第27章 銀月の素顔と、女帝の戯れ
王立闘技場の選手用通路。
試合後の熱気が冷めやらぬ薄暗い廊下のベンチに、二人の姿があった。
一人は、試合を終えたばかりの俺、クロノス・ナイトレイ。
もう一人は、銀色の鎧を外し、軽装のインナー姿になった『元・銀色の処刑人』、シルヴィアだ。
彼女は長い銀髪をタオルで拭きながら、スポーツドリンクを口に含んでいた。
その横顔は、戦場で見せた鬼神のような静かな覇気とは裏腹に、儚げで、そして驚くほど整っていた。 神秘的な紫色の瞳。通った鼻筋。白磁のような肌。
どこかの国の姫君だと言われても信じてしまうほどの美貌だ。
「……見すぎよ、クロノス」
シルヴィアが視線に気づき、少し顔を赤らめて睨んでくる。
その仕草は、完全に年頃の女性のものだった。
「すまない。……ただ、ギャップがありすぎてな。
あの鉄仮面の中身が、こんな美人だとは思わなかった」
「……口が上手いのね。スカーレット様が執着するわけだわ」
彼女はふんと鼻を鳴らしたが、満更でもなさそうだ。
俺は隣に座り、気になっていたことを問いかけた。
「……なあ、シルヴィア。試合の最後、どうして『合格』なんて言ったんだ? 俺をテストしていたのか?」
「ええ。スカーレット様の命令よ」
シルヴィアは淡々と答えた。
「『彼が私に挑む資格があるか、見極めてきなさい』と。
もし貴方が、力だけの野蛮人や、口だけの弱者だったら……あそこで殺すつもりだったわ」
「……怖いな。で、結果は?」
「言ったでしょう? 合格よ。貴方は強かった。力だけでなく、技も、心も。何より……敵である私に対して、敬意を払ってくれた」
彼女は自分の脇腹――俺が手刀を突き刺した場所――をさすった。
そこには包帯が巻かれているが、傷は浅い。俺が最後の一瞬で威力を殺したからだ。
「貴方は甘い。……でも、その甘さが、貴方の強さなのね」
「甘いと言われるのは心外だな。俺はこれでも冷徹な暗殺者のつもりなんだが」
「ふふっ。自分で言うあたり、まだまだね」
シルヴィアが初めて、声を上げて笑った。
鈴を転がすような、綺麗な笑い声だった。
「……もう一つ、聞いていいか?」
「何?」
「なぜ、性別を偽っていた?四天王の他のメンバーは女性ばかりだ。女性であることを別に隠す必要はないはずだろ?」
俺の問いに、シルヴィアの表情が少し陰った。
彼女は視線を落とし、ポツリと語り始めた。
「……私は、スカーレット様の『影』になりたかったの」
「影?」
「ええ。彼女は光。圧倒的なカリスマで国を導く太陽。でも、光が強ければ影も濃くなる。彼女の覇道を邪魔する鼠や、裏切り者……そういう『汚いもの』を処理する存在が必要だった。そのためには、感情も、個性も、性別さえも不要だったのよ」
彼女は自嘲気味に笑った。
「『銀色の処刑人』に中身はいらない。ただの無機質な暴力装置であればよかった。女であることを捨て、名前を捨て、仮面を被り続けたわ。……そうすれば、いつか彼女の隣に並べるような気がして」
それは、歪んだ忠誠心であり、そして深い憧憬だった。
彼女もまた、スカーレットという圧倒的な存在に魅入られた一人なのだ。
「でも、貴方に負けた。仮面を割られ、素顔を晒され……私の『処刑人』としての役割は終わったわ」
「……そうか」
俺は彼女の肩に手を置いた。
慰めの言葉はかけない。戦士に対する侮辱になるからだ。
「いい試合だった。お前は強かったよ、シルヴィア。俺が今まで戦った中で、一番の剣士だった」
「……っ」
シルヴィアが目を見開く。
そして、顔を背けて小さく呟いた。
「……馬鹿な人」
その耳は、真っ赤に染まっていた。
その時。
会場内のスピーカーから、アナウンスが響き渡った。
『――選手の皆様、ならびに観客の皆様にお知らせいたします!厳正なる予選、および本日の激闘の結果、準決勝の対戦カードが決定いたしました!』
空中に、巨大なホログラムが表示される。
『第一試合!予選Cブロックの覇者にして、第一試合で四天王ガルーダを粉砕した炎の女戦士!ティラン!!
