第22章 空を統べる翼と、地を砕く紅蓮
ドラゴニア帝国、王立闘技場。
予選から中一日を挟み、ついに本戦トーナメントの日がやってきた。
空は突き抜けるような快晴。だが、会場の空気は張り詰めた糸のように鋭く、重い。
収容人数十万人を超える観客席は、立錐の余地もないほど埋め尽くされていた。
予選の熱狂とは違う。今日集まっているのは、単なる娯楽を求める民衆だけではない。
各国の重鎮、貴族、軍の上層部。
彼らの視線は、フィールドの中央に注がれている。
「――諸君! 待たせたな!」
ロイヤルボックスのテラスに、女帝スカーレット・ドラゴニアが姿を現した。
真紅のドレスに、覇王の証である竜骨のマント。
彼女が手を掲げた瞬間、十万人の喧騒がピタリと止んだ。
絶対的なカリスマ。
「今日、ここで最強が決まる。私の夫となり、帝国の未来を担う者が決まる。……存分に殺し合い、その命の輝きを私に捧げなさい!」
ワアァァァァァァッ!!!!
地鳴りのような歓声が爆発した。
銅鑼の音が打ち鳴らされ、祭りの始まりを告げる。
選手控え室。
ナイトレイ家の面々は、モニター越しにその光景を見ていた。
「……相変わらず、派手な演出ねぇ」
「悪趣味です。主人の婚活を殺し合いにするなんて」
ヴネナンとノクトが毒づく。
だが、その表情に緊張はない。予選を勝ち抜いた自信と、クロノスとの絆が、彼女たちを強くしている。
「いよいよだな」
俺――クロノス・ナイトレイは、隣で準備運動をしている赤髪の戦士に声をかけた。
第一試合の出場者。
『剛剣』ティラン。
彼女は愛用のバスターソードを背負い、不敵な笑みを浮かべている。
「おうよ! 待ちくたびれたぜ!相手は四天王だろ? 最高の獲物じゃねぇか」
「油断するなよ。相手は『天翼将』ガルーダ。空を飛ぶ敵だ」
「へっ、関係ねぇよ。叩き落として、焼き鳥にしてやる」
ティランは拳をパキパキと鳴らした。
その体からは、抑えきれない闘気が陽炎のように立ち昇っている。
頼もしい背中だ。
「行ってくるぜ、坊主!
ナイトレイ家の切り込み隊長として、ド派手な一勝をもぎ取ってきてやるよ!」
「ああ。行ってこい!」
ティランは俺と拳を合わせると、颯爽とゲートへと向かっていった。
その足取りに迷いはない。
彼女は知っている。自分が勝つことが、俺への最大の援護になることを。
フィールドへのゲートが開く。
眩い光と共に、ティランが闘技場の中央へと歩み出た。
『さあ、注目の第一試合!
西の入場ゲートより現れしは、予選Cブロックを圧倒的な破壊力で制した、炎の女戦士!
ナイトレイ家所属、ティラァァァン!!』
実況の声に合わせ、観客席の一部(主にナイトレイ領から来た応援団)から歓声が上がる。
だが、大半はブーイングか、冷ややかな視線だ。
ここは敵地。アウェイの洗礼は続いている。
『対するは、東の入場ゲート!ドラゴニア帝国最強の四天王が一角! 空を統べる美しき猛禽!天翼将、ガルーダァァァッ!!』
爆発的な大歓声。
東の空から、一つの影が舞い降りた。
巨大な翼。
人の姿をしているが、背中には鷲のような翼が生え、手足は鋭い鉤爪になっている。
鳥人族の上位種。
その体は、艶やかな羽毛と、鋼鉄のような筋肉で覆われていた。
そして何より目を引くのは、その美貌だ。
猛禽類を思わせる鋭い目つきと、豊満な肢体。露出度の高い鎧は、彼女の自信の表れだろう。
「……フン。地を這う虫ケラが、私の対戦相手か?」
ガルーダは上空十メートルの位置で静止し、ティランを見下ろした。
その目は、完全に相手を舐めきっている。
「降りてきな、鳥女。首の骨をへし折ってやるからよ」
ティランが大剣を肩に担ぎ、挑発する。
ガルーダは鼻で笑った。
「野蛮なオークのようね。知性のかけらも感じられない。いいでしょう。スカーレット陛下への生贄として、その汚い血を大地に吸わせてあげるわ」
ガルーダが翼を広げた。
その翼長は五メートルを超える。
風が巻き起こり、砂塵が舞う。
『両者、構えて!第一試合、開始ッ!!』
銅鑼の音が響いた瞬間。
ガルーダの姿が消えた。
「――ッ!?」
ティランが反応するより早く、彼女の肩口から鮮血が噴き出した。
「ぐっ!?」
見えなかった。
ガルーダは風魔法で加速し、すれ違いざまに鉤爪で切り裂いたのだ。
「遅い、遅いぞ!
