第17章 風の死神と、空からの鉄槌
王立闘技場、予選Bブロック。
フィールドは「森林」。
鬱蒼と茂る木々と、複雑な地形が特徴のエリアだ。
ここに集められた百人の参加者たちは、Aブロックとはまた違った種類の猛者たちだった。
「グオォォォッ!!」
雄叫びを上げるのは、身長3メートル近いギガント族の戦士。
全身を重装甲で固めたドワーフの重装歩兵団。
大木をへし折りながら進む、オークの狂戦士たち。
パワーとタフネスに特化した、重量級の怪物たちがひしめき合っている。
足音が響くたびに地面が揺れ、木々が震える。まさに怪獣大戦争の様相だ。
そんな、むせ返るような男臭さと獣臭さが充満する戦場に、あまりにも場違いな影が一つあった。
「わぁ~! 木がいっぱいですぅ! かくれんぼし放題ですねっ!」
大きなキャスケット帽を被り、フリルのついた可愛らしい服を着た少女。
『風音』のリーダー、リゼだ。
彼女は身の丈ほどもある巨大な大鎌を背負っているが、その華奢な体躯と愛らしい笑顔のせいで、まるでハロウィンの仮装をした子供のようにしか見えない。
「おい、見ろよあそこ」
「なんだあのガキ? 観客席から落ちてきたのか?」
「迷子じゃねぇか! 誰か保護してやれよギャハハ!」
周囲の巨漢たちが、リゼを見て嘲笑する。
彼らにとって、リゼは敵ですらない。ただの障害物、あるいは余興のための玩具だ。
「おい嬢ちゃん、怪我しないうちに帰んな。ここはオジサンたちの遊び場だぜ?」
一人のオークが、ニヤニヤしながらリゼに近づいた。
その太い指先が、リゼの頬に触れようとする。
「……ん?」
リゼはキョトンとした顔で見上げた。
その瞳には、恐怖など微塵もない。あるのは、純粋な好奇心と、そして――獲物を見定めた時の、冷徹な光。
「オジサン、遊んでくれるんですか?」
「おうよ、たっぷりと可愛がって……」
オークが言葉を続けようとした、その瞬間。
ヒュンッ。
風が吹いた。
ただそれだけ。
誰も動いていない。リゼの手も、背中の鎌も、微動だにしていない。
だが、次の瞬間。
「――あ?」
オークの視界がずれた。
天地が逆転し、ドサッという音と共に、自分の首のない胴体が倒れるのが見えた。
「え……?」
それが、オークの最後の思考だった。
首が転がる音だけが、静まり返った森に響いた。
「あれぇ? もう終わりですかぁ? 弱っちいですねっ」
リゼはニコニコと笑いながら、オークの死体を跨いだ。
その手には、いつの間にか小さな風の刃が生成され、指先でくるくると回されている。
「な、なんだ今の……!?」
「魔法か!? 詠唱もなしに!?」
周囲の戦士たちが色めき立つ。
だが、もう遅い。
スイッチは入ってしまった。
無邪気な死神の、虐殺ショーの開幕だ。
「それじゃあ、次は誰が遊んでくれますかぁ?
私、鬼ごっこが得意なんですっ! 捕まえられるかな~?」
リゼが軽やかにステップを踏むと、ふわりと体が浮き上がった。
重力を無視した浮遊。
彼女は木の枝に着地し、参加者たちを見下ろした。
「殺せ! あのガキを落とせ!」
「遠距離攻撃用意!」
ギガント族が岩を投げ、ドワーフがクロスボウを構える。
無数の投擲物がリゼに殺到する。
だが、リゼは動かない。
ただ、楽しそうに笑っているだけだ。
「風さん、お願いっ!」
彼女が呟くと、周囲の大気が渦を巻いた。
不可視の暴風壁。
岩も、矢も、魔法弾さえも、リゼに届く前に弾かれ、粉々に砕け散る。
「うそだろ……!?」
「物理攻撃が効かない!?」
「今度はこっちの番ですねっ!
――ウィンド・カッター・乱れ撃ちっ!」
リゼが両手を広げ、指揮者のように振るった。
ヒュヒュヒュヒュンッ!!