対するは、予選Bブロックの覇者! リゼ選手を破った怪力の悪魔!四天王・『剛力将』タイタン!!』
おおおおおッ!! と会場が沸く。
因縁の対決だ。
リゼを半殺しにし、屈辱を与えたタイタン。
ティランにとっては、これ以上ない復讐の機会だ。
『そして、第二試合!
予選Dブロック覇者、毒と薬の魔術師、ヴネナン!
対するは、本日の第五試合を制した、今大会の台風の目!クロノス・ナイトレイ!!』
会場がざわめく。
同じチーム同士の潰し合いだ。
『……おっと、ここで速報が入りました!
なんと! ヴネナン選手より、「棄権」の申し出がありました!
理由は「愛する坊っちゃまに拳を向けるなんて、そんな不敬なことできませんわぁん♡」とのことです!』
会場中がズッコケた空気に包まれる。
『よって! 第二試合はクロノス選手の不戦勝!
クロノス選手は、無傷で決勝進出となります!』
予想通りの展開だ。
ヴネナンが俺と戦うはずがない。彼女は最初から、俺を温存させるために勝ち上がってきたのだから。
『さらに! 第一試合の勝者とクロノス選手による決勝戦が行われる予定ですが……ティラン選手からも、「もし俺が勝ったら、決勝は棄権して坊主に譲る」とのコメントが届いております!』
会場が「なんだそれは」とざわつくが、アナウンサーは構わず続ける。
『つまり!事実上の決勝戦は、明日の第一試合「ティラン VS タイタン」!そして、その勝者から権利を譲渡されたクロノス選手が……最終日、特別試合として、女帝スカーレット陛下への挑戦権を得ることになります!!』
その瞬間、会場のボルテージは最高潮に達した。
出来レース? 関係ない。
観客が見たいのは、最強の女帝が戦う姿と、それに挑む命知らずの少年の姿なのだから。
「……ふぅ。お膳立ては整ったわけだ」
俺はホログラムを見上げて息を吐いた。
ティランがタイタンに勝てば、俺の決勝進出が決まる。
リゼの仇を討ち、スカーレットへの挑戦権を得る。
全ては、明日のティランに託された。
「……クロノス」
シルヴィアが立ち上がり、俺を見た。
「行きなさい。貴方の仲間たちが待っているわ」
「ああ。……お前はどうする?」
「私は……陛下への報告があるから」
彼女の顔に、再び影が落ちる。
敗北の報告。それは、処刑の宣告を受けに行くようなものだ。
「……死ぬなよ」
「……善処するわ」
シルヴィアは寂しげに微笑み、反対側の通路へと消えていった。
俺はその背中を少しの間見つめてから、仲間たちの待つ控え室へと歩き出した。
一方、その頃。
ドラゴニア城、最上階。
女帝スカーレットの私室の前には、今まで戦場で一度も怯んだことのない騎士が、生まれたての小鹿のように震えて立っていた。
シルヴィアだ。
彼女は鎧を着直し、兜を小脇に抱え、蒼白な顔で重厚な扉を見上げていた。
汗が止まらない。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
(……殺される)
その予感しかなかった。
男と偽ってスカーレットの側近にいたこと。
クロノスに敗北したこと。
どちらも、万死に値する罪だ。
スカーレットは、無能と裏切りを何よりも嫌う。先日の四天王粛清の際に見せた、あの冷酷な炎が脳裏をよぎる。
(でも、逃げるわけにはいかない。最後くらい、騎士らしく……)
彼女は震える手を抑え、扉をノックした。
コン、コン。
「……入れ」
中から、いつもと変わらぬ、気だるげで妖艶な声が返ってきた。
シルヴィアは覚悟を決め、扉を開けた。
部屋の中は薄暗かった。
月明かりだけが照らす部屋の奥、窓際のソファーに、スカーレットは座っていた。
手にはワイングラス。
その視線は窓の外、帝都の夜景に向けられている。
「……スカーレット様」
シルヴィアはその場に膝をつき、床に額を擦り付けた。
「大変、申し訳ございませんでした。身分を偽り、男としてお仕えしていたこと。そして……クロノス・ナイトレイに敗北してしまったことを。どのような罰も受け入れます。どうか、お許しくださいませ」
絞り出すような声。
