第20章 双月の輪舞曲と、水底への誘い
予選最終試合、Eブロック。
ヴネナンの衝撃的な勝利から数時間後。会場の熱気は冷めるどころか、さらにヒートアップしていた。
次なる舞台は、これまでとは一風変わった趣向が凝らされていた。
直径五十メートルの円形闘技場。
その周囲を、幅十メートル、深さ不明の「水堀」が囲んでいる。
さらに、水面からは時折、凶暴な水棲魔獣が顔を覗かせていた。
落ちれば即座に魔獣の餌食。
逃げ場のない、孤島のデスマッチだ。
アナウンスが響き渡る。
『――本予選Eブロックは、特別ルールを適用いたします!
形式は「タッグマッチ」! 二人一組でのエントリーを推奨いたします!
もちろん、自信のある方は単独での参加も可能です!
最後まで立っていたチーム、または個人のみが、本戦への切符を手にします!』
会場がどよめく。
タッグマッチ。連携力が勝敗を分けるルールだ。
控え室。
ノクトは無言で装備の点検をしていた。
いつものメイド服だが、スカートのスリットからは無数の暗器が覗いている。
手には愛用のチェーンハンマー。
「……一人で行く」
彼女は小さく呟いた。
その表情はいつになく硬い。
昨夜のティランとの飲み比べで少し羽目を外しすぎたのか、あるいはクロノスを守るという使命感が空回りしているのか。
彼女は自分一人で全てを背負い込もうとしていた。
「どんなに敵がいようと、倒すだけです。主人の敵は、私が全て排除する」
ノクトが立ち上がり、出口へと向かおうとした時。
そっと、彼女の肩に手が置かれた。
「ノクト。気負いすぎですよ」
振り返ると、そこにはレグルが立っていた。
銀髪をアップにまとめ、動きやすい戦闘用のタイトスカートを身につけている。
手には二振りの短剣。
「レグル……?」
「今回のルールはタッグマッチです。一人で背負う必要はありません」
レグルは優しく微笑んだ。
「一緒に行きましょう。私たちは『四律師』と『冥土』。ナイトレイ家の両輪です。私たちが組めば、向かうところ敵なしでしょう?」
「……でも、貴女は指揮官。前線に出るのはリスクが」
「あら、クロノス様との模擬戦を忘れたのですか?私も、少しは体が動くようになったんですよ」
レグルは短剣を鮮やかに回してみせた。
あの日、クロノスと三人で戦った夜明け前の記憶。
あの時、確かに感じた連携の手応え。
ノクトの瞳が揺れる。
そして、小さく頷いた。
「……分かった。背中は任せる」
「ええ。貴女の死角は、私が守ります」
二人は顔を見合わせ、頷き合った。
最強のメイドと、最強の秘書。
ナイトレイ家が誇る、静寂と冷徹のコンビが結成された瞬間だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
開始の銅鑼が鳴り響く。
円形闘技場には、五十組、計百名の戦士たちがひしめき合っていた。
傭兵コンビ、魔術師と騎士のペア、双頭の巨人を操る使い手など、多種多様な敵がいる。
「さあ、始めましょうか。掃除の時間です」
ノクトがチェーンハンマーを振り回し始めた。
ブンッ、ブンッ、ブンッ……!
鉄球が風を切る音が、周囲の敵を威圧する。
「行くぞ! あのメイドたちを狙え!」
「……ちっ、なんで俺たちがこんな……」
数組の男たちが、悲痛な叫び声を上げながら襲いかかってきた。
彼らの首には太い首輪が嵌められ、足首には重い鉄球が繋がれている。
奴隷だ。あるいは、借金や犯罪で無理やり参加させられた「捨て駒」たち。
彼らは武器を構えているが、その手は震え、瞳は絶望に染まっている。
この世界において、男性が女性戦士に勝てる道理はない。それは彼らが一番よく知っている。だが、後ろに引けば処刑される。前に進むしかなかった。
「……不快」
ノクトが一歩踏み出した。
弱者を盾にするようなやり方、そして弱者であることを強いられる男たちの姿。
それが、彼女の神経を逆撫でする。
「眠りなさい」
ズドォォンッ!!
