第15章 粛清の晩餐と、銀色の処刑人
ドラゴニア帝国、王城「ドラグニル」。
その最上階にある「覇王の間」では、決戦前夜の宴が催されていた。
だが、それは宴と呼ぶにはあまりにも静かで、冷え切っていた。
巨大な円卓には、最高級の料理と酒が並べられている。
ドラゴンのテールスープ、希少な魔獣の丸焼き、年代物のワイン。どれも庶民が見れば卒倒するようなご馳走だ。
しかし、席につく者たちは、誰一人として料理に手をつけようとはしなかった。
カチャリ、という食器の音さえ響かない。
聞こえるのは、風が窓を叩く音と、暖炉の薪が爆ぜる音だけ。
円卓の上座。
そこに、女帝スカーレット・ドラゴニアが座っていた。
彼女は頬杖をつき、退屈そうにワイングラスを揺らしている。
その瞳は、目の前の部下たちを見ていない。遥か彼方、明日の戦場となる闘技場を見据えているようだった。
そして、彼女を囲むように座っているのが、帝国最強の武力を誇る四人の将軍――『帝国四天王』だ。
東の空を統べる『天翼将』、ガルーダ。
西の大地を砕く『剛力将』、タイタン。
南の海を支配する『海竜将』、リヴァイア。
北の闇に潜む『幻魔将』、サキュバスのルミル。
彼らは皆、一人で小国を滅ぼせるだけの実力者であり、普段はそれぞれの領地で絶対的な権力を振るっている猛者たちだ。
だが今、彼らはスカーレットの前に、借りてきた猫のように萎縮していた。
絶対強者の前では、彼らでさえ「弱者」に過ぎないことを、骨の髄まで理解しているからだ。
「……食べないの?」
不意に、スカーレットが口を開いた。
その一言で、室内の空気が凍りついた。
「あ、いえ……いただきます、陛下」
「こ、光栄であります……」
四天王たちは慌ててナイフとフォークを手に取った。
だが、その手は微かに震えている。
彼らにとって、この食事会は「労い」ではなく「踏み絵」に近い。
スカーレットの機嫌を損ねれば、その瞬間に首が飛ぶ。そんな緊張感が漂っていた。
ナイトレイ家で見られたような、笑い声や冗談、信頼関係などは微塵もない。
あるのは、恐怖による支配と、力による服従のみ。
それが、ドラゴニア帝国の在り方だった。
重苦しい沈黙の中、一人の女性が口を開いた。
『幻魔将』ルミルだ。
彼女はサキュバス特有の妖艶な美貌を持ち、露出度の高いドレスを身に纏っている。
四天王の中では最も若く、そして最も野心家だった。
「……それにしても、スカーレット様も酔狂なことをなさいますわね」
ルミルはワインを一口含み、わざとらしい溜息をついた。
「あんな田舎の男のガキ一人に、こんな盛大な催し物(武闘大会)を開くなんて。
国中の猛者を集め、莫大な予算を使い……正直、割に合いませんわ」
彼女の言葉に、他の三天王がギョッとして顔を上げた。
ガルーダが目配せで「よせ」と制止するが、ルミルは止まらない。
彼女は自分の美貌と実力に絶対の自信を持っており、スカーレットの今回の行動――たかが一人の男のために国を動かすこと――に、内心で不満を抱いていたのだ。
「クロノス・ナイトレイでしたっけ?
噂では、少しばかり小賢しいスキルを使うそうですが……所詮は『男』でしょう?
守られるだけのひ弱な生き物。私たちの爪の先で撫でただけで壊れてしまうような、脆い玩具」
ルミルは嘲笑った。
「そんな雑魚を相手に、陛下が直々にお相手をするなんて。ドラゴニアの威信に関わりますわ」
スカーレットは無表情のまま、ワイングラスを見つめていた。
「……たまには、体を動かしたかったのでな」
興味なさげな返事。
だが、ルミルにはそれが「図星」に見えたのか、さらに調子に乗った。
「はっ! 体を動かすだけなら、私たちが相手になりますのに。
……なんだったら、スカーレット様が勝ったら、そのイイナヅケとやらの男を、私が可愛がってもいいんですかね?」
ルミルは舌なめずりをした。
「サキュバスの館には、男を廃人にするための快楽責めの道具が揃っていますの。
生意気な男の子を、涎を垂らして私の足にすがりつく家畜に変える……。ふふ、最高の余興になりますわ」
完全に、スカーレットをおちょくっている。
あるいは、自分もスカーレットと同等の立場にあると誇示したかったのかもしれない。
「おい、ルミル! 言い過ぎだぞ!」
「陛下に対して無礼だ!」
ガルーダとタイタンが立ち上がり、怒鳴った。
だが、ルミルは余裕の笑みを崩さない。
「あら、本当のことでしょう?