処刑の宣告を待つ沈黙。
一秒が永遠のように感じられる。
「……あぁ」
返ってきたのは、なんとも呆気ない、興味なさげな返事だった。
「……え?」
シルヴィアは思わず顔を上げた。
スカーレットは、怒ってもいなければ、軽蔑してもいなかった。
ただ、ワインを揺らしながら、つまらなそうにこちらを見ているだけだ。
「な、なんとも思わぬのですか? 私が女だったこと、負けたことに……」
「あ、あぁ。知っていたからな」
予想外の返答に、シルヴィアは言葉を失った。
「知って……いた?」
「当たり前でしょう? 貴女、私が誰だと思っているの?」
スカーレットはくすりと笑った。
「出会った時から分かっていたわよ。どれだけ鎧で隠そうと、声を加工しようと……気配、動作、匂い。女特有の柔らかさまでは消せていなかったわ」
彼女はワインを一口飲んだ。
「それに、敗北についても……負けると予感していたからな。というより、ハナから貴女が勝つことになど期待していなかった」
強者の余裕。
そして、絶対的な事実の提示。
「もし貴女が勝っていたとしても、本戦で私が貴女を打ちのめすだけだったわ。そもそも、この戦いはクロノスと私の婚約についての戦い(儀式)。彼がここに来て、私と戦うこと以外に、意味のある結末などないのよ」
シルヴィアは呆然とした。
自分の悩み、恐怖、覚悟。
その全てが、スカーレットにとっては「取るに足らない些事」だったのだ。
彼女の手のひらの上で、踊らされていただけ。
「……私は、道化でしたか」
「いいえ。良い余興だったわ」
スカーレットが立ち上がり、ゆっくりとシルヴィアに近づいてきた。
ヒールの音が響く。
シルヴィアは反射的に身を竦めた。
殺される。用済みになった人形は、壊される。
闘いの中で見た、あの黒い覇気が目の前にある。
「……この後はどうする? クロノスと仲良くなったそうじゃないか」
スカーレットが問いかける。
その声には、微かな嫉妬の色が混じっていた。
「い、いえ! 仲良くなど……! 私はただ、彼の実力を……」
「嘘をおつき。貴女の顔を見れば分かるわ」
スカーレットが、シルヴィアの前に立った。
そして、手を伸ばす。
首を絞められる。シルヴィアは目を閉じた。
だが。
肩に置かれた手は、驚くほど優しかった。
「……お主も、あいつの魅力に囚われたか」
スカーレットは、苦笑していた。
それは、恋敵を憎む顔ではなく、同じ病に侵された同志を見るような、奇妙な共感の表情だった。
「あいつは罪な男ね。関わる女すべてを狂わせる。……まあ、いいわ。貴女も被害者の一人ということにしておいてあげる」
彼女はシルヴィアの肩をポンと叩いた。
「今日はゆっくり休め。処刑は延期よ。……私の結婚式(決戦)が終わるまではね」
スカーレットはそれだけ言うと、グラスを置いて部屋を出て行った。
残されたシルヴィアは、しばらくの間、動けなかった。
最後に見せた、スカーレットの表情。
それは、あの一瞬の黒いオーラを見間違えるほどに、優しく、そしてどこか寂しげだった。
「……スカーレット様……」
シルヴィアは床に崩れ落ち、安堵のため息をついた。
生き延びた。
そして、彼女の中で、新たな感情が芽生え始めていた。
クロノスへの淡い想いと、スカーレットへの複雑な敬愛。
この奇妙な三角関係の行方は、明後日の決戦に委ねられた。
翌日。
王立闘技場は、再び熱狂に包まれていた。
準決勝第一試合。
『剛剣』ティラン VS 『剛力将』タイタン
因縁の対決。
リゼを傷つけられた怒りを燃やすティランと、帝国の威信をかけるタイタン。
パワーとパワーの真っ向勝負。
クロノスは観客席の最前列で、固唾を呑んで見守っていた。
その隣には、治療を終えてかろうじて意識を回復し、車椅子に乗ったリゼの姿もある。
「行けぇぇぇッ! ティランッ!!」
「仇を取ってくださいぃぃッ!」
二人の声援を受け、ティランが吠える。
マグマよりも熱い、女たちの戦いが始まろうとしていた。
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