第7章 嵐を呼ぶ女帝と、勃発する城内最終戦争
カミーラ・ブラッドリー伯爵夫人の一件から数日が過ぎた。
王都の闇を一つ潰したことで、ナイトレイ領には一時的な平穏が訪れていた。
救出された被害者たちは療養施設で順調に回復し、カミーラの悪事は白日の下に晒され、彼女の一族は取り潰しとなった。
全ては順調。
俺――クロノス・ナイトレイは、城のテラスで優雅なティータイムを過ごしていた。
「クロノス様、紅茶のお代わりはいかがですか?」
「ああ、頼む。レグルの淹れる茶は絶品だ」
銀髪の秘書、レグルが微笑みながらポットを傾ける。
その背後では、ノクトが黙々と庭の掃除をしている……フリをして、俺の周囲3メートルの警戒を行っている。
庭では、ティランとリゼが追いかけっこ(という名の音速機動訓練)をしており、ヴネナンは木陰で怪しげな薬草をすり潰している。
平和だ。
前世の俺が夢見ていた、穏やかで、誰にも脅かされない日常。
最強の部下たちに囲まれ、美味しい紅茶を飲む。これ以上の幸せがあるだろうか。
「……平和すぎて、逆に怖いな」
俺がポツリと呟くと、レグルがクスクスと笑った。
「心配性ですね、クロノス様。現在、領内の治安は最高レベル。敵対勢力の動きもありません。この平穏は、クロノス様が勝ち取ったものです」
「そうだといいんだが……。俺の『勘』が告げているんだ。巨大な嵐が近づいている、と」
俺は空を見上げた。
雲ひとつない青空。
だが、その青さが、今の俺には嵐の前の静けさに見えて仕方がない。
俺のスキル『因果逆転』は、世界の理に干渉する力だ。そのせいか、自分自身の運命に関わる大きな変動を、肌で感じ取ってしまうことがある。
「巨大な嵐、ですか? 台風の予報はありませんが」
「気象の話じゃない。もっとこう、厄介で、理不尽で、胃に穴が空きそうな……」
その時だった。
俺の言葉を遮るように、城内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
敵襲を知らせるサイレン。
それも、ただの敵襲ではない。
『災害級』の接近を告げる、最大級の警報だ。
「なッ……!? この警報は!」
レグルの表情が一変する。
庭で遊んでいたティランたちが、弾かれたように動きを止め、空を見上げた。
「おいおい、マジかよ……」
「空が……赤いわねぇ」
俺もまた、空を見上げた。
先ほどまで澄み渡っていた青空が、急速に赤く染まっていく。
いや、違う。
それは夕焼けではない。
空を埋め尽くすほどの「何か」が、太陽の光を遮り、赤い影を落としているのだ。
「報告ッ!! 上空より未確認飛行物体多数接近! 数、およそ三百! 機影から推測するに……飛竜です!!」
テラスに飛び込んできた衛兵が、顔面蒼白で叫んだ。
飛竜。
空の生態系の頂点に位置する魔獣。一匹でさえ村一つを壊滅させる力を持つそれが、三百体。
これはもう、戦争だ。
「ワイバーンだと……? どこの国だ!?」
「旗印を確認! 真紅の地に、黄金の竜! ……ドラゴニア帝国です!!」
ドラゴニア帝国。
ルナリア王国の東に位置する、大陸最強の軍事国家。
「力こそ正義」を掲げ、竜を操る騎士たちを擁する覇権国家だ。
なぜ、そんな大国がいきなり攻めてきた? 宣戦布告もなしに?
「クロノス様! 直ちに地下シェルターへ!」
「レグル、状況分析を急げ! 迎撃システム起動! 結界最大出力!」
俺は即座に指示を飛ばした。
だが、遅かった。
空を覆う飛竜の群れは、すでにナイトレイ城の真上まで到達していた。
バサァッ……バサァッ……!
