第21話 青春はおしまい
「――――なに、これ?」
思わず唇から漏れた声は、情けないほどに震えている。幸い、消音の魔法はまだ有効だ。
読めるし、意味もわかる。
それなのに、頭の中でまとまらない。受け付けるのを拒否しているかのよう。
主語と述語がやけに仰々しい、呪いの言葉みたいな一文の連なり。
清野さんは効果がどうとか言っていた。ということは、これはただのメモ書きじゃない。
ノートか、ペンか、はたまたインクか――何らかの効果を持ったダンジョン産アイテムだ。十中八九。
書いたことが現実になる……とまではいかずとも、相手にそう思い込ませる。たぶん、そんなところ。
遥香ちゃんの分、那月ちゃんの分、茜ちゃんの分。
内容は、今夜の面談でみんなが口にしたことと同じだ。
あのとき清野さんが手を動かしていたのを、わたしは見ていた。
……見ていたのに。
膝をぎゅっと抱える。指先が冷たくなっていく。
みんながあっさりと受け入れてしまったのは……この文章のせい、かもしれない。
わたしの名前もある。
でも、わたしは清野さんのことを誠実だとも信頼できるとも思っていない。心にもないことには効かないみたいな制限でもあるんだろうか。
だとすれば、遥香ちゃんたちが受け入れたのは、清野さんの話が少なからず納得できるものだった、から?
そこに、この文章が背中を押した。
みんなから考えることを奪った?
「…………」
否定したくても、声すら出なかった。
今夜この部屋で交わされた会話も、みんなの気持ちも――どこまでが本当で、どこからが書き換えられているのか。
ゆっくりと深呼吸すると、自分の息の音だけが聞こえた。
……落ち着け。わたしの分は、書きかけで終わっていた。
何かを書こうとしてペン先で紙を叩いたような形跡はあるけれど、形になっていない。書けなかったんだ。
わたしはまだ、思考を手放していない。
問題は……今まさに、清野さんが新しい文章を書こうとしていること。
たぶん、最初の文章がわたしに効いていないことを、あの時のやりとりで清野さん自身も気づいたから。
……余計なことをしたかもしれない。
『そうですね……桃園さんに関しては、そう心配はないでしょう』
独り言が増える暗示はまだ続いている。
使い魔の目を通して確認するまでもなく、清野さんは書き記した文章を口にする。
『桃園遥香は、神林正光への好意を諦められず、自身の価値観より相手のそばにいることを優先する』
これはさっき本人の口から聞いた。でも、それ自体がこれまでに誘導された結果なのだとしたら?
この文章が効力を発揮したら、もう遥香ちゃんが考えを翻すことはないだろう。
『蓮見那月は、清野沙苗の説明に対して、何の疑問もないものとして納得する』
『芒原茜は、神林正光こそが最も理想的な異性であると考え、自身の憧れを最優先に考える』
視界が揺れる。使い魔を通して見る綺麗な字の連なりが、どうしようもなく歪んで見える。
この短い時間でみんなに何が効くのかを把握していることも、それをもとに簡単に思考を書き換えてしまえることも、恐ろしくて仕方がない。
『……柊千世は……』
心臓がどくりと跳ねる。
清野さんの手が止まっている。わたしに何が効くのか考えている。
今のうちにあのノートもペンもぐちゃぐちゃに破壊した方がいいんじゃないか、そんな思考が頭をよぎる。
けれど、わたしの冷静な部分がそれに待ったをかける。
清野さんの使っているあの筆記用具は、かなりの高確率でダンジョン産。それは間違いないと思う。
でも、万が一そうじゃないとしたら?
