第14章 決戦前夜の宴と、愛の肉弾戦
ナイトレイ城の大広間は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
シャンデリアの光が煌々と輝き、テーブルには山海の珍味が所狭しと並べられている。
肉、魚、果物、そして――酒。
普段は規律を重んじるナイトレイ家だが、今夜ばかりは無礼講だ。
明日、俺たちは決戦の地、ドラゴニア帝国へと旅立つ。
生きて帰れる保証はない。だからこそ、今夜は思い切り笑い、語らい、英気を養うのだ。
「かんぱーい!!」
ティランの豪快な掛け声と共に、クリスタルのグラスがぶつかり合った。
「ぷはぁーっ! うめぇ! やっぱこれだぜ!」
ティランは樽に入ったエールを一気に飲み干した。
彼女はこの一ヶ月、修行のために断酒していた。
その反動は凄まじく、まるで砂漠が水を吸い込むように、アルコールが彼女の体へと消えていく。
「あらあら、ティランちゃん、飛ばすわねぇ。私も負けてられないわ」
ヴネナンもまた、ワイングラスを片手に顔を赤らめている。
彼女の白衣はすでに脱ぎ捨てられ、大胆なスリットの入ったドレス姿だ。
アルコールが回っているのか、その瞳はいつも以上に潤み、とろんとしている。
「クロノスさまぁ~! これ美味しいですっ! あーんしてくださいっ!」
リゼは俺の膝の上を占領していた。
彼女はジュースだが、場の雰囲気に酔っているのか、いつも以上に甘えん坊だ。
俺のさらに口元に、フォークに刺したフルーツを突き出してくる。
「……リゼ、自分で食べられるだろ」
「やですぅ! 今日は甘えん坊デーなんですっ! 明日から怖い場所に行くんですから、今のうちにパワーチャージしないと!」
リゼの主張はもっともだ。
俺は観念して口を開けた。甘い果汁が口いっぱいに広がる。
「……騒がしい」
隣で静かに食事を進めていたノクトが、ため息をついた。
彼女はメイド服を完璧に着こなし、俺のグラスが空くたびに、絶妙なタイミングで注いでくれる。
「ノクト、お前も飲めよ。今日は無礼講だ」
「私は結構。主人の護衛と介抱が必要になるから」
「固いこと言うなよぉ~! ほら、ノクトちゃんも飲みなさいよぉ~!」
ヴネナンが背後からノクトに抱きつき、口元にワイングラスを押し付けた。
「むぐっ……!?」
「最高級の『妖精の涙』よぉ。甘くて飲みやすいわよぉ~?」
「……ん、く、ぷはっ。……甘い」
ノクトは強引に飲まされ、少しむせたが、味は気に入ったらしい。
頬がほんのりと桜色に染まる。
「おっ、ノクトもいける口か? じゃあ俺とも勝負だ!」
「望むところ。……負けない」
ティランが新たなボトルを持って乱入し、ノクトとの飲み比べが始まった。
普段は冷静なノクトだが、負けず嫌いな一面がある。ティランの挑発に乗り、次々とグラスを空けていく。
宴は加熱していく。
使用人たちも加わり、歌えや踊れの大騒ぎだ。
明日には命のやり取りをするかもしれない連中とはとても思えない。
だが、それがいい。
悲壮感など欠片もない。あるのは、溢れんばかりの生命力と、仲間への信頼だけだ。
「……クロノス様」
ふと、耳元で静かな声がした。
振り返ると、レグルが立っていた。
彼女だけは酒を口にせず、いつもの完璧な秘書スタイルを崩していない。だが、その表情はどこか陰りがあった。
「どうした、レグル。お前も楽しめばいいのに」
「いえ、私は……明日の出発準備の最終確認がございますので。荷物のチェックや、留守中の指示書など、やることは山積みです」
「そんなの、明日の朝でいいじゃないか」
「いいえ。万全を期すのが私の役目です。……皆様のことは、頼みましたよ」
彼女は寂しげに微笑むと、騒ぐティランたちを一瞥し、大広間を出て行ってしまった。
その背中が、妙に小さく見えた。
(……レグル)
俺は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
彼女は責任感が強すぎる。
『四律師』のトップとして、そして俺の筆頭側近として、常に気を張り詰めている。
