしくはない。
「もう動かないでください!!」
それだけ叫んで、わたしは黒い靄と対峙した。
「……ああ。道理で、さっきから足元がふらつくと思ったんだ」
男性が短く言って、片膝をついた。
どうしてさっきまで平然と立っていられたのだろうと思うも、すぐにその思考を振り払う。今はそんな場合ではない。
男性を巻き込まない位置取りをし、人差し指を立ててくるりと回す。
雷光が迸り、靄を貫いて――向こう側の壁に消えた。
手ごたえが、ない。
「は、」
理由を考える前に、今度は見えざる手を展開する。その拳を思いきり固めて、靄を目がけて叩き込む。
ズン、という、感触とも呼べないような感触。拳は靄をすり抜けて、向こうの床を殴っていた。
「…………」
靄は動じていない。あざ笑うかのように、口にあたる部分が裂ける。
そうだ、そうだった。
実体を持たないタイプのモンスターには、物理攻撃は通らない。属性つきの品やスペルで対処するのが基本で、こいつのようなゴースト系には特に光属性が効く。
でも、わたしの魔法で起こす雷は自然現象に近いもの。ダンジョンの属性スペルじゃない。
見えざる手は、力の集合体。これもやはり物理的なものだ。
だからって、手を打たないわけにはいかない。
靄がこちらへ向かってくる。
魔力機関を回す。頭の中でイメージするのは、剣。刃があって、柄があって、切断するためにあるもの。
それが形になって、右手に収まる。この距離ならもうこうするしかない。
靄に向かって、思いっきり振り抜く。
……手ごたえあり。
靄が横に両断され、斬り落とされた部分が塵となって消えていく。
「…………これは効くんだ?」
わたしの声は、我ながら妙に落ち着いていた。
小さくなった靄が狂ったように金切り声を上げて、爪を振り上げた。寸でのところで回避し、同時にキィンと高い音が鳴る。
普段から展開している障壁の魔法は、どうやらゴースト系相手にも通用してくれるようだ。
剣の魔法が効くとわかったからには、これ以上時間をかけていられない。
左手にもう一本の剣を生み出す。イメージするのは――かつて何度も見てきた、那月ちゃんの動き。
「ッせぁ!」
探索者としての身体能力に任せて跳び上がり、斬りつける。
一度では済まない。何回も、靄の全てが塵になるまで。
そして、決定的な何かを切り裂いた感触があった。
『キィ、ヤ――』
か細い断末魔を残して……黒い靄は、塵と化した。
その場に残されたのは大量のドロップアイテムと、二枚のプレート。
「…………大丈夫ですか!!」
一息つきたくなるのを振り払って、男性に駆け寄る。
止血を試みた形跡はあるけれど、大した効果がないのは明白だった。どう見ても大丈夫ではない。
「――おまえ、は……」
「……必ず助けます。だから、今は眠っていてください」
彼がふっと目を閉じたのと同時に、停滞の魔法を使う。力の抜けた身体を支えて、そっと寝かせた。
死んでしまったらどうにもならないけれど、彼はまだ生きている。停滞の魔法を維持している間は、彼の命を繋ぎとめていられる。
ポーションは持っている。けれど、わたしが潜るような階層で手に入るものでは気休めにもならないだろう。
そして、わたしは怪我を治す魔法は得意ではない。使う必要がなかったから。
こんなことならある程度練習しておけばよかったと思うも、両親だってここまでの怪我は治せるかどうか。わたしにできるとは思えない。
それでも、打てる手はある。
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魔法は個人によって得手不得手がある。
わたしは両親の才能を平等に受け継いだ。未だ両親には至らないけれど。
自然現象を操り、様々な使い魔を従えて戦うことに長けるお母さんからは、破壊と具現にまつわる魔法を。
己が身を隠し、全てを明らかにすることに長けるお父さんからは、隠密と精神にまつわる魔法を。
それに加えて――わたし自身がもつ魔法の領域がある。
ダンジョンの壁から得た魔力は既に使い切った。
この部屋には出口が見当たらないので、また壁を壊さないといけない。どうせなら魔力はそこから拝借しようか。
向こうの壁にこれ見よがしに召喚陣に似たマークが描いてある。おそらくこの人はあそこから入ってきたのではないかと思うけれど、わたしが簡単に出ていけるようならとっくにこの人も逃げていたはずだ。
まあ、壊すのはあのあたりの壁にしておこう。マップアプリによれば、あの壁の向こうには通路があるようだし。入ったところから出ていくのが自然だ。
男性の身体を魔法で持ち上げ、壊す予定の壁の近くまで移動する。
必要な範囲に停滞の魔法を行使したうえで、魔力を吸い上げた。停滞の魔法を複数維持するのは骨のいる作業だ。
それでも、本当に気合を入れるのはここから。
「…………」
男性――若い人だし、お兄さんでいいだろう。
最悪な顔色ではあるものの、穏やかな表情で眠っている。
身長はわたしより頭二つ分、では足りないだろう。自販機よりも確実にでかい。
ぼさぼさに跳ねた銀髪を後ろで括っている。ところどころ血がついているのも相まって、刃のような印象を受けた。
アンダーリムの眼鏡は無残にもひび割れていた。血を拭った跡が残っている。フレームにもべっとりと血がついているのかと思えば、元から赤縁のものらしい。
ずいぶんと端正な顔立ちを、くっきりと残る隈とこびりついた血が台無しにしていた。
「……すぅ……はぁ……」
大きく深呼吸を繰り返す。
そして、壁から吸い上げた魔力で魔力機関を全開に回し――そのほとんどを、ひとつの魔法に注ぎ込んだ。
床に点々と広がっていた血液が浮かび上がり、元あった身体へと吸い寄せられる。
お腹の傷が閉じていき、プロテクターまでもが形を取り戻す。
白いコートに広がっていた染みが、瞬く間に消えていく。切り裂かれた生地が繋がっていく。
「っ、はあ……!」
そこで限界が来たようだった。
軽い傷はまだ残っているけれど、お腹の致命傷は跡形もない。これならわたしのポーションで治せるだろう。
眼鏡は……血の跡こそなくなったものの、残念ながらまだひび割れていた。
これは、なおすための魔法ではない。
誰しも思ったことがあるだろう。
やりなおしたい、なかったことにしたい、と。
お父さんもお母さんも使えない、わたしだけの魔法領域――――『時間』。
対象の時を巻き戻し、一定時間前の状態にもどす。
これは、そういう魔法である。
★★★
【Tips: ダンジョンにおける属性】
ダンジョンにおいては「属性」という概念がある。火・水・風・土の基本属性、氷・雷の派生属性、光・闇の特殊属性が確認されている。
属性攻撃を行う方法としては、「攻撃型魔道士による攻撃スペル」「支援型魔道士による属性付与スペル」「元から属性をもつ武器の使用」の三種類がある。
ダンジョンのモンスターには効きやすい属性・効きにくい属性が存在する。特にエレメントやゴーストといった実体のないモンスターの場合、属性攻撃でないとダメージを与えることができない。
そういったモンスターが出現するダンジョンでは、属性攻撃の手段を持っているかどうか、探索者協会から確認がなされることもある。
攻撃・支援問わず、魔道士型の探索者は基本属性および派生属性のうちいくつかを扱えるが、特殊属性についてはその属性に特化した魔道士でないと扱えない。
回復スペルを扱う光属性魔道士や、敵を弱体化させる闇属性魔道士の需要は高く、特定のダンジョンで傭兵のように仕事を募っている者もいる。




