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暗殺貴族の溺愛ハーレム ~「守られる弱い男」を演じていたら、最強の女たちが忠誠を誓って離れません~  作者: 藤風大地
第2部 竜の女王と、恋の最終戦争(ラグナロク)

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第8章 紅蓮の師弟と、泥だらけの晩餐

ドラゴニア帝国の女帝、スカーレット・ドラゴニアによる襲撃から一夜が明けた。

ナイトレイ城は、昨日の戦闘による傷跡を生々しく残していた。

崩れ落ちたテラス、焼け焦げた城壁、クレーターだらけの中庭。

レグルとノクトの指揮のもと、早朝から修復作業が進められているが、物理的な破壊以上に、城全体を覆う空気は重く、張り詰めていた。

特に、城の裏手にある第一訓練場からは、朝から絶え間なく轟音と罵声が響き渡っていた。

「オラァアアアッ!! 死ねッ! 死ねッ! あのクソトカゲェェッ!!」

ドゴォォォン!! ズバァァァン!!

爆炎が舞い上がり、訓練用に設置された岩山が粉々に砕け散る。

炎を纏った大剣を狂ったように振り回しているのは、ティランだ。

彼女の目は血走り、全身から発せられる闘気は、近づく者すべてを焼き尽くさんばかりの熱量を帯びている。

彼女は怒っていた。

理不尽な暴力を振るったスカーレットに対してではない。

主である俺――クロノス・ナイトレイを守りきれず、あまつさえ「助けられた」自分自身の不甲斐なさに、はらわたが煮えくり返っているのだ。

「クソッ! クソッ! なんでだ! なんで俺の剣が通じねぇ! 俺は最強じゃなかったのかよ!?」

彼女は自身のアイデンティティである「力」を否定された。

その絶望と屈辱が、彼女を冷静さから遠ざけ、ただの破壊衝動へと駆り立てていた。

俺は、訓練場の入り口でその様子を静かに見ていた。

隣には、心配そうに眉を寄せるレグルがいる。

「……昨夜からずっとあの調子です。食事も摂らず、仮眠も取らず。このままでは、彼女自身の体が壊れてしまいます」

「ああ。分かっている」

俺は頷き、一歩前に出た。

「クロノス様? 危険です。今のティランは制御が効きません。近づけば、味方だろうと斬りかかってくる可能性があります」

「だからこそ、俺が行くんだ。……それに、俺自身もウズウズしてるんでね」

俺はレグルを制し、結界の内側へと足を踏み入れた。

熱波が肌を焼く。

俺は努めて冷静な声を張り上げた。

「――ティラン!!」

俺の声に、暴れ回っていた赤い影がピタリと止まった。

ティランが振り返る。

その瞳は獣のように鋭く、焦点が定まっていないように見えたが、俺の姿を認めるとわずかに理性の光が戻った。

「……あ? 坊主……? なんでここにいる。危ねぇから下がってろ。俺は今、あのトカゲ女を殺すシミュレーションで忙しいんだよ」

「シミュレーション? ただの八つ当たりに見えるがな」

「ああん!? ナメた口きいてっと火傷すんぞ!」

ティランが凄む。

だが、俺は怯まなかった。真っ直ぐに彼女の前に歩み寄り、その燃え盛る瞳を見据えた。

「ティラン。頼みがある」

「あ? 腹減ったのか? 飯ならレグルに言え」

「違う。……俺を、鍛えてくれ」

俺は頭を下げた。

貴族としてのプライドも、当主としての立場も捨てて。

一人の「弱者」として、「強者」に教えを乞うた。

「……は?」

ティランがキョトンとした顔をする。

俺は顔を上げ、真剣な眼差しで告げた。

「昨日の戦いで痛感した。俺はまだ弱い。

『因果逆転』というスキルに頼り切りで、基礎的な身体能力や技術が圧倒的に足りていない。魔力が尽きれば、俺はただの無力な子供だ。

スカーレットのような化け物を相手にするには、小手先の技術じゃ通用しない。根本から、俺という生物のスペックを上げる必要がある」

俺は拳を握りしめた。

「お前の強さが欲しい。その剛剣、その体術、その戦いの勘。

俺に叩き込んでくれ。……どんな無茶な修行でも耐えてみせる」

俺の言葉を聞いたティランは、しばらく呆気に取られていたが、やがて顔を歪めた。

「……断る」

「なっ」

「当たり前だろ! お前は俺たちが守るんだ! 昨日みたいな真似は二度とさせねぇ! 俺がもっと強くなって、あの女を消し炭にすればいいだけの話だ! お前が泥にまみれる必要なんてねぇんだよ!」