数百の翼が風を切る音が、重低音となって腹に響く。
そして。
その群れの先頭、一際巨大な古代竜の背から、一人の女性が飛び降りた。
高度五百メートル。
パラシュートも、着地魔法も使わず。
彼女は真紅のドレスをなびかせ、流星のように城の中庭へと落下してくる。
ズドオオオオオオオオンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、中庭の石畳が粉砕された。
土煙が舞い上がり、衝撃波でテラスの窓ガラスがビリビリと震える。
俺たちは腕で顔を覆い、飛来物を防いだ。
「……何者だ」
俺は目を細め、土煙の中を凝視した。
そこには、一人の女性が立っていた。
燃えるような赤髪。頭には、竜の角を模した黄金の王冠。
背中が大きく開いたドレスからは、白い肌と、そこに刻まれた竜の刺青が覗いている。
その瞳は、爬虫類のように縦に割れた金色。
圧倒的な美貌と、それ以上に圧倒的な「王者の覇気」を纏った女帝。
彼女は土煙を片手で払い除けると、周囲を包囲するティランやノクトたちを一瞥もしなかった。
ただ一点、テラスにいる俺だけを見据え、妖艶に唇を歪めた。
「――見つけたわ、私の愛しい種馬」
その声は、戦場の喧騒を通しても、俺の耳元で囁かれたように鮮明に響いた。
「……は?」
俺が呆気に取られていると、彼女は瓦礫の山を優雅に歩き、俺の目の前まで飛翔してきた。
ドンッ、とテラスの手すりに着地する。
近い。
香水と、硝煙と、獣の匂いが混じった強烈な香りが漂う。
「久しぶりね、クロノス。十年ぶりかしら? ……ふふ、いい男になったじゃない。食べ頃ね」
彼女は俺の顎を指でくいっと持ち上げ、品定めするように見つめた。
「……誰だ、あんたは」
「あら、忘れたの? 薄情な殿方ね」
彼女は心外だと言わんばかりに目を細めた。
「私はスカーレット・ドラゴニア。ドラゴニア帝国の女帝であり……貴方の許嫁よ」
「……いいなづけ?」
俺の脳内で、その単語が反響する。
許嫁。フィアンセ。結婚の約束をした相手。
そんな馬鹿な。俺は聞いていない。父上の遺言にも、地下書庫の記録にも、そんなことは一言も……。
「嘘だ。俺はそんな契約をした覚えはない」
「貴方が赤ん坊の頃の話よ。貴方の父ヴィクターと、私の父(先代皇帝)が、酒の席で決めたの。『お互いの子供が成長したら結婚させよう』ってね」
スカーレットは事も無げに言った。
酒の席。
あの親父……! 死んでからも俺に特大の爆弾を残していきやがったのか!
「ふざけるな! そんな口約束、無効だ!」
「無効? いいえ、有効よ。ドラゴニアにおいて、皇帝の言葉は絶対の法。そして私は、その約束を果たすためにここに来たの」
スカーレットは俺の胸板に手を這わせ、うっとりとした表情で囁く。
「ずっと見ていたわ、クロノス。アビス・バレーでの貴方の戦いぶり……ゾクゾクしたわ。あの地竜を一撃で屠る力。理不尽なまでの因果への干渉。
貴方は強い。この大陸で唯一、私の『交配相手』に相応しい雄よ」
交配相手。
彼女は結婚相手ではなく、明確にそう言った。
彼女にとって俺は、夫というよりは、優秀な遺伝子を持つ「種」としてしか見られていない。
「さあ、行きましょうクロノス。今すぐ帝国へ連れ帰って、結婚式を挙げるわ。そして、三日三晩寝室に籠もって、強い世継ぎを作るのよ。拒否権はないわ。これは『収穫』なのだから」
スカーレットが俺の腕を掴む。
その力は凄まじい。**【身体超強化】**を使っていない状態の俺では、万力で締め上げられているように動かせない。
竜の血を引く彼女の筋力は、人間離れしている。
「放せッ! 俺は物じゃない!」
「あら、抵抗するの? 可愛い。でも無駄よ。貴方の周りの雑魚たちじゃ、私を止めることは――」
ヒュンッ!!