空気が裂ける音が連続して響く。
目に見えない何千もの刃が、嵐のように降り注ぐ。
「ぐあぁぁっ!?」
「み、見えない! どこから!?」
巨漢たちの鎧が、紙切れのように切り裂かれる。
鋼鉄の盾がバターのように切断される。
手足が飛び、血しぶきが舞う。
森は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「すごいすごい! みんなダンスしてるみたいですっ!」
リゼは枝の上でクルクルと回りながら、無邪気に喜んでいる。
彼女にとって、これは殺し合いではない。ただの遊びだ。
クロノスとの修行で培った、圧倒的な魔力操作と空間把握能力。
今の彼女は、風そのものと同化している。
「くそっ、空中にいるから狙いにくいんだ! 木を倒せ! 足場をなくせ!」
生き残った数人が、リゼの止まっている大木を攻撃し始めた。
ドゴォォン!
巨木が根元からへし折れ、轟音と共に倒れる。
「やったか!?」
「逃げ場はないぞ!」
彼らは勝利を確信した。
だが、倒れた木煙の中から聞こえてきたのは、悲鳴ではなく、鈴のような笑い声だった。
「あははっ! ジェットコースターみたいで楽しいですっ!」
煙を切り裂いて飛び出してきたのは、背中の大鎌を展開したリゼだった。
身の丈を超える巨大な刃。
風を纏い、青白く輝いている。
「でもぉ、木さんを虐めるのはメッ! ですよ?」
リゼが空中で急停止し、鎌を構えた。
その瞳が、スッと細められる。
「お仕置きの時間ですっ!」
彼女は音速を超えて急降下した。
【風鎌・神速一閃】。
目にも止まらぬ速さで敵陣の中を駆け抜ける。
通り過ぎた後に、遅れて衝撃波が発生する。
ズバババババッ!!
十数人の戦士たちが、同時に吹き飛んだ。
鎧ごと胴体を薙ぎ払われ(峰打ちだが、骨は折れている)、意識を刈り取られる。
「つ、強すぎる……!」
「化け物だ……!」
残った参加者たちは、恐怖に足を震わせ、後ずさりした。
彼らは理解したのだ。
この小柄な少女こそが、この森における食物連鎖の頂点であり、自分たちはただの餌に過ぎないことを。
開始から十分。
百人いた参加者は、すでに十数人にまで減っていた。
残っているのは、実力者たちだ。
彼らはリゼの脅威を認め、一時的に手を組んで対抗しようとしていた。
「円陣を組め! 死角をなくせ!」
「魔法障壁を展開! 風を防げ!」
重装歩兵たちが盾を構え、魔法使いが結界を張る。
亀のように強固な防御陣形。
リゼの斬撃も、幾重にも重ねられた障壁の前では威力が減衰する。
「むぅ……カチカチですねぇ。これじゃあ鎌が欠けちゃいます」
リゼは空中で頬を膨らませた。
クロノスとの修行でも、防御の固い相手には苦戦した。
だが、彼女は学んだのだ。
力押しが通じないなら、環境を利用すればいいと。
「クロノスさまが言ってました。『風は、押すだけじゃなくて、巻き上げることもできる』って!」
リゼはニカっと笑い、上空高くへと舞い上がった。
雲に届くほどの高さ。
そこから、眼下の敵陣を見下ろす。
「みなさ~ん! お空の旅へご招待しま~すっ!」
彼女は大鎌を頭上で旋回させ始めた。
ブンッ、ブンッ、ブンッ……!
回転速度が上がるにつれて、周囲の空気が渦を巻き始める。
小さなつむじ風が、次第に巨大な竜巻へと成長していく。
「な、なんだあれは!?」
「竜巻!? あんな巨大なものを!?」
地上の戦士たちが空を見上げ、絶望する。
彼らの頭上に、黒雲を巻き込んだ巨大なサイクロンが生成されていた。
森の木々が根こそぎ引き抜かれ、岩が宙に浮く。
「いきま~すっ!
秘技・【天災・砂塵旋風】!!」
リゼが鎌を振り下ろすと同時に、竜巻が地上へ襲いかかった。
ゴオオオオオオオオッ!!!!