彼女は拒絶した。

それは過保護ゆえの拒絶であり、同時に「自分への戒め」でもあった。

主を守るのが従者の役目。主に戦わせるのは従者の恥。その強迫観念が彼女を縛っている。

「違う、ティラン。そうじゃない」

俺は一歩踏み出し、彼女の手を――高熱を帯びた大剣の柄を握る手を、上から掴んだ。

ジュッ、と皮膚が焼ける音がした。

「ッ!? バカ野郎! 何してんだ!」

ティランが慌てて熱を消散させる。

俺の手のひらは赤く火傷していたが、痛みなどどうでもよかった。

「俺は、お前に守られるだけの『お姫様』になりたいわけじゃない。

俺は、お前の『背中を預けられるパートナー』になりたいんだ。

昨日の戦い、俺たちの攻撃が通じたのは、全員で力を合わせた時だけだった。俺一人の力でも、お前一人の力でもない。全員の力が噛み合った時、初めて最強の竜に傷をつけることができた」

俺は彼女の目を覗き込む。

「俺は強くなりたい。お前たちを指揮し、お前たちの力を最大限に引き出し、そして最後の一撃を俺が決めるために。

そのためには、俺自身が戦場の最前線に立ち続けられるだけのタフさが必要なんだ。

……頼む、ティラン。俺を男にしてくれ」

俺の熱い想い。

それが伝わったのか、ティランの瞳から狂気が消え、代わりに困惑と、そして微かな喜びの色が浮かんだ。

「……ずるいぞ、坊主。そんな目で頼まれたら、断れねぇじゃねぇか」

彼女は乱暴に頭を掻きむしった。

そして、ニカっと笑った。いつもの、太陽のような快活な笑顔だ。

「いいぜ! 乗った!

その代わり、泣いても止めねぇぞ? ゲロ吐いても続けさせるぞ? 骨の一本や二本、折れる覚悟はできてんだろうな?」

「望むところだ。……俺の体は、お前らが思ってるより頑丈だぞ」

こうして、地獄の特訓の幕が上がった。

遠くで見守っていたレグルやノクト、ヴネナンも、俺たちのやり取りを見て、静かに頷いていた。

今回ばかりは、過保護なストッパーは外されている。

全員が理解しているのだ。

一ヶ月後の武闘大会。そこで勝つためには、俺自身の覚醒が不可欠であることを。

「まずは基礎だ! 魔力は一切使うな! 身体強化も禁止だ! 素の筋肉だけで動け!」

ティランの怒号が飛ぶ。

俺は重りをつけた訓練着を着せられ、ただひたすらに走り込み、腕立て、腹筋、スクワットを繰り返していた。

地味だ。あまりにも地味な基礎トレーニング。

だが、この世界の重力は前世よりも少し重い気がするし、何よりティランが課すノルマが異常だった。

「腕立て一千回! 遅い! あと五百追加!」

「スクワット三千回! 腰が高い! ケツを地面につけろ!」

午前中だけで、俺の筋肉は悲鳴を上げ、断裂し、再生しようとしていた。

汗が滝のように流れ、視界が滲む。

だが、俺は音を上げなかった。

苦しい。痛い。

けれど、その痛みが心地よかった。

自分が「生きている」実感。そして、一回動くたびに、細胞の一つ一つが作り変えられていく感覚。

「へぇ、根性あるじゃねぇか。普通の男なら開始十分で気絶してるぜ」

ティランが感心したように呟く。

彼女自身もまた、俺と同じメニューをこなしている。しかも、倍の重りをつけて、涼しい顔で。

やはり、基礎スペックが違う。

「よし、体があったまったな! 次は組手だ!」

ティランが木剣を放り投げてきた。

俺はそれを受け取り、構える。

足腰がガクガク震えているが、木剣を握ると自然と背筋が伸びた。

「ルールは簡単。俺に一発でも入れたら勝ち。寸止めなし。本気で殺す気で来い。俺も手加減はしねぇ」

「……了解」

俺は息を吸い込み、踏み込んだ。

魔力を使わない、純粋な剣技。

上段からの振り下ろし。

だが、ティランは一歩も動かず、木剣だけでそれを受け流した。

ガィンッ!!

