第30章 星空の独白と、二つの覚悟
ドラゴニア王城を後にした俺は、迎えの馬車には乗らず、少し歩くことにした。 護衛についていたメイドたちが「危険です」と慌てたが、「頭を冷やしたいんだ」と言って断った。俺が一人になりたいと言えば、姿を見せず、気配だけを感じさせてくれる。それが、彼女たちの優しさであり、信頼の証だ。
帝都の夜は、意外なほど静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、石畳の街路は月明かりに照らされ、静寂に包まれている。
冷たい夜風が、スカーレットとの会食で火照った頬を冷やしていく。
「……はぁ」
俺は深く息を吐き、夜空を見上げた。
満天の星。
その輝きは、ルナリア王国で見るものと同じだ。
国が違っても、立場が違っても、見上げる空は変わらない。
だが、その空の下で生きる人々の運命は、あまりにも違う。
スカーレット・ドラゴニア。
彼女は、この星空の下で、全てを手に入れた女帝だ。
力、富、名誉。そして、欲しいものは何でも力ずくで奪い取ってきた。
彼女にとって、他人は「所有物」であり、愛とは「支配」することだ。
「……歪んでるな」
俺は呟いた。
彼女の愛し方は、あまりにも一方的で、暴力的だ。
相手の意思など関係ない。自分が欲しいから奪う。自分が愛したいから閉じ込める。
それは、愛という名の呪いだ。
だが、不思議と嫌悪感だけではなかった。
彼女の瞳の奥に見えた、底知れぬ孤独。
最強ゆえに誰とも並び立てず、誰にも理解されない孤独。
それを埋めるために、彼女は俺を求めている。
俺なら、自分の隣に立てると。自分の孤独を癒やせると。
「……似たもの同士、か」
俺もまた、転生者という秘密を抱え、孤独に生きてきた。
前世の記憶と、チートスキル。
周囲とは違う「異物」としての自分。
もし、俺がナイトレイ家の当主として生まれず、ティランたちに出会わなければ……俺もまた、力に溺れ、孤独な魔王になっていたかもしれない。
だが、俺には仲間がいた。
家族がいた。
俺は歩きながら、一人一人の顔を思い浮かべた。
ティラン。
豪快で、乱暴で、でも誰よりも情に厚い戦士。彼女の剛剣は、俺を守るための盾であり、道を切り開くための矛だ。あの笑顔を見るたびに、俺は勇気をもらえる。
ヴネナン。
マッドで、危険で、でも研究熱心な科学者。彼女の毒と薬は、俺の命を繋ぎ止める生命線だ。狂気の中に隠された、不器用な優しさに救われてきた。
リゼ。
無邪気で、残酷で、でも誰よりも純粋な少女。彼女の速さは、俺の目となり、耳となり、情報を運んでくれる。その笑顔を守るためなら、俺はどんな敵とも戦える。
ノクト。
冷徹で、無口で、でも誰よりも俺を想ってくれるメイド。彼女の影は、俺の安息の地だ。背中を預けられる安心感。言葉にしなくても通じ合う信頼。
そして、レグル。
厳格で、完璧で、でも実は泣き虫な秘書。彼女の支えがなければ、俺はとっくに潰れていただろう。共に歩み、共に悩み、共に未来を描くパートナー。
「……あいつらがいるから、今の俺がいる」
俺は拳を握りしめた。
スカーレットは言った。『あんな雑魚どもと馴れ合って何が楽しいの?』と。
彼女には理解できないだろう。
誰かを守りたいと思う気持ちが、人をどれだけ強くするかを。
誰かに支えられているという実感が、どれだけ心を奮い立たせるかを。
「俺は、奪わせない」
俺の平穏。俺の家族。俺の居場所。
その全てを、スカーレットの理不尽な愛で塗り潰させはしない。
「勝つぞ。あいつを倒して……証明してやる」
俺たちの絆が、彼女の孤独な力よりも強いということを。
俺の選んだ道が、間違いではなかったということを。
夜風が強くなる。
俺の決意を煽るように。
足取りは軽い。
迷いは、もうない。
一方、その頃。
ドラゴニア城の最上階、女帝の私室。