スカーレットの顔の横を、漆黒の鉄球が通過した。
轟音と共に、テラスの柱が粉砕される。
「……その汚い手を、私の主人から離せ」
地獄の底から響くような声。
ノクトだ。
彼女は中庭からテラスへ飛び上がり、巨大なチェーンハンマーを構えて立っていた。
その瞳からハイライトが消えている。殺意の波動が目に見えるようだ。
「おやおや、野良犬が吠えているわね」
「野良犬ではない。ナイトレイ家の番犬。……貴様こそ、不法侵入者。即刻退去せよ。さもなくば、肉片に変える」
「あら、怖い。でも……」
スカーレットは俺の腕を離さず、余裕の笑みを浮かべたまま、空いている手で指を鳴らした。
ギャオォォォンッ!!
上空を旋回していた飛竜の群れが一斉に咆哮し、数百の火球をチャージし始めた。
狙いは、この城全体。
「私に指一本でも触れてごらんなさい? この城も、領地も、貴女たちご自慢のちっぽけな命も、全て灰になるわよ?」
圧倒的な武力による脅迫。
個人の武勇ではどうにもならない、「軍事力」という暴力。
ノクトがギリッと歯噛みする。
城には多くの使用人がいる。領地には民がいる。彼女たちが手を出せば、ナイトレイ領は火の海になる。
「……卑怯な」
「覇道と呼んでちょうだい。力ある者が全てを奪う。それがこの世界の真理でしょう?」
スカーレットは勝ち誇ったように笑い、再び俺を引き寄せようとした。
その時。
「あぁん? 誰が誰を奪うって?」
ドゴォォォォォンッ!!
城壁の一部が爆発した。
瓦礫の中から現れたのは、身の丈ほどもあるバスターソードを担いだティランだった。
彼女の体からは、紅蓮の炎が噴き出している。
怒りで髪が逆立ち、その姿はまさに炎の魔神。
「おい、トカゲ女。今、うちの坊主を『種馬』扱いしたよな?」
「あら、事実でしょう?」
「ふざけんなボケェエエ! 坊主は俺たちの宝だ! 心も体も、指一本に至るまで、俺たちが大事に大事に育ててきたんだよ! それをポッと出の泥棒猫が、横からかっさらうだと!? 殺すぞ!!」
ティランの怒声が空気を震わせる。
それに呼応するように、ヴネナンが紫色の毒霧を纏って現れ、リゼが風の刃を展開して浮遊する。
レグルもまた、執務室の窓から身を乗り出し、無数の攻撃魔法陣を展開していた。
「ドラゴニア帝国との戦争? 結構です。受けて立ちましょう」
レグルが眼鏡を光らせ、冷酷に告げる。
「我がナイトレイ家は、売られた喧嘩を高値で買い取るのが家訓。たとえ相手が大国だろうと、クロノス様を奪おうとする者は、国家ごと消滅させます」
四人の殺気が一点に集中する。
その圧力は、スカーレットの覇気と拮抗し、空間に亀裂が入るほどだ。
「……へぇ」
スカーレットは目を細めた。
その表情から余裕が消え、代わりに獰猛な愉悦の色が浮かぶ。
「面白い。ただの雑魚かと思ったけれど……少しは骨がありそうね」
彼女はドレスの裾を破り捨て、戦闘態勢に入った。
その背中から、真紅の竜の翼が生える。
竜人族の血が覚醒したのだ。
「いいわ。力ずくで奪うのも、悪くない。……誰が一番強いメスか、ハッキリさせようじゃないの!」
「全員、構えッ!!」
俺の叫びと共に、戦端が開かれた。
合図などない。殺意の臨界点が、開戦の合図だった。
「へっ、デカいだけのトカゲ女が! 消し炭にしてやるよ!」
ティランがニヤリと笑い、大地を蹴ってスカーレットへ突っ込む。
彼女の剛剣は、これまで数多の敵を両断してきた必殺の一撃だ。たとえ相手が竜の鱗を持っていようと、叩き割る自信が彼女にはあった。
「燃え尽きろォオオ!!」
大剣に纏わせた炎は、城壁をも溶かす高熱。
それを真正面から叩きつける。
ドォンッ!!