重い。

受け流されただけなのに、手首が痺れるほどの衝撃。

体勢を崩した俺の腹に、ティランの蹴りが突き刺さる。

「ぐはっ!?」

俺はボールのように転がった。

肺の中の空気が強制排出され、地面の砂を噛む。

「遅い! 太刀筋が素直すぎる! 視線でバレバレだ!

もっと泥臭く! 噛み付いてでも勝つ気概を見せろ!」

ティランの容赦ない追撃。

俺は泥まみれになりながら起き上がり、再び剣を構える。

何度も。何度も。

俺は地面に這いつくばった。

打撲、擦り傷、切り傷。全身が痛みの博覧会だ。

ヴネナンの薬で回復していたとはいえ、昨夜の疲労も残っている。

だが、俺の目は死んでいなかった。

(……見えてきた)

ティランの動き。

呼吸のリズム。重心の移動。筋肉の予備動作。

魔力探知や『思考加速』を使わずとも、五感を研ぎ澄ませることで、彼女の「癖」が見えてくる。

彼女は剛剣使いだが、大雑把ではない。むしろ繊細な足運びで間合いを管理している。

その間合いの内側。死地であると同時に、唯一の勝機がある場所。

「――そこだッ!」

俺はティランの大振りの一撃を、回避するのではなく、前進することで潰した。

死を恐れずに懐へ飛び込む。

驚愕に見開かれるティランの目。

俺の木剣が、彼女の喉元へと走る。

ガッ!!

だが、届かなかった。

ティランはとっさに柄頭ツカガシラで俺の剣を弾き、そのままタックルで俺をねじ伏せたのだ。

地面に背中を叩きつけられ、上からティランに馬乗りになられる。

首筋に、彼女の親指が押し当てられている。

「……惜しかったな、坊主」

ティランがニヤリと笑う。

その額には、うっすらと汗が滲んでいた。

「今の踏み込み、悪くなかったぜ。ビビって下がってたら死んでたが、前に出たことで活路が開いた。……合格点だ」

「はぁ、はぁ……まだ、負けてない……」

俺は彼女の下から睨み返した。

悔しい。

スキルを使えば勝てるかもしれない。だが、それでは意味がない。

純粋な肉体のぶつかり合いで、彼女を超えたい。

「いいねぇ、その目! ゾクゾクするぜ!

よし、次は体術だ! 武器を捨てろ! 拳と拳で語り合おうぜ!」

ティランは俺を解放すると、楽しそうにファイティングポーズを取った。

俺もまた、泥だらけの顔を拭い、拳を握った。

時間は昼を過ぎていたが、誰も食事休憩を提案しなかった。

レグルも、あえて昼食を運んでこなかった。

俺たちの集中力を途切れさせないための配慮だろう。

空腹も、喉の渇きも忘れて、俺たちはただひたすらに打ち合った。

夕暮れが近づく頃には、俺の体は限界を超えていた。

指一本動かすのも億劫だ。

だが、不思議と体は軽かった。

無駄な力が抜け、思考と動作が直結していく感覚。

『ゾーン』に入っている。

ティランの拳を掌底で受け流し、関節を極めにかかる。

力では勝てない。だから、彼女の力を利用する。

柔の理。

ティランの巨体が宙を舞い、背中から地面に落ちる。

「ッ!?」

彼女が受け身を取って立ち上がった時には、俺はすでに次の攻撃動作に入っていた。

フェイントを織り交ぜた連撃。

一発、二発。

俺の拳が、ティランの腹筋を捉える。

硬い。岩を殴ったようだ。

だが、確かに彼女の表情が歪んだ。

「やるじゃねぇか……! 面白ぇ!!」

ティランが咆哮し、本気のラッシュを仕掛けてくる。

俺はそれを、紙一重で躱し、いなし、防ぐ。

世界がスローモーションに見える。

スキルではない。俺自身の脳が、極限の集中状態で情報を処理しているのだ。

(楽しい)