ノクトが鉄球を投擲する。
慈悲などない。彼らを苦しみから解放する唯一の手段は、迅速な死のみ。
先頭の男の盾ごと、その胴体が粉砕された。
男はボールのように吹き飛び、後続の仲間を巻き込んで水堀へと落下した。
バシャーン!
直後、水面から巨大なワニのような魔獣が飛び出し、彼らを丸呑みにした。
「ひぃっ!?」
「次」
ノクトは手を休めない。
鎖を自在に操り、変幻自在の軌道で鉄球を走らせる。
右の敵の頭蓋を砕き、左の敵の足を払い、正面の敵を絞殺する。
まさに鬼神の強さ。
だが、敵も馬鹿ではない。
ノクトの攻撃が大振りなのを見て取り、その隙間を縫って懐に入り込もうとする者がいた。
敏捷性に優れた盗賊コンビだ。彼らもまた、必死の形相をしている。
「もらったぁ! 背中がガラ空きだぜ!」
二人の盗賊が、ノクトの死角から短剣を突き出す。
ノクトは鉄球を遠くに投げているため、回収が間に合わない。
絶体絶命。
――キィンッ!!
金属音が二回、ほぼ同時に響いた。
盗賊たちの短剣が、何かに弾かれたのだ。
「え?」
彼らが驚愕する目の前に、銀色の影が割り込んでいた。
レグルだ。
彼女は二振りの短剣を構え、涼しい顔で立っていた。
「……私のパートナーに、気安く触れないでいただけますか?」
レグルが舞った。
流れるような連撃。
右の短剣で喉を切り裂き、左の短剣で心臓を貫く。
無駄のない、秘書業務のような正確無比な仕事ぶり。
「がっ……!?」
盗賊たちは声もなく崩れ落ちた。
「……ナイス」
「お任せを。ノクトは遠距離を。接近する羽虫は私が落とします」
阿吽の呼吸。
ノクトが広範囲を薙ぎ払い、撃ち漏らした敵や、死角から迫る敵をレグルが処理する。
遠近一体の完璧な布陣。
二人の周囲には、近づくことさえできない「死の領域」が形成されていた。
「つ、強すぎる……!」
「あのコンビ、隙がねぇぞ!」
他の参加者たちが戦慄し、距離を取ろうとする。
だが、狭い円形闘技場に逃げ場はない。
ジリジリと追い詰められ、次々と水堀へと叩き落とされていく。
開始から数十分。
参加者の数は大幅に減り、フィールドは血と死体で溢れていた。
ノクトとレグルは、汗一つかかずに中央に立っていた。
「……順調」
「ええ。ですが、油断は禁物です」
その時だった。
ヒュンヒュンヒュンッ!!
鋭い風切り音と共に、三方向から同時に矢が放たれた。
狙いはノクト。
しかも、ただの矢ではない。爆発の魔力が込められた魔導矢だ。
「ッ!?」
ノクトは鉄球を回転させて防御しようとしたが、矢の軌道が空中で変化した。
ありえない角度で曲がり、防御の隙間を抜けてくる。
ドォォォンッ!!
足元で爆発が起きた。
ダメージはないが、衝撃でノクトの体が浮く。
バランスを崩した彼女に、さらなる追撃が迫る。
「今だ! 落とせ!」
影から飛び出したのは、三人の重戦士だった。
彼らは巨大な盾を構え、タックルの体勢でノクトに突っ込んできた。
ノクトは空中にいるため、踏ん張りが効かない。
ガツォォォンッ!!