最強の竜の女王なんて持て囃されていますけど、実力なんて……もう錆びついているんじゃありませんこと?
最近は城に引きこもってばかりで、戦場にも出られていませんし」
彼女はスカーレットを挑発的な目で見つめた。
「……言いたいことは、それだけか?」
スカーレットが、静かに言った。
彼女は手に持っていたワイングラスを、コトッ、とテーブルに置いた。
その動作は優雅で、静寂そのものだった。
「え? あぁ、まあ……図星でしたかしら?」
ルミルが勝ち誇ったように笑った。
次の瞬間。
「――なら、今やろうか」
スカーレットが、ルミルを見た。
ただ、見ただけ。
指一本動かさず、魔力の詠唱もせず。
ただ、その黄金の瞳孔を、縦に細めただけ。
ボッ!!!!
ルミルの体が、内側から発火した。
「え……?」
ルミルは自分の体を見下ろした。
美しいドレスが、肌が、肉が、紅蓮の炎に包まれている。
熱い、という感覚が脳に届くより早く、視界が赤く染まる。
「あ、あつ……!? 熱い! 熱い熱い熱いッ!!!」
絶叫。
ルミルは椅子から転げ落ち、床をのたうち回った。
魔法の炎ではない。
スカーレットの「覇気」が、ルミルの体内の魔力回路を暴走させ、自己発火させたのだ。
視線一つで、相手を燃やす。
次元が違う。
「スカーレット様! お許しを! 冗談です! ただの冗談で……ぎゃあぁぁぁぁッ!!」
ルミルの悲鳴が断末魔に変わる。
サキュバスの高い再生能力も追いつかない。骨の髄まで焼き尽くす、竜王の怒りの炎。
「……私のクロノスを『家畜』と言ったな」
スカーレットは冷ややかに見下ろした。
「彼は私のものだ。指一本、視線一つ、妄想の中でさえ……他人が触れることは許さない」
ズオォォォッ!!
炎が一気に膨れ上がり、ルミルの体を飲み込んだ。
数秒後。
そこには、一握りの灰だけが残されていた。
静寂。
先ほどまでの凍りついた空気とは違う、死の静寂が部屋を支配した。
残された三天王は、顔面蒼白で震えている。
同僚が、瞬きする間に灰になった。
逆らえばこうなる。それが、この国の絶対のルール。
「……せっかくだ。言い分がある奴は聞こう。
私が弱くなったと? 老いたと? ……誰か、試してみるか?」
スカーレットが微笑む。
その笑顔は、この世で最も美しく、そして最も恐ろしいものだった。
「い、いえ! 滅相もございません!」
「我々は陛下に絶対の忠誠を誓っております!」
「ルミルは愚かでした! 自業自得であります!」
三天王は一斉に平伏した。
額を床に擦り付け、必死に命乞いをする。
「……つまらないわね」
スカーレットは興味を失ったように視線を外した。
彼女にとって、彼らは部下ですらない。ただの「駒」であり、機嫌を損ねれば捨てられる消耗品だ。
クロノスたちが見せた「信頼」や「絆」とは、対極にある関係。
「四天王の枠が一つ増えたな。……執事、あの男を呼べ」
スカーレットが背後の執事に指示を出した。
「かしこまりました。直ちに」
執事は一礼し、影のように姿を消した。
数分もしないうちに、重厚な扉が再び開かれた。
カシャン、カシャン、カシャン。
金属音が静寂の広間に響く。
現れたのは、一人の男だった。
全身を、継ぎ目のない銀色のフルプレートアーマー(全身鎧)で包んでいる。
兜のバイザーは固く閉ざされ、その素顔は一切見えない。
身長は二メートル近くあり、背中には身の丈ほどもある大剣を背負っている。
一見して、ただの重装歩兵のように見える。
だが、その男が纏う雰囲気は、異質だった。
気配がない。
殺気もない。
魔力さえも感じられない。
まるで、中身が入っていない「動く鎧」のような、底知れぬ虚無感。
だが、平伏している三天王たちは、本能的に理解していた。
こいつは、ヤバい。
ルミルよりも、自分たちよりも、遥かに「死」に近い存在だと。
男はスカーレットの御前まで歩み寄ると、重々しく片膝をついた。
「……お呼びでしょうか、陛下」
兜の奥から響く声は、低く、機械的に加工されたような無機質な響きを持っていた。
「あぁ。四天王の一枠が空いたのでな。ぜひお前にと思ってな」
スカーレットは楽しそうに言った。
まるで、新しい玩具を見せびらかす子供のように。
「……光栄です。お申し付けなのであれば、その命、受けさせていただく所存でございます」
男は感情の籠もらない声で答えた。
喜びも、驚きもない。ただ命令を遂行するだけの機械のような反応。
彼の名は、誰も知らない。
