第21章 断末魔の宴と、銀色の慈悲
ドラゴニア帝国、王立闘技場。
予選全ブロックの試合が終了し、会場は一時的な休息……には包まれていなかった。
むしろ、予選の熱気など生ぬるく感じるほどの、どす黒い狂気と興奮が渦巻いていた。
本戦出場者が決定した後、女帝スカーレット・ドラゴニアの「余興」が始まったからだ。
それは、帝国の力を誇示し、敗者たちへの見せしめを行うための、一方的な殺戮ショーだった。
「ひぃっ、助けて……! お願いします、許して……!」
「ママ……ママぁ……!」
広大なフィールドに放り出されたのは、数百人の「敗者」たちではない。
帝国の地下牢から引きずり出された、奴隷の男たちだった。
足枷を嵌められ、武器も持たされず、ただ逃げ惑うことしかできない弱者たち。
その中には、まだあどけない少年の姿も混じっていた。
「ギャハハハハ! 逃げろ逃げろぉ! 狩りの時間だァ!」
彼らを追い立てるのは、ドラゴニア帝国が誇る最強戦力、『帝国四天王』の三名。
彼らは予選には参加せず(参加すれば試合にならないため)、この「余興」のために力を温存していたのだ。
西の大地を砕く『剛力将』、タイタン。
身長三メートルを超える巨躯のオーガ族の女戦士。
筋肉の鎧を纏ったその肉体は、岩盤のように硬く、手にした巨大な戦鎚を小枝のように振り回している。
「潰れなァァァッ!!」
ドグシャァッ!!
一撃で、数人の奴隷が肉塊へと変わる。悲鳴すら上げる間もない。
彼女が足を踏み鳴らすだけで地面が陥没し、衝撃波で周囲の人間が吹き飛ぶ。
東の空を統べる『天翼将』、ガルーダ。
背中に虹色の翼を持つ、鳥人族の女王。
妖艶な美女の顔立ちをしているが、手足は鋭利な鉤爪となっており、空から矢のように急降下する。
「遅い、遅いわよ! 地を這う虫ケラどもめ!」
彼女の鉤爪が閃くたびに、逃げ惑う男たちの首が飛ぶ。
血の雨が降り注ぎ、観客席からは歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
南の海を支配する『海竜将』、リヴァイア。
青い肌を持つ半魚人の女が、水魔法で生成した高圧の水カッターで、獲物を切り刻んでいく。
「汚らわしい雄の血ね。私の水で洗い流してあげるわ」
冷酷な笑み。
慈悲などない。
これは「強さ」の証明ではない。ただの「処分」であり、帝国における「男の価値」を観衆に刷り込むための儀式だった。
男は弱い。男は家畜。男は消耗品。
その絶望的な常識が、血と暴力によって再生産されていく。
フィールドは、瞬く間に地獄絵図と化した。
逃げ場のない檻の中で、泣き叫ぶ子供の声が、肉が潰れる音にかき消されていく。
目を背けたくなるような光景。
だが、観客たちは熱狂していた。帝国の歪んだ教育によって、弱者が蹂躙される姿に快感を覚えるように洗脳されているのだ。
その惨劇の中で、ただ一人。
異質な動きをする者がいた。
全身を継ぎ目のない銀色の甲冑で包んだ騎士。
先日の粛清で空席となった『幻魔将』の座を継いだ、新入り(ルーキー)。
『銀色の処刑人』。
四天王のうち、タイタン、ガルーダ、リヴァイアは全員女性だ。
女尊男卑のこの国において、それは当然の配置。
だが、この銀色の騎士だけは、その体格と鎧の形状から「男性」であると認識されていた。
それこそが、彼が女帝スカーレットの特別な「お気に入り」である証拠だと、誰もが噂していた。
騎士は、殺戮の嵐が吹き荒れるフィールドの中央を、静かに歩いていた。
手には身の丈ほどもある大剣が握られている。
だが、その刃には血が一滴もついていなかった。
「……あ、あぁ……」
一人の少年奴隷が、転んで騎士の足元に倒れ込んだ。
少年は震えながら見上げる。
銀色の巨人。死を運ぶ処刑人。
終わった。殺される。
少年が絶望に目を閉じた、その時。
ブンッ。
大剣が振られた。
だが、肉を裂く感触はない。
騎士は、剣の腹(側面)で、少年の体を軽く弾き飛ばしたのだ。
「うわっ!?」
少年はコロコロと転がり、フィールドの端にある「脱落者エリア(死体置き場)」へと滑り込んだ。
気絶したが、生きている。
五体満足だ。
「……次」
騎士は無機質な声で呟き、次の獲物へ向かう。