天地を揺るがす轟音。
防御陣形など意味をなさない。
盾も、鎧も、人間も、すべてが風の渦に飲み込まれ、木の葉のように空高く巻き上げられた。
「うわあああああっ!!」
「助けてくれぇぇぇ!!」
悲鳴が遠ざかっていく。
数十人の屈強な男たちが、遥か上空まで打ち上げられ、星になった(キラーン)。
会場に砂塵が舞い、視界が遮られる。
やがて、風が止んだ。
更地になったフィールドの中央に、リゼがふわりと降り立った。
「……あちゃ~」
彼女は周囲を見渡し、テヘッと舌を出した。
「やりすぎちゃいました☆
クロノスさまに怒られちゃうかなぁ? 『また地形変えたのか』って」
彼女の足元には、誰一人立っていない。
完全勝利。
そう思われた、その時だった。
ズザザザ……ッ。
瓦礫の山が動き、一人の男が這い出してきた。
全身傷だらけだが、まだ意識がある。
巨漢のギガント族だ。彼は持ち前のタフネスで、竜巻の直撃に耐えたのだ。
「ぐ、ぐぅ……! クソガキが……!」
男はよろめきながら立ち上がり、隠し持っていた短剣を構えた。
リゼは背を向けている。油断している。
今なら殺せる。
「死ねぇぇぇッ!!」
男が最後の力を振り絞り、リゼの背中に襲いかかった。
だが。
「……あら?」
リゼの声が、冷たく響いた。
彼女は振り返りもしない。
ただ、背負っていた大鎌の柄を、軽く指で弾いただけだ。
ガキンッ!!
男の短剣が、見えない壁に弾かれたように砕け散った。
風の結界。
彼女は戦闘が終わっても、警戒を解いていなかったのだ。
「な、なんだと……!?」
男が愕然として後ずさる。
リゼがゆっくりと振り返った。
その顔には、先ほどまでの無邪気な笑顔はない。
あるのは、見下すような冷たい瞳。
絶対強者が、矮小な虫ケラを見る目だ。
「余裕があるなんて。……それなら、殺しますよ?」
リゼが一歩踏み出す。
シュッ。
音もなく距離が詰まる。
気づいた時には、男の首元に、冷たい大鎌の刃が当てられていた。
「ひっ……!?」
男の動きが止まる。
肌に触れる刃の冷たさ。そして、リゼから放たれる濃密な死の気配。
動けば死ぬ。瞬き一つでも死ぬ。
生物としての本能が、完全敗北を告げていた。
「降参、しますか?」
リゼが小首を傾げ、ニッコリと笑った。
その笑顔は、天使のように可愛らしく、そして悪魔のように恐ろしかった。
「……こ、降参だ……! 俺の負けだぁぁ……!」
男はその場に崩れ落ち、失禁して気絶した。
心が折れたのだ。
シーン……と静まり返っていた会場に、アナウンスが響き渡った。
「しょ、勝者! ナイトレイ家所属、リゼ選手ぅぅぅ!!」
ワァァァァァァァッ!!!!
地鳴りのような歓声が爆発した。
圧倒的な強さ。可憐な容姿と、破壊的な実力。
観客たちは、新たなアイドルの誕生に熱狂した。
「やったぁ~! 勝ちましたぁ~!」
リゼは満面の笑みで飛び跳ね、観客席に向かって大きく手を振った。
そして、クロノスたちがいるVIP席を見つけ、ビシッとVサインを決めた。
「クロノスさまー! 見ててくれましたかー!?
私、頑張りましたよぉーっ!」
その姿は、先ほどまでの死神とは別人のように無邪気で、愛らしかった。
だが、誰もが知っている。
彼女こそが、このブロックで最も危険な「空の女王」であることを。
観客席で見ていたクロノスは、苦笑しながら手を振り返した。
「……あいつ、また派手にやりやがって」
「ふふ、でもお見事でしたね。あの空中機動、クロノス様との特訓が活きていましたわ」
レグルが満足げに頷く。
ティランも腕組みをして鼻を鳴らす。
「へっ、やるじゃねぇかチビ助。だが、次は俺の番だ。もっと派手な花火を上げてやるぜ」
「私も負けてられないわねぇ。毒の実験場にするのが楽しみだわ」
ヒロインたちの闘志に火がついたようだ。
リゼの勝利は、チーム・ナイトレイの快進撃の狼煙となった。
そして、その様子を、遥か高みのロイヤルボックスから見下ろすスカーレットの姿があった。
彼女はワインを揺らしながら、妖艶に目を細める。
「……いいわね。あの子猫ちゃんも、随分と強くなったみたい。
私のクロノスの周りには、面白い駒が揃っているようね」
彼女は退屈しのぎの玩具を見つけたように笑った。
「次の試合も、楽しみだわ」
最強の女帝の視線は、次なる戦場へと向けられていた。
第17章、完。
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