両親から聞いたことがある。
この世界には、魔法使いみたいに不思議な力を持ったヒトだけでなく、不思議な力をもったモノもあるということ。
普通の人が『魔女』と聞いたとき、大鍋で怪しいものをぐつぐつ煮込んでいるおばあさんをイメージすると思う。そんな感じで魔法使いが調合した薬品も含まれる。
もし、清野さんの筆記用具がそういうものだとしたら。
効果から考えて、わたしより格上の魔法使いが手掛けたものか、それに準じた力をもつ道具である可能性が捨てきれない。
その場合、わたしが不用意に手を出すと、しっぺ返しを食らってしまうかもしれない。
少なくともわたしなら、自分の作品が壊されそうになったら抵抗するように仕込んでおくだろう。
そうこうしているうちに、清野さんの操るペン先が、わたしの名前に向き直る。
『柊千世は――パーティメンバー全員で同じ道を歩む未来を望む』
その言葉と同時に、ノートに文字が綴られた瞬間。
頭の中でチリリと何かが焼けるような感触があった。
『柊千世は、自分だけが異なる道を選ぶことを、桃園遥香・蓮見那月・芒原茜への不義理だと感じる』
心の隅に確かに存在した罪悪感が一気に増大する。
改めて言葉になったそれを耳にしたからなのか、それとも清野さんの目論見によるものなのか。
「う、ぁ」
咄嗟に使い魔との感覚共有を中断しても、頭の中はぐちゃぐちゃなままで、何が自分の意思なのかわからなくなる。
好きでもない人と一緒になるなんて嫌、でもみんなを置いてわたし一人だけ逃げるのか、こんな危険な場所に、ああでもみんなはこれで幸せで、それはわたしのしあわせでも、あ、って――……
「――おとう、さ…………」
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『ねぇおとうさん、こころをよむまほうってあるのかな?』
『ん? あるよ。僕は使える』
『えっ! じゃあ、わたしがさっきおやつをかってにたべちゃったのもわかっちゃうの!』
『わかるわかる』
『や、やだ! こころよまれるの、や!』
『そうだな、いやだなあ。そんな千世にはこの魔法をかけてあげよう。いいかい――……』
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「…………ん」
気づけば、思考が妙にクリアになっていた。
めちゃくちゃに頭をかき回されていたのが、まるで夢のよう。
清野さんの方で何か変化があったのではと使い魔に確認をとるも、そういうわけではないらしい。
何かが、清野さんからの干渉を打ち消した。
わたしの中にあった何かが。
…………何が?
助かった理由はわからない。
そして次にまた同じことがあったとき、同じように助かるかどうかもわからない。
こんなところにいられるか。わたしは家に帰らせてもらう。
いや、冗談じゃなく。
使い魔に指示を出しつつ荷物をまとめる。寝間着は綺麗にしたうえで畳んでおく。
ここを出る準備を大方済ませて、このあとのことを考える。
神林さんの秘密を守るという目的がある以上、わたしがここで夜逃げしたら、清野さんからしたら実に怪しい存在になる。
一番安全なのは、わたしという存在についての記憶を消してしまうこと。
ただし、これはもう無理だ。清野さんのノートという、迂闊に手出しできない物的証拠が残っている。柊千世という人物がここにいたことはごまかせない。
悩んだ末に、書置きを残しておくことにした。
持ち歩いていたリングノートに、どうしても提案を受け入れられない旨を書き記し、破ってベッドの上に置いておく。
一宿一飯の恩代わりに、魔石もいくらか置いていこう。手切れ金ということにしたい。
遥香ちゃんたちが眠っていることを確認した使い魔が戻ってきた。手の上のネズミをそっと撫でると、役目を終えた彼はほどけるように霧散する。
監視カメラみたいな何らかのセキュリティがあることを考え、あえて自分に不可視の魔法は使わない。
玄関は開けっ放しになるけど、魔法で誰も近づけないようにしておくからそれで許してほしい。
これで、あとは外に出るだけだ。
「…………」
ゲストルームの扉を開けようとする手が止まる。
進もうとする足が止まる。
他人の思考を操るような危険な人がいる場所に友達を置いていくのか。
本当にここでみんなは幸せになれるのか。
この罪悪感はわたし自身のものなのか、それとも清野さんが植え付けた残滓なのか。
どちらだとしても、結果は同じだ。わたしはこの胸の痛みを抱えていくしかない。
……そもそも。
このパーティに入ったのだって、都合が良かったからだ。
ソロで潜るための下見として、卒業までの期間限定で、ゆるく気軽にやっていけるパーティ。
元々この春でおしまいの関係。都合が悪くなったから離れる。それだけのこと。
「……ふふ」
馬鹿みたいだと自分でも思いながら、ゲストルームの扉を開ける。
手のひらはまだ震えていた。
★★★
【Tips: 精神保護の魔法】
人の心を読む魔法がある。誰かの考えを変えてしまう魔法もある。
そんな魔法を使われたら困るだろう。だから、そんな魔法から身を――心を守る魔法もあるんだ。
千世の心は、千世だけのもの。誰かが勝手に見ることも、変えることもできやしない。
今から千世にかけるのはそういう魔法だ。
でも、ずっと続くような魔法じゃないからね。千世が大人になるまでに、ちゃんと覚えておくんだよ?