地を這う鈍重な亀め!」
ガルーダは旋回し、再び上空へと舞い上がった。
一撃離脱。
ヒット・アンド・アウェイ。
飛行能力を持つ者が、地上戦力に対して取る、最も卑怯で、最も有効な戦術だ。
「クソッ、速ぇな……!」
ティランは傷口を押さえ、空を睨んだ。
傷は浅い。だが、屈辱的だ。
相手は空中にいる。こちらの大剣は届かない。
「どうした? 吠えるだけか?なら、こちらから行くぞ!」
ガルーダが翼を羽ばたかせた。
無数の羽毛が抜け落ち、空中で硬質化して鋭利な刃となる。
【風魔法・千の羽雨】
ヒュヒュヒュヒュンッ!!
刃の雨が降り注ぐ。
ティランは舌打ちし、大剣を盾にして防御した。
ガガガガガッ!!
金属音が連続して響く。
防ぎきれない羽が、ティランの腕や足を掠め、切り裂いていく。
「ハハハハハ! 踊れ、踊れ!
無様なダンスを見せてみろ!」
ガルーダの高笑いが響く。
一方的だ。
ティランは防戦一方。攻撃する手段がない。
魔法を使えば迎撃できるかもしれないが、ティランの得意な炎魔法は近距離での爆発力に特化しており、高空を高速で飛び回る標的を撃ち落とすには射程と精度が足りない。
「おいおい、どうしたんだよチャンピオン!予選の威勢はどうした? 飛べない豚はただの肉塊か?」
観客席から野次が飛ぶ。
ドラゴニア帝国の国民にとって、空を飛ぶ者は絶対的な強者であり、地上の戦士は一段劣る存在なのだ。
その侮蔑の視線が、ティランのプライドを逆撫でする。
「……チッ、うるせぇな」
ティランは小声で毒づき、大剣の陰からガルーダを睨みつけた。
焦りはない。
彼女の瞳の奥で燃えているのは、敗北への恐怖ではなく、逆転の機会を窺う冷静な闘志だ。
(高く飛びやがって……。だが、降りてこなきゃトドメは刺せねぇはずだ)
ガルーダの攻撃は確かに速く、鋭い。だが、決定打に欠ける。
千の羽雨も、かすり傷を増やすだけで、ティランの強靭な肉体を砕くには至らない。
ガルーダもそれが分かっているはずだ。
だから、必ず仕掛けてくる。
焦れて、大技を放つために近づいてくる瞬間が、必ずある。
「……まだだ。もっと引きつけろ」
ティランは防御に徹し、嵐のような攻撃を耐え忍んだ。
体中が傷だらけになり、血が流れる。
だが、その足は一歩も引いていなかった。
岩盤のように地面に根を張り、虎視眈々と上空の獲物を狙う猛獣の姿。
大剣のグリップを握る手が、ギリギリと音を立てる。
攻防が十分ほど続いた頃。
ガルーダの動きに変化が現れた。
「……しぶといわね」
ガルーダは上空でホバリングし、苛立ちを露わにした。
いくら攻撃しても倒れないティランに、業を煮やし始めたのだ。
彼女はプライドが高い。圧倒的な力の差を見せつけ、無様に命乞いをさせて殺すつもりだったのに、相手は目も死んでいないどころか、不敵な笑みさえ浮かべている。
「いいでしょう。そんなに死に急ぐなら、望み通りにしてあげるわ」
ガルーダがさらに高度を上げた。
地上五十メートル。
彼女は両手を広げ、膨大な風の魔力を集束させ始めた。
「天空より降り注ぐは、断罪の嵐。
我が翼にて、全てを塵と化せ!」
大気が悲鳴を上げる。
ガルーダの周囲に、巨大な竜巻が発生した。
それはただの風ではない。無数の真空の刃を含んだ、破壊の嵐だ。
スタジアムの上空に、黒い渦が出現する。
【戦略級風魔法・天覇・螺旋暴風】
「消えなさい! 地上のゴミ屑!!」
ガルーダが腕を振り下ろすと同時に、巨大竜巻がティランめがけて降下を開始した。
ゴオオオオオオッ!!!!
轟音と共に、地面が削り取られていく。
逃げ場はない。
闘技場全体を飲み込むほどの広範囲攻撃。
直撃すれば、肉体など容易くミンチになるだろう。
「……来たな」
ティランはニヤリと笑った。
待っていた。
相手が慢心し、最大火力を放つために足を止める、この瞬間を。
彼女は持っていた大剣を、地面に突き刺した。
諦めたのではない。
これから行う動作のために、邪魔になるからだ。
「なぁ、鳥女。教えてやるよ」
ティランは深く腰を落とし、全身の筋肉をバネのように収縮させた。
体内の魔力回路を開く。
普段なら、炎の魔力を外に放出する(爆発させる)使い方しかしない。
だが今は違う。
魔力を内側に。筋肉の繊維一本一本に浸透させ、圧縮し、爆発の予兆を封じ込める。
イメージするのは、クロノスの背中。
あの細い体から放たれる、信じられないほどの爆発力。
ティランの全身から、赤い蒸気が噴き出した。
筋肉が異常に膨張し、血管が蛇のように浮き上がる。
鎧が軋み、地面が重圧でひび割れる。
「重力ってのはな、空を飛ぶためだけにあるんじゃねぇんだよ」
彼女の脳裏に、クロノスとの修行の日々が蘇る。
泥まみれになって殴り合った夜。
彼が言った言葉。
『限界なんてのは、脳が勝手に決めたリミッターだ。
壊れる覚悟があれば、人はどこへだって行ける』
そうだ。
飛べないなら、跳べばいい。
翼がないなら、脚を翼に変えればいい。
【身体強化・暴走】
カッ!!!!