心の底からそう思った。

殺し合いではない。信頼できる相手との、全力を出し切る組手。

言葉はいらない。拳と拳が触れ合うたびに、互いの魂が共鳴する。

彼女の強さへの敬意。俺の成長への渇望。

それが混じり合い、高め合っていく。

太陽が沈み、辺りが闇に包まれても、俺たちの修行は終わらなかった。

照明魔法などない。月明かりだけが頼りだ。

互いの息遣いと、打撃音だけが響く。

「はぁっ、はぁっ……! まだだ! まだ動ける!」

「へへっ、足がふらついてるぞ! ……でも、いいパンチだ!」

泥だらけで、傷だらけで、汗まみれ。

貴族の姿ではない。ただの野良犬の喧嘩だ。

だが、今までで一番、生きている心地がした。

「――そこまで!!」

凛とした声が、夜の訓練場に響き渡った。

同時に、まばゆい光が俺たちを照らし出した。

俺とティランは、殴り合う寸前の体勢で凍りついた。

訓練場の入り口に立っていたのは、ランタンを持ったノクトだった。

いつもの無表情だが、その背後には鬼気迫るオーラが漂っている。

「いい加減にしてください。現在時刻、午後九時。予定終了時刻を三時間超過」

ノクトがスタスタと近づいてくる。

その歩調は速く、怒りを隠そうともしていない。

「それ以上やったら、筋肉が壊死します。魔力欠乏でショック死します。勝てるものも勝てなくなりますよ!」

「で、でもノクト! 今いいところなんだ! あと少しで俺は何かを掴めそうなんだ!」

「うるさいっ!」

ノクトが俺の頬を、ペチンと両手で挟んだ。

冷たい手のひらの感触に、熱くなっていた頭が急速に冷やされる。

「……顔色が土気色。唇がカサカサ。脱水症状の一歩手前。

休む時は休むのも、修行のひとつです。自分の体の管理もできない人間に、最強を目指す資格はありません」

正論だった。

ぐうの音も出ない。

確かに、アドレナリンが切れたら一歩も動けないほど消耗している自覚はある。

「ティランも! 貴女が主人の体調を見て止めるべきでしょう! 何一緒になって暴走してるんですか!」

「うぐっ……わ、悪かったよ。坊主の目がマジだったから、つい楽しくなっちまって……」

ティランがバツが悪そうに頭を掻く。

ノクトは深くため息をつき、しかし、その表情を少しだけ和らげた。

「……二人とも、頑張りすぎ。

今日は特別に、ディナーはお肉にさせてあげました。A5ランクのドラゴンのステーキ、山盛りです」

その言葉を聞いた瞬間。

グゥゥゥゥゥゥ~~~~ッ!!