特に今回の遠征は、彼女にとっても過去のトラウマ(先代の死)と向き合う旅になるはずだ。
不安がないはずがない。
「……あとで、顔を出すか」
俺は心に決め、再び宴の喧騒へと戻っていった。
目の前では、ヴネナンが俺の太腿に手を這わせ、ティランが俺の首に腕を回して絡んでくる。
「ねぇ坊っちゃま、酔っ払っちゃったぁ♡ 熱いの、身体が……冷まして?」
「坊主ぅ! 俺の筋肉を見ろ! 仕上がってるだろ! 触ってみろよ!」
「二人とも近すぎる! 酒臭い!」
肉感的な感触と、酒と香水の匂い。
贅沢すぎる悩みだが、今の俺の心は、一人静かに去っていった銀髪の女性のことで占められていた。
夜更け。
宴はお開きとなり、泥酔したティランやヴネナンたちは、使用人たちに抱えられてそれぞれの部屋へと運ばれていった。
リゼも遊び疲れて、俺の膝の上で眠ってしまったので、彼女の部屋まで運んでベッドに寝かせてきた。
城内は静まり返っている。
祭りの後の静寂。
俺は自室に戻り、着替えを済ませたが、眠気は訪れなかった。
窓際に行き、月を見上げる。
満月だ。
明日、この月が出る頃には、俺たちは敵地にいる。
コンコン。
控えめなノックの音がした。
俺は振り返る。
こんな時間に、誰だ? 酔い潰れた連中が復活したのか?
「……どうぞ」
俺が答えると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、レグルだった。
いつもの眼鏡を外し、髪を下ろしている。
服装もメイド服ではなく、薄手のナイトガウン一枚だ。月明かりに透ける肢体のラインが、息を呑むほど美しい。
「……失礼いたします、クロノス様。
もう、お休みでしたか?」
「いや、起きていたよ。どうした、準備は終わったのか?」
「はい、滞りなく。……ですが、どうしても眠れなくて」
レグルは俯き、自信なさげに指を組んだ。
昼間の凛とした態度はどこへやら、今の彼女は、ただの不安げな一人の女性だった。
「すみません。ご迷惑とは存じますが……本日は、少しだけ一緒に過ごしてもよろしいでしょうか?」
消え入りそうな声。
俺は何も言わず、ソファーを勧めた。
レグルは隣に座る。
近い。彼女の体温と、微かな石鹸の香りが伝わってくる。
「……怖いのか?」
俺が直球で尋ねると、レグルはビクリと肩を震わせた。
そして、観念したように小さく頷いた。
「……はい。怖いです。ドラゴニア帝国。あそこは、私にとって悪夢の場所です。先代様が亡くなられた場所。私が無力さを痛感した場所。もしまた、同じことが起きたら……もし、クロノス様を失うことになったら……」
彼女の声が震え、瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
それが彼女の本心だ。
気丈に振る舞い、完璧な計画を立てていたのも、全てはこの不安を押し殺すためだったのだ。
「……私は、弱いです。
『四律師』なんて呼ばれていても、中身はあの日の泣き虫な少女のまま。
クロノス様が強くなっても、私の心は追いついていないんです」
レグルは顔を覆って泣き出した。
俺はそっと、彼女の肩を抱き寄せた。
彼女は抵抗せず、俺の胸に顔を埋めてきた。
温かい涙が、俺のシャツを濡らす。
「弱くなんてないさ。
お前が一番、俺たちのことを考えてくれている。お前がいなきゃ、俺たちはバラバラだ。
俺もお前を頼りにしてる。……だから、一人で抱え込むな」
俺は彼女の背中を優しく撫でた。
レグルは嗚咽を漏らしながら、俺にしがみついた。
「クロノス様……。
お願いです。今夜だけ、私を……一人の女として、見ていただけますか?
秘書でも、姉代わりでもなく。
ただ、貴方様に愛される女として……」
彼女は濡れた瞳で見つめ、顔を近づけてきた。
唇が触れそうな距離。
俺の心臓が高鳴る。
彼女の想いを受け止めたい。不安を消してやりたい。
「……ああ。今日は、一緒に寝よう。朝まで離さない」
俺がそう囁き、彼女の唇に触れようとした、その瞬間だった。
バンッ!!!!