スカーレットは、部屋の照明を落とし、バルコニーに出ていた。
手には、先ほどの会食で開けたワインボトルの残り。
彼女はそれをラッパ飲みしながら、眼下に広がる帝都の夜景を見下ろしていた。
「……ふぅ」
熱い。
夜風に当たっても、体の火照りが引かない。
アルコールのせいではない。
先ほどのクロノスとの会話。
彼の瞳に宿っていた、強烈な拒絶と、そして揺るぎない意志。
それが、スカーレットの心を、体を、芯から熱くさせていた。
「……生意気な口を利いて」
彼女は唇を歪めた。
「『所有物になるつもりはない』ですって?『平穏が欲しい』ですって?……ふふっ、笑わせるわ」
スカーレットはグラスを握り潰した(比喩ではなく、魔力で粉砕した)。
ガラスの破片がキラキラと舞い散る。
「貴方は知らないのよ、クロノス。自分がどれだけ魅力的か。どれだけ危険か。貴方のその『強さ』は、平穏な日常に収まるような器じゃないわ。貴方は魔王になれる。私と一緒に、世界を蹂躙し、支配する……そんな未来こそが、貴方に相応しいのよ」
彼女は自分の体を抱きしめた。
ドレス越しに伝わる、自分の心音。
速い。激しい。
彼女はずっと探していた。
自分と同じ視座で世界を見ることができる存在を。
自分と対等に渡り合い、愛し合える「雄」を。
それが、ようやく見つかったのだ。
「渡さないわ。誰にも」
彼女の瞳が、赤く輝く。
あの小娘たちにも。世界中の誰にも。
クロノスは私のものだ。運命がそう決めている。
「奪ってあげる。貴方の心も、体も、自由も、全て。そして、私の檻の中で……一生、私だけを見て生きるのよ」
それは、究極のエゴイズム。
だが、彼女にとってはそれが「愛」の全てだった。
「明日が待ち遠しいわ」
スカーレットは空を見上げた。
月が赤い。
まるで、明日の闘技場に流れる血を予言するかのように。
「全力で来なさい、クロノス。貴方の全てを受け止めて……そして、壊してあげるから」
彼女は恍惚の表情で、夜空に向かって口づけを投げた。
その背後には、見えない巨大な竜の影が、獲物を狙うように鎌首をもたげていた。
部屋へと戻った俺は、仲間たちに迎えられた。
「お帰りなさい、クロノス様!」 「無事でよかったぜ、坊主!」 「お腹空きましたよね? 用意してありますよぉ」
彼女たちの笑顔。温かいスープの匂い。
俺は、心の底から安堵した。
「ああ、ただいま」
俺は席につき、夜食をとった。 スカーレットとの食事よりも、何倍も美味しかった。 味がどうこうではない。誰と食べるか、それが一番重要なのだと、改めて実感した。
食後、俺たちは明日の作戦会議……などはしなかった。
もう、言葉はいらない。
やるべきことは決まっている。
ただ、勝つだけだ。
「……寝るか」
俺は自室に戻り、ベッドに入った。
今日は一人だ。
寂しくはない。壁の向こうには、仲間たちがいる。
彼女たちの寝息が聞こえてくるようだ。
俺は目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、スカーレットの顔。
そして、彼女を倒したその先にある、未来の光景。
(……待ってろよ、スカーレット)
意識が闇に溶けていく。
深い、深い眠り。
明日のために、全ての力を蓄えるための休息。
一方、スカーレットもまた、広すぎるベッドで目を閉じていた。
彼女の夢の中には、クロノスがいた。
血まみれで、鎖に繋がれ、それでも自分を睨みつける美しい少年の姿。
彼女はその夢に酔いしれながら、幸福な眠りについた。
二つの魂。
二つの覚悟。
対極にある「守る愛」と「奪う愛」。
夜が明ければ、全てが決まる。
運命の朝まで、あと数時間。
世界は静かに、その時を待っていた。
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