数年前、帝国が武力拡大のために一般公募した「衛兵選抜試験」に、ふらりと現れた男だ。
その時の試験官は、当時の四天王の一人だった。
だが、この男は試験官を「一撃」で再起不能にし、そのまま姿を消そうとした。
スカーレットが興味を持ち、直属の密偵として拾い上げたのだ。
素顔も、出身も、年齢も不明。
唯一分かっているのは、彼が「男」であるということと、圧倒的に「強い」ということだけ。
帝国内では『銀色の処刑人』と呼ばれ、スカーレットの影として汚れ仕事を一手に引き受けてきた。
「お前には、明後日の武闘大会に出てもらう」
スカーレットが告げる。
「予選はどうでもいい。本戦で、クロノス・ナイトレイと戦え。
そして……彼を『テスト』しなさい」
「テスト、でございますか?」
「ええ。彼が私に挑む資格があるか。その力を、限界まで引き出して見極めなさい。
殺しても構わないわ。……もし彼が、お前ごときに負けるようなら、その程度の男だったということだから」
残酷な命令。
だが、そこには確信があった。
クロノスなら、この処刑人を超えてくるはずだという、歪んだ信頼。
「……御意。 我が剣にかけて、彼を地獄の淵まで案内いたしましょう」
男は深く頭を下げた。
その銀色の兜の奥で、何かが赤く明滅した気がした。
「期待しているぞ。……下がれ」
スカーレットが手を振ると、男は音もなく立ち上がり、退室していった。
残された三天王は、冷や汗を拭うことさえ忘れて、男の去った扉を見つめていた。
彼らは知ったのだ。
自分たちの席が、いつ奪われてもおかしくないということを。
「……興が削がれたわ」
スカーレットはつまらなそうに呟き、席を立った。
「宴は終わりよ。各自、明日の準備を怠らないように。
私の結婚式(殺し合い)に泥を塗ったら……分かっているわね?」
「は、はいッ!!」
スカーレットは震える部下たちを一瞥もせず、自室へと戻っていった。
王城の最上階、女帝の私室。
そこは、城内で唯一、スカーレットが「ただの女」に戻れる場所だ。
「……堅苦しい」
部屋に入るなり、彼女は不機嫌そうに呟いた。
まとっていた真紅のドレスの背中の紐を解き、床に脱ぎ捨てる。
下着など着けていない。
露わになった白磁の肌が、月明かりに照らされて輝く。
完璧なプロポーション。
豊満な胸、引き締まったウエスト、しなやかな足。
そして、背中から腰にかけて刻まれた、竜の刺青。
彼女は裸のまま、サイドテーブルにあったヴィンテージのワインボトルを掴んだ。
グラスなど使わない。ラッパ飲みだ。
赤い液体が喉を通り、数滴が口元からこぼれて白い胸を伝う。
「……ふぅ」
彼女はボトルを持ったまま、テラスへと出た。
夜風が冷たい。
だが、彼女の体温は異常に高い。冷気など心地よい涼風にしか感じない。
竜の血が、戦いを求めて沸騰しているのだ。
眼下には、眠りについた帝都の街並みが広がっている。
その向こうには、広大な闘技場。
明後日、あそこで全てが決まる。
「ついに、明日か……」
彼女は西の空を見上げた。
そこには、クロノスたちがこちらへ向かっている気配がある。
「我が愛しのクロノスよ。……あぁ、身体が疼いて堪らない」
スカーレットは自分の体を抱きしめた。
爪が肌に食い込み、血が滲む。
痛みと快感が混じり合う。
彼女は孤独だった。
生まれながらの最強。竜の血を引く異端児。
誰も彼女に触れられず、誰も彼女を愛せなかった。
男たちは皆、彼女の力に怯え、ひれ伏すか、逃げ出すかだった。
だが、クロノスは違った。
あの日、ナイトレイ城で。
彼は怯えるどころか、彼女に牙を剥いた。
傷をつけた。
地面に這わせた。
初めてだった。
対等に……いいえ、自分を脅かす存在として、正面から向き合ってくれたのは。
「私を殺す気で来なさい。私も、貴方を壊す気で抱くわ」
彼女は虚空に向かって口づけを投げた。
その瞳は、恋する乙女のように潤み、同時に獲物を狙う魔獣のようにギラついていた。
「早く会いたい。貴方の血の色を、悲鳴を、そして……愛を確かめたい」
スカーレットは悶えるように身をよじり、恍惚の表情で月を見上げた。
明日が楽しみで楽しみで仕方がない。
まるで遠足の前日の子供のように、しかしその内容はあまりにも血なまぐさい。
最強の女帝は、狂おしいほどの愛と殺意を抱いて、決戦の地で待つ。
彼女を満足させられるのは、世界でただ一人。
暗殺貴族の当主だけなのだから。
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