部屋の扉が、勢いよく蹴り開けられた。
ムードぶち壊しの破壊音。
俺とレグルは弾かれたように離れた。
「あぁ~っ! やっぱりだぁ! 抜け駆けしてるやつがいるぞ~っ!」
入り口に立っていたのは、赤ら顔のティランだった。
彼女は千鳥足で、手には酒瓶を持っている。
しかも、服装が酷い。
暑かったのか、それとも理性が飛んだのか、シャツのボタンが弾け飛び、サラシのような下着が丸見えになっている。豊満な胸がこぼれ落ちそうだ。
「あらぁ~、レグルちゃんも大胆ね~。夜這いかしらぁ~?」
その背後から、ヴネナンがぬらりと現れた。
彼女もまた、ドレスの肩紐がずり落ち、半裸に近い状態だ。
目が完全に据わっている。
「じょ、上司だからって……ゆるしましぇんよぉ~……」
さらに、ノクトまでいた。
彼女は普段の鉄壁のスカートなどどこへやら、裾をまくり上げ、ニーソックスがずり落ちている。
顔は真っ赤で、足元もおぼつかない。滅多に酔わない彼女が、ここまで乱れるとは。
どうやら宴会場で、ティランたちに寄ってたかって飲まされたらしい。
「だ、ダメですっ! みんな止まってくださいっ!
クロノスさまぁ~! キョトンとした顔で見てないで、止めてくださいよぉ~!」
最後尾で、リゼが必死に三人を押さえようとしているが、多勢に無勢だ。
リゼ自身もパジャマ姿で、髪はボサボサだ。
「なっ、ななな、何ですか貴女たちは!?」
レグルが顔を真っ赤にして叫ぶ。
涙は引っ込んでしまったらしい。
ガウンの前を慌てて合わせるが、ティランたちの露出度に比べれば可愛いものだ。
「何ってぇ? 二次会だよ二次会!
坊主がいないと酒が不味くてよぉ! ここで続きをやろうぜ!」
ティランがドカドカと部屋に侵入し、俺のベッドにダイブした。
スプリングが悲鳴を上げる。
「そうよぉ。私たちも愛が足りないのぉ。
レグルちゃんだけズルいわ。私たちも坊っちゃまにギュッてしてほしいのにぃ」
ヴネナンもベッドに這い上がり、俺に絡みついてくる。
酒臭い。でも甘い匂いもする。柔らかい感触が全身を包む。
「……クロノス様。お膝、乗ります」
ノクトが俺の膝の上にちょこんと座った。
そして、俺の胸に頭を預けてくる。
完全に甘えモードだ。普段のクーデレはどこへ行った。
「ちょ、ちょっと! 重い! 狭い! 離れろ!」
俺は叫ぶが、酔っ払いには通じない。
四方八方から伸びる手、足、唇。
カオスだ。
だが、さっきまでのシリアスで重苦しい空気は、完全に吹き飛んでいた。
ふと、俺の口から笑いが漏れた。
「……ふっ、くくくっ」
「坊っちゃま?」
「はははははッ!!」
俺は腹を抱えて笑い出した。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、あまりにも愛おしくて。
決戦前夜に、こんな無防備な姿を晒して、酒臭い息で愛を囁いてくる最強の戦士たち。
こんな連中と一緒なら、どんな地獄でもピクニックみたいなものだ。
「お前ら、なんて格好だよ! 品がなさすぎるぞ!」
「へ? なんだよ急に」
「笑うことないでしょぉ?」
酔っ払い三人がキョトンとする。
俺は涙を拭い、満面の笑みで告げた。
「よし! この際だ! 今日は全員で寝るか!」
「えっ!?」
全員の声が重なった。
「明日は早い。それぞれの部屋に戻るのも面倒だろ。
このベッドは広い。全員で川の字……いや、団子になって寝ればいい」
「ま、マジかよ!?」
「あらぁ、大胆♡」
「……賛成。温かそう」
ティランたちは顔を見合わせ、そして歓声を上げてベッドに雪崩れ込んできた。
「やったー! 坊主の腕枕ゲット!」
「私は左側いただくわぁ!」
「ああっ! 私も! 私もお腹の上に乗りますっ!」
リゼも混ざり、ベッドの上は芋洗い状態になった。
唯一、レグルだけが呆然と立ち尽くしていた。
「……そんな、破廉恥な」
「レグル」
俺は彼女に手を差し伸べた。
「ほら。お前も来い。