襲いかかってくるパニック状態の奴隷たちを、あるいは逃げ惑う者たちを。
騎士は一人として殺さなかった。
剣の峰で打ち据え、あるいは手加減した拳で腹を打ち、気絶させていく。
一見すると、無慈悲に殴り倒しているように見える。
だが、その実、致命傷は一つもない。
「……チッ。相変わらず甘いな、新入り」
その様子を、空から見ていたガルーダが鼻で笑った。
「殺せと言われているのに、気絶させるだけとは。陛下のお慈悲を無駄にするつもりか? それとも、血を見るのが怖いのかしら?」
ガルーダが挑発するが、騎士は無視して作業を続ける。
淡々と。機械的に。
だが、その行動は、この地獄における唯一の「救い」だった。
騎士が通った後には、死体の山ではなく、気絶して眠る者たちの山ができる。
それは、狂った宴に対する、静かなる抵抗のようにも見えた。
そんな騎士の態度を、快く思わない者がいた。
フィールドの隅で、獲物を探していた女戦士だ。
彼女は帝国の親衛隊長であり、四天王の座を狙っていた実力者だった。
だが、その座は、ぽっと出の「どこの馬の骨とも知れない男(と思われている騎士)」に奪われた。
「おい! 銀色!」
女戦士が、血濡れの剣を提げて騎士の前に立ちはだかった。
彼女の目は嫉妬と怒りで血走っている。
「テメェ、何いい子ぶってんだ?ここは処刑場だぞ! 殺せよ! 内臓を撒き散らせよ!陛下が見ている前で、そんな温い戦い方をして……恥ずかしくないのか!」
騎士は足を止めた。
兜の奥から、冷ややかな視線を向ける。
「……私のやり方に、口を出すな」
加工された低い声。
それが余計に女戦士の癇に障った。
「あぁん!? 生意気なんだよ!つい最近四天王になったからって調子乗ってんじゃねーぞ!顔も出せねぇ臆病者が! 陛下の寵愛を受けてるからって!」
ブチッ。
女戦士の中で何かが切れた。
彼女は本来の獲物(奴隷)を放置し、殺意の矛先を騎士に向けた。
背後から斬りかかる。
「死ねやぁッ!!」
本気の斬撃。
強化魔法でブーストされた速度は、音速に近い。
無防備な背中。
斬れる。首が飛ぶ。
誰もがそう思った。
だが。
ヒュンッ。
騎士の姿が、陽炎のように揺らいだ。
女戦士の剣が空を切る。
手応えがない。
「なッ……!?」
女戦士がバランスを崩してつんのめる。
その視界の端に、銀色の影が映った。
騎士は、一歩も動いていないように見えた。
ただ、上半身をわずかに逸らし、剣の軌道を紙一重で見切っただけ。
最小限の動き。洗練された回避。
「……遅い」
騎士が呟く。
次の瞬間、裏拳が女戦士の顔面を捉えた。
ガゴォォォッ!!
鈍い音が響き、女戦士の兜がひしゃげた。
彼女はコマのように空中で回転し、地面に叩きつけられた。
白目を剥いて痙攣している。
一撃。
それも、武器すら使わない、ただの裏拳で。
「……雑音が消えた」
騎士は何事もなかったかのように、再び歩き出した。
その背中には、圧倒的な「強者の余裕」が漂っていた。
もはや、誰も彼女に手を出そうとはしなかった。
四天王としての格の違いを、無言のうちに見せつけたのだ。
ロイヤルボックスからその様子を見ていたスカーレットは、妖艶に唇を舐めた。
「……ふふ。相変わらず、私の騎士は優秀ね。
雑魚には目もくれない。その高潔さ(プライド)……嫌いじゃないわ」
彼女にとって、騎士が奴隷を殺そうが生かそうが、どちらでもよかった。
重要なのは「強い」こと。
そして、自分の命令を遂行できることだけだ。
やがて、悲鳴が止んだ。
フィールドには、動く者はいなくなった。
半分は死体となり、半分は気絶して転がっている。
地獄の宴の終了だ。
会場の照明が落とされ、スポットライトが中央のアナウンス席を照らし出した。
『――以上をもちまして!本日の「前夜祭」及び、予選トーナメント全日程を終了いたします!』
アナウンサーの声が響き渡る。
観客たちは、血の匂いに興奮しながら歓声を上げた。
『それでは! 栄えある本戦出場者、ベスト16の発表です!明後日より行われる本戦トーナメント!優勝し、女帝陛下の伴侶となるのは誰か!?運命のトーナメント表が、今、明かされます!』
ドォォォォン!!