盾の衝撃が直撃する。
ノクトの小柄な体が、紙吹雪のように吹き飛ばされた。
向かう先は――水堀。
魔獣が口を開けて待っている、死の水面。
「――ノクトッ!!」
レグルが叫んだ。
彼女は躊躇なく駆け出した。
間に合うか?
いや、距離がある。走っても間に合わない。
ノクトの体が、崖の縁を越える。
水面が迫る。
(……ここまで、か)
ノクトが諦めかけ、目を閉じた瞬間。
ガシッ!!
手首を、強い力で掴まれた。
目を開けると、そこには必死の形相で手を伸ばすレグルの姿があった。
レグルは崖の縁ギリギリで踏ん張り、上半身を乗り出してノクトの腕を掴んでいた。
「離しません! 絶対に!」
「レグル……!」
だが、重戦士たちが追いついてくる。
無防備なレグルの背中に、剣を振り上げる。
「へっ! 一網打尽だ!」
「二人まとめて落ちろぉ!」
絶体絶命。
レグルは両手が塞がっている。回避も防御もできない。
「……クロノス様の秘書を、舐めないでください」
レグルは眼鏡を光らせ、ニヤリと笑った。
彼女はノクトの手を掴んだまま、自分の体を軸にして、思い切り回転した。
遠心力。
ノクトの体が空中に引き上げられ、振り回される。
「ノクト! 鉄球を!」
「……了解ッ!」
ノクトは空中で体勢を立て直し、チェーンハンマーを真横に薙ぎ払った。
レグルの回転と、ノクトのスイング。
二つの遠心力が合わさり、鉄球は音速を超えた。
ズバァァァァァァンッ!!!!
襲いかかってきた重戦士たちが、盾ごと上半身を粉砕された。
肉片となって吹き飛び、水堀の彼方へ消えていく。
「……ふわり」
ノクトがレグルの隣に着地した。
二人の呼吸は乱れているが、その表情には強い信頼の色があった。
「……助かった。ありがとう」
「いいえ。……でも、少し肝が冷えましたよ」
レグルが苦笑する。
危機を脱した二人。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
拍手が聞こえた。
パチパチパチ……と、乾いた音が闘技場に響く。
「すごいすごい! あんな体勢から逆転するなんて!」
「お姉ちゃん、あいつら強いよ。今までの雑魚とは違うね」
声の主は、フィールドの反対側に立っていた二人組だった。
同じ顔、同じ背格好をした少女たち。
一人は燃えるような赤髪をショートにし、真紅の軽装鎧を着ている。
もう一人は冷たい青髪をロングにし、蒼穹の法衣を纏っている。
双子だ。
ドラゴニア帝国出身の天才双子剣士、『イグニス』と『アクア』。
「……君たちが最後だね」
「ここで君たちを倒せば、スカーレット様に褒めてもらえる!」
「軍に入れてもらえる! 将軍になれるかも!」
双子は無邪気に笑いながら、武器を構えた。
イグニスは二振りの炎の曲刀。
アクアは氷の杖と細剣。
物理と魔法、炎と氷。対極の属性を持つコンビネーション。
「……強い」
ノクトが呟いた。
直感が告げている。この双子、今までの敵よりも格段に強い。
魔力量も、身のこなしも、洗練されている。
「行くわよ、レグル」
「ええ。蹴散らしましょう」
最終決戦が始まった。
「ハァッ!」
「ヤァッ!」
双子が同時に仕掛けてきた。
イグニスが炎の斬撃を飛ばし、アクアが氷の足場を作って滑走する。
息の合った波状攻撃。
右を避ければ左から、上を防げば下から。
まるで鏡写しのように完璧に同期した動きに、ノクトとレグルは防戦一方となる。
「くっ、速い……!」
「連携の精度が……異常です!」
双子特有のテレパシーのような意思疎通。
言葉を交わさずとも、互いの意図を理解し、死角をカバーし合っている。
ノクトの鉄球はアクアの氷壁に阻まれ、レグルの短剣はイグニスの炎剣に弾かれる。
「あはは! どうしたの? もう終わり?」
「お姉ちゃん、こいつら口ほどにもないよ!」
双子が攻勢を強める。
徐々に、ノクトたちが追い詰められていく。
水際へ。
「……このままでは、ジリ貧です」
「……策はある」
ノクトが小声で言った。
レグルが目配せで応える。
二人の間にもまた、言葉はいらない絆がある。
「――今ッ!」
ノクトが突然、鉄球を手放した。
武器を捨てた!?