一人で悩むなと言っただろ? 今夜は、みんなで温め合おう」
レグルは俺の手と、ベッドではしゃぐ仲間たちを交互に見た。
やがて、彼女の顔から強張りが消え、柔らかい笑みが浮かんだ。
「……はい。失礼いたします」
彼女は俺の手を取り、ベッドへと飛び込んだ。
狭い。暑苦しい。酒臭い。
だが、最高に温かかった。
「……おやすみ、みんな」
「おやすみ、坊主!」
「おやすみなさぁい」
五人の体温に包まれ、俺の不安も、レグルの涙も、全て溶けていった。
これなら勝てる。
俺たちは、最強の家族なのだから。
翌日の朝。
一番早く起きたのは、珍しく俺だった。
「……んぅ……」
目が覚めると、視界が肉色で埋め尽くされていた。
右腕にはティランの豊満な胸。左腕にはヴネナンの肢体。腹の上にはリゼとノクトが重なり合い、足元にはレグルがしがみついている。
全員、幸せそうな寝顔だ。
そして、部屋中に充満するアルコールの残り香。
「……なんだ、酒臭いぞ」
俺は顔をしかめたが、すぐに昨夜の記憶が蘇った。
そうだ、俺が誘ったんだった。
少し後悔したが、まあいい。おかげで熟睡できた。
ふと、壁の時計を見る。
時刻は午前八時。
出発予定時刻は、午前九時。
「……え?」
思考が停止する。
あと一時間しかない。
この人数分の支度、着替え、二日酔いのケア、朝食……。
「うわあああああっ!! 起きろおおおっ!!」
俺の絶叫が響き渡った。
「遅刻だ! 出発まで一時間しかないぞ! 全員起きろ!」
「……むにゃ? 坊主、あと五分……」
「五分もねぇ! ティラン、服着ろ! ノクト、顔を洗え! レグル、指示を出せ!」
俺は彼女たちをベッドから叩き落とし、強制的に覚醒させた。
そこからは戦場だった。
「きゃー! 私の服どこですかっ!?」
「頭が痛いわぁ……水、水をちょうだい……」
「化粧ノリが最悪です……!」
「荷物が! 荷物がまとまっていません!」
半裸の美女たちが部屋中を走り回り、悲鳴と怒号が飛び交う。
昨夜の色気など微塵もない。
だが、そのドタバタ劇こそが、ナイトレイ家の日常だった。
一時間後。
なんとか身支度を整えた俺たちは、城の前に整列していた。
全員、目の下にクマがあり、少し顔色が悪いが、その瞳には強い光が宿っていた。
「……忘れ物はないな?」
「はい! 完璧です!」
「二日酔いの薬も飲んだし、バッチリだぜ!」
俺は振り返り、見送りの使用人たちに手を振った。
そして、ドラゴニア帝国の方角を見据える。
「よし。行くぞ!」
俺たちは馬車に乗り込んだ。
目指すは最強武闘大会。
そして、最強の許嫁、スカーレットの待つ地へ。
馬車の車輪が回り出す。
長い旅と、激しい戦いの始まりだ。
だが、今の俺たちに恐れるものは何もない。
一方、その頃。
ドラゴニア帝国、帝都。
スカーレットは、王城のバルコニーで朝日を浴びていた。
彼女の背後には、武装した竜騎士団が整列し、出撃の時を待っている。
だが、彼女は動かない。
ただ静かに、西の空を見つめていた。
「……来たわね」
風に乗って、微かな気配が届く。
愛しい男の、決意に満ちた魂の波動。
そして、彼を支える五つの星の輝き。
「ふふっ。間に合ったようね、クロノス」
スカーレットは口元を綻ばせた。
彼女の体から、赤黒いオーラが立ち昇る。
それは殺気であり、歓喜であり、そして深い愛欲だった。
「歓迎するわ。
この国すべてを闘技場にして、貴方を待っている」
彼女は振り返り、控えていた側近たちに告げた。
「祭りの準備はいいわね?
最高のもてなしをなさい。私の花婿候補なのだから」
側近たちが平伏する。
スカーレットは再び空を見上げ、獰猛に笑った。
「さあ、始めましょう。
世界で一番熱くて、痛くて、愛おしい戦争を」
ドラゴニアの空に、無数の飛竜が舞い上がった。
決戦の火蓋は、切って落とされた。
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