空中に巨大な魔法スクリーンが出現した。
そこに、勝ち残った16名の名前と、対戦カードが表示される。
【第一試合】
『天翼将』ガルーダ VS 『剛剣』ティラン
【第二試合】
『海竜将』リヴァイア VS 『毒姫』ヴネナン
【第三試合】
『剛力将』タイタン VS 『風神』リゼ
……会場がざわめく。
初戦から、帝国四天王とナイトレイ家の主力がぶつかるカードだ。
偶然ではない。明らかに仕組まれた組み合わせ。
そして、スクリーンの中央に、クロノスと銀色の騎士の名前が表示されようとした、その時だった。
「――待て! 対戦カード、私も出る!」
凛とした声が、会場全体に響き渡った。
ロイヤルボックスから、スカーレットが身を乗り出していた。
彼女はワイングラスを片手に、不敵な笑みを浮かべている。
『へ、陛下!? ど、どういうことでしょうか!?』
「言葉通りよ。見ていただけでは退屈だわ。私も少し体を動かしたくなったの」
会場がどよめく。
女帝自らがトーナメントに参加する?
クロノスたちも例外なく驚き、目を見開いた。
「私の対戦相手は――そうだな」
スカーレットの視線が、観客席にいるナイトレイ家の面々を舐めるように移動する。
そして、ある二人のところで止まった。
「コンビで勝った……あぁ。ノグル? レクト? 名前はどうでもいい。そ奴らと戦う。二人でかかってこい」
彼女が指差したのは、ノクトとレグルだった。
「なッ……!? 私たちを!?」
レグルが驚愕の声を上げる。
ノクトも眉をひそめた。
『し、しかし陛下! 本戦は一対一が基本で……!』
「ルールは私が決める。それとも、私の命令に背くのかしら?」
スカーレットがギロリとアナウンサーを睨む。
アナウンサーは悲鳴を上げて首を振った。
『い、いえ! 直ちに変更いたします!
緊急決定! 第四試合!
女帝スカーレット VS ノクト&レグル(タッグ)!!』
会場が割れんばかりの歓声に包まれる。
クロノスは拳を握りしめた。
「スカーレット……! 俺の仲間を狙う気か!」
「……クロノス様、落ち着いてください」
レグルが眼鏡を光らせ、冷静に言った。
その瞳には、すでに戦術家の光が宿っていた。
「これは、チャンスかもしれません」
「チャンス?」
「はい。スカーレット様の実力は未知数。ですが、私たちが戦うことで、その手の内を暴くことができます。
それに、もし私たちが彼女を消耗させ、あわよくば倒すことができれば……」
「クロノス様が戦う前に、最大の障害を排除できる」
ノクトが言葉を継いだ。
二人は顔を見合わせ、頷いた。
「受けましょう、その挑戦。クロノス様のために、私たちが道を切り開きます」
スクリーンに新たな対戦カードが刻まれる。
【第五試合】 『銀色の処刑人』 VS 『ナイトレイ家当主』クロノス・ナイトレイ
そして、その前に行われる、女帝とのタッグマッチ。
運命の歯車が、大きく狂い始めた。
クロノスは、スクリーンの向こう、銀色の鎧の名前を見つめた。
『銀色の処刑人』。
予選の最後に目が合った、あの騎士。
そして、今目の前で行われていた殺戮の中で、唯一「不殺」を貫いていた異端者。
(……お前は、何者だ?)
敵か、味方か。
それとも、スカーレットとは違う目的を持つ、第三勢力か。
答えは、戦いの中でしか見つからない。
「……行こう。今日はゆっくり休んで、明後日に備える」
俺たちは席を立った。
背後には、興奮冷めやらぬ闘技場。
そして、高みから見下ろすスカーレットの視線を感じながら。
予選は終わった。
ここからは、一歩間違えば死ぬ、本物の殺し合い(トーナメント)だ。
ナイトレイ家の真価が、今試される。
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