俺とティランの腹が、示し合わせたように盛大な音を奏でた。

緊張の糸が切れた証拠だ。

途端に、強烈な空腹感と疲労感が襲ってくる。

「……へへっ、腹減ったな、坊主」

「ああ……立てないくらいにな」

俺はその場にへたり込んだ。

ティランが笑いながら俺の手を取り、引き上げてくれた。

その手は大きくて、ゴツゴツしていて、とても温かかった。

「帰ろうぜ。飯だ飯!」

「そうだな。シャワーを浴びて、すぐにでも……」

俺たちが肩を組んで訓練場を出ようとした、その時だった。

「お二人とも。まさかとは思いますが……」

城の勝手口の前に、仁王立ちする人影があった。

銀縁眼鏡を光らせ、腕を組んだレグルだ。

彼女の視線は、俺たちの頭の先から足の先までをスキャンし、深い溜息をついた。

「その泥と埃、そして汗と血に塗れた状態で、神聖なるダイニングホールに足を踏み入れようとお考えですか?」

「うッ……」

「い、いや、あまりに腹が減ってたもんで……」

「却下です。衛生観念の欠如は、精神の乱れに繋がります。……まずお風呂へ入ってください。徹底的に洗浄してからでなければ、夕食はお預けです」

レグルの言葉は絶対だ。

彼女は俺たちの背中を押し(魔法の風で強制的に)、大浴場へと追いやった。

ナイトレイ城の大浴場。

湯気の中に、薬草の香りが漂っている。ヴネナンが入浴剤を調合してくれたらしい。

俺は泥だらけの服を脱ぎ捨て、シャワーで汚れを洗い流した。

熱いお湯が、冷え切った体に染み渡る。

傷口にしみるが、それさえも心地よい。

「……ふぅ」

湯船に浸かると、思わず声が漏れた。

広い浴槽には、俺一人。

いつもなら、ここで「背中を流します!」と誰かが乱入してきたり、壁の向こうから覗きの気配がしたりするのだが……今日は静かだ。

誰も入ってこない。

壁の向こう(女湯)からは、ティランたちの楽しげな話し声が微かに聞こえてくるだけだ。

『いやー、坊主の成長速度、マジでハンパねぇぞ! 俺の蹴りを防ぎやがった!』

『あらぁ、それは楽しみねぇ。明日の私の特訓では、どう料理してあげようかしら』

『クロノスさま、お背中流さなくてよかったんですか?』

『……今日は、一人でゆっくりさせてあげるべき。それが彼のため』

『そうですね。男同士(?)の裸の付き合いもしたかったですが、我慢します』

彼女たちの気遣いが伝わってくる。

俺が本気で強くなろうとしているからこそ、彼女たちも俺を一人の「男」として、戦士として尊重してくれているのだ。

過剰なスキンシップも、イタズラもない。

ただ、温かいお湯と、信頼だけがある空間。

俺は湯船の中で拳を握りしめた。

この温かさを守りたい。

この何気ない会話が続く日常を、誰にも壊させない。

スカーレットだろうが、他の誰だろうが、俺たちの邪魔をするなら叩き潰す。

今日の修行で、その覚悟はより強固なものになった。

「……よし、上がるか」

俺は十分に温まった体で立ち上がった。

心身ともにリフレッシュし、新たな力が満ちてくるのを感じた。



風呂上がりの夕食は、格別だった。

約束通り、テーブルには山盛りのドラゴンステーキが並んでいた。

表面はカリッと焼かれ、中はレア。噛みしめると濃厚な肉汁が溢れ出す。

俺とティランは、獣のように肉を食らった。

「うめぇぇぇ!! 生き返るぅぅ!!」

「これだ! これのために生きてるんだ!」

マナーもへったくれもない。

だが、レグルもノクトも、今日ばかりは何も言わず、微笑ましそうに見守ってくれていた。ヴネナンが甲斐甲斐しく水を注ぎ、リゼがサラダを取り分けてくれる。

「たくさん食べてくださいね、クロノス様。明日は私の『毒と薬の講座』ですから、体力つけておかないと……溶けちゃいますよぉ?」

「……お手柔らかに頼むよ」

俺は苦笑しながら、肉を頬張った。

全身が痛い。明日はもっと酷い筋肉痛になるだろう。

だが、不安はなかった。

この仲間たちとなら、どんな地獄の特訓も乗り越えられる気がした。

騒がしくも温かい、ナイトレイ家の夜。

笑い声がシャンデリアを揺らし、幸せな時間が流れていく。

同時刻。

遥か東、ドラゴニア帝国。

天空に浮かぶ「竜の城」の玉座にて。

女帝スカーレットは、宙に浮かべた巨大な水晶玉を眺めながら、妖艶にワイングラスを揺らしていた。

水晶玉に映し出されているのは、泥まみれになりながらティランに立ち向かうクロノスの姿。

ナイトレイ城の結界すら透過し、彼の姿を覗き見る遠見の魔法。

「……ふふっ。あはははは!」

スカーレットは喉を鳴らして笑った。

「可愛い、可愛いわクロノス。必死に足掻いているのね。

泥にまみれて、血を流して……私に勝つために、そこまでしてくれるなんて」

彼女の目には、それは「抵抗」ではなく、「求愛行動」に映っているようだった。

蟻が巨象に挑むような、健気で無意味な努力。

だが、だからこそ愛おしい。

「いいわ。せいぜい頑張りなさい。

どんなに爪を研いでも、どんなに牙を磨いても……絶対的な『種族の差』は埋まらない」

スカーレットは立ち上がり、窓の外を見下ろした。

そこには、月明かりに照らされた数千、数万の竜騎士団が整列していた。

個の力だけではない。軍事力、経済力、全てにおいて最強を誇る帝国の威容。

「一ヶ月後。貴方が絶望の淵で膝をつき、私の足に口づけをする瞬間を楽しみにしているわ」

彼女は水晶玉の中のクロノスに、ねっとりとした口づけを送った。

その瞳は、獲物を逃がさない蛇のように、赤く、妖しく輝いていた。

最強の許嫁の余裕。

それは、これから始まる修行の日々が、決して生易しいものではないことを予感させる、不吉で甘美な宣告だった。


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