双子が驚き、一瞬動きが止まる。
その隙に、ノクトはスカートの裾を大きく翻した。
バサァッ!!
黒い布地が舞い、視界を遮る。
そして、その中から無数の銀光が放たれた。
シュシュシュシュシュッ!!
スカートの裏に仕込まれていた、大量の暗器。
それが散弾銃のように広範囲に射出された。
「なッ!? 汚い!」
イグニスが慌てて剣で弾こうとするが、数が多すぎる。
数本が腕や足に突き刺さる。
「痛っ……!」
イグニスが体勢を崩した。
コンビネーションの一角が崩れる。
その瞬間を、レグルは見逃さなかった。
「失礼しますッ!」
レグルがアクアに向かって突進した。
アクアは氷の壁を作ろうとするが、レグルはそれを飛び越え――ない。
スライディングで氷の下を潜り抜けた。
「え?」
アクアの足元に、レグルが滑り込む。
双短剣による、アキレス腱への十字斬り。
「きゃあぁっ!?」
アクアが悲鳴を上げて倒れる。
魔法使いが足を封じられれば、ただの的だ。
「アクア!」
イグニスが助けに行こうとするが、その前にはノクトが立ち塞がっていた。
手には、再び回収したチェーンハンマー。
「……よそ見は死ぬ」
ブンッ!!
鉄球が唸りを上げてイグニスの腹部に叩き込まれた。
「がはっ……!?」
イグニスが吹き飛び、アクアの上に重なるように倒れた。
二人は絡まり合い、動けない。
「……終わりです」
レグルとノクトが、倒れた双子を見下ろす。
双子は悔しそうに涙目で睨み返してくるが、体はもう動かない。
肺が潰れ、魔力も枯渇している。
「……つ、強い……」
「お姉ちゃん……ごめん……」
イグニスがアクアの手を握った。
アクアが握り返す。
その手が、力なく滑り落ちた。
光が消えるように、二人の瞳から生気が失われていく。ここは敗者が生き残れる甘い場所ではない。
二つの命が、静かに尽きた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
終了の鐘が鳴った。
フィールドに残ったのは、息を切らせながらも背中合わせに立つ、二人のメイド(と秘書)だった。
「勝者、チーム・ナイトレイ!!」
歓声の中、ノクトとレグルは顔を見合わせた。
服はボロボロ、髪も乱れているが、その表情は晴れやかだった。
「……やりましたね、ノクト」
「ん。……レグルのおかげ」
ノクトが珍しく素直に言った。
そして、そっと右手を差し出した。
レグルは驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに微笑み、自分の右手を重ねた。
パチンッ。
ハイタッチ。
二人の間に、確かな絆が結ばれた音。
「帰りましょう、クロノス様の元へ」
「……お腹すいた」
二人は肩を並べて歩き出した。
観客席では、クロノスたちが身を乗り出して手を振っているのが見えた。
こうして、予選Eブロックは幕を閉じた。
ナイトレイ家の「最強の盾」と「頭脳」が見せた、完璧な勝利。
これで、予選に参加した全員が本戦への切符を手にしたことになる。
だが、本当の戦いはこれからだ。
本戦には、予選を勝ち抜いた世界中の化け物たちが集結する。
そして何より、あの女帝スカーレットと、銀色の処刑人が待っている。
決戦まで、あと一日。
運命の歯車は、加速していく。
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