ティランの全身から、紅蓮の光が炸裂した。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
爆音が轟いた。
ティランが地面を蹴った瞬間、闘技場の石畳が広範囲にわたって陥没し、巨大なクレーターが出来上がった。
その反作用で、赤い彗星が空へ打ち上げられた。
「なッ!?」
ガルーダが目を見開く。
彼女の放った竜巻の中を、ティランが突っ切ってきたのだ。
風の刃がティランの体を切り裂く。皮膚が裂け、血が飛ぶ。
だが、彼女は止まらない。
体から噴き出す炎の魔力が、風を相殺し、推進力となっている。
人間ロケット。
自らの体を砲弾とした、捨て身の突撃。
「馬鹿な……!? 人間が、この高さまで……!?」
ガルーダは高度五十メートルにいた。
跳躍だけで届くはずがない高さだ。
だが、ティランは届いた。
彼女の脚力と、魔力爆発の推進力が、物理法則をねじ伏せたのだ。
「捕まえたぜ、小鳥ちゃん!!」
竜巻を突き破り、ティランがガルーダの目の前に現れた。
全身傷だらけで、血まみれ。
だが、その顔は最高に楽しそうに笑っていた。
獰猛な獣の笑み。
「ひっ……!?」
ガルーダが初めて恐怖に顔を歪めた。
逃げようとする。
だが、遅い。
ガシッ!!
ティランの左手が、ガルーダの足首を掴んだ。
万力のような握力。
骨がきしむ音が聞こえる。
「離せ! 離しなさいよ野蛮人!」
「逃がすかよ。……ここからは俺の土俵だ」
ティランは空中で体を捻った。
右手の拳を、限界まで引き絞る。
魔力を一点に集中。
炎が螺旋を描いて腕に纏わりつく。
「空が自慢なんだろ? なら、地面の味も教えてやるよ!」
ティランはガルーダを引き寄せ、その鳩尾に拳を叩き込んだ。
【爆砕・流星拳】
ズドォォォォンッ!!
空中で爆発が起きた。
ガルーダの体が「く」の字に折れ曲がり、目玉が飛び出るほどの衝撃が走る。
内臓が破裂しそうな激痛。
そして、彼女は翼をもがれた鳥のように、真下へと弾き飛ばされた。
ヒュオオオオオッ……!!
落下。
ガルーダは受け身を取ることもできず、音速で地面に激突した。
ドッガァァァァァァン!!!!
闘技場の中央に、巨大な土煙が舞い上がる。
地響きが観客席を揺らし、悲鳴が上がる。
地面が波打ち、観客席の壁に亀裂が入るほどの衝撃。
遅れて、ティランが着地した。
ドスン。
彼女は膝をつき、荒い息を吐いた。
全身から血が流れている。足の骨もヒビが入っているかもしれない。
だが、彼女は立ち上がった。
煙が晴れる。
クレーターの中心で、ガルーダは白目を剥いて倒れていた。
自慢の翼は折れ、鎧は砕け散っている。
ピクリとも動かない。
完全なるKO。
「……ふぅ。焼き鳥一丁、上がりだ」
ティランは煤けた顔を拭い、ニカっと笑った。
一瞬の静寂。
そして。
ワアァァァァァァァッ!!!!
闘技場が揺れるほどの大歓声が爆発した。
四天王の一角が、正面からの力勝負で敗れた。
空の王者が、地に堕ちた。
その衝撃と興奮が、観客たちを熱狂させた。
「勝者、ナイトレイ家、ティラン選手ぅぅぅ!!」
ティランは片手を突き上げ、歓声に応えた。
そして、すぐにVIP席の方を向いた。
そこには、身を乗り出して喜ぶクロノスの姿があった。
「やったな、ティラン!」
「すごいですっ!」
「あらぁ、派手にやったわねぇ」
「……治療費、かさむ」
仲間たちの笑顔。
ティランはそれを見て、満足げにVサインを送った。
(見たか、坊主。俺はもっと強くなれる。お前の隣に立つために)
彼女はふらつく足で、退場ゲートへと歩き出した。
その背中は、以前よりも一回り大きく、頼もしく見えた。
ナイトレイ家の初戦は、劇的な勝利で幕を開けた。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
残る四天王、そして謎の『銀色の処刑人』。
戦いは激しさを増していく。
――第二試合。
『海竜将』リヴァイア VS 『毒姫』ヴネナン。
水と毒。
陰湿で、致命的な女同士の戦いが、始まろうとしていた。
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