直撃。爆発音と共に炎が舞う。
「どうだッ!?」
「……ぬるいわ」
煙が晴れると、そこには傷一つないスカーレットの姿があった。
彼女はティランの大剣を、なんと人差し指一本で受け止めていた。
「なッ!?」
「力が自慢みたいだけど、帝国の子供の方がまだ力持ちよ?」
デコピンのような動作。
それだけで衝撃波が発生し、ティランは砲弾のように吹き飛ばされ、中庭の噴水に突っ込んだ。
「嘘……ティランが、パワー負け……!?」
リゼが戦慄する。
だが、攻撃の手は緩めない。
「次は私ですっ! 竜さんでも、風は見えませんよねっ!」
リゼが姿を消し、高速移動でスカーレットの背後を取る。
真空の刃を数百発、同時に乱射する。あらゆる死角からの飽和攻撃。
「遅い」
スカーレットは振り返りもせず、背中の翼をバサリとはためかせた。
たったそれだけで発生した暴風が、リゼの真空刃をすべてかき消し、リゼ自身を空の彼方へ吹き飛ばした。
「あらあら、やっぱり私の出番かしらぁ? どんなに硬い鱗でも、毒なら防げないものねぇ」
ヴネナンが妖艶に笑い、紫色の毒霧を散布する。
吸えば即死。触れれば腐る。ナイトレイ家秘伝の猛毒だ。
だが、スカーレットは毒霧の中で深呼吸をした。
「……ふぅ。隠し味にマンドラゴラ? 悪くないスパイスね」
「嘘でしょぉ!? 致死量五百人分よ!?」
「竜に毒は効かないわ。むしろ滋養強壮にいいくらいよ」
スカーレットは平然と笑い、毒霧を肺いっぱいに吸い込んでみせた。
「……掃除の時間」
ノクトが影から飛び出し、スカーレットの首元にチェーンハンマーを巻き付けた。
同時に、レグルが展開していた百の魔法陣から、極大の雷撃魔法が放たれる。
「今です、レグル!」
「消滅なさい!」
バリバリバリッ!!
雷光がスカーレットを直撃し、白煙が上がる。
やったか?
誰もがそう思った。
「――あくびが出るわ」
煙の中から聞こえたのは、心底退屈そうな声だった。
スカーレットは無傷。
服すら焦げていない。彼女の周囲には、見えない魔力の障壁が展開されており、全ての攻撃を無効化していたのだ。
「本気で来なさいよ、カスども。……それとも、これが全力?」
彼女が放った「覇気」。
それだけで、空間が軋み、俺たちの膝が震えた。
格が違う。
生物としての次元が違う。
ティランたちが束になっても、傷一つつけられない絶望的な壁。
「……嘘でしょ」
「硬すぎる……」
「魔法が、通じない……」
ヒロインたちの顔に、絶望の色が浮かぶ。
自信を砕かれた戦士の顔だ。
このままでは、全滅する。
(……俺がやるしかない)
俺は一歩前に出た。
単独では勝てない。俺の【因果逆転】でも、あの防御力を貫くには魔力が足りない。
だが、全員の力を合わせれば――。
「全員、俺を見ろッ!!」
俺の怒号が響いた。
委縮していた彼女たちが、ハッとして俺を見る。
「まだ終わってない! 諦めるな! お前たちの力はそんなもんじゃないはずだ!」
「で、でも坊主! 攻撃が通じねぇ!」
「通じさせる! 俺がこじ開ける! だから、お前たちの最強の一撃を、もう一度叩き込め! 一点に集中させろ!」
俺はスカーレットを指差した。
狙うは、心臓部。
「合わせろ! 俺のタイミングに!」
俺は**【思考加速】**を発動。
時間を引き伸ばす。
ティランが炎を練り上げる。レグルが全魔力を充填する。ノクトが影を収束させる。リゼが風を圧縮する。ヴネナンが酸の瓶を構える。
「――今だッ!!」
五人の必殺技が同時に放たれた。
炎、雷、影、風、酸。
それらが空中で混ざり合い、一つの巨大な奔流となってスカーレットに迫る。
「無駄よ。何度やっても同じ――」
スカーレットは嘲笑い、防御障壁を展開しようとした。
その瞬間。
俺は残った全魔力を注ぎ込み、理を書き換えた。
【因果逆転・絶対貫通】
『障壁に防がれる』未来を消去。
『障壁が存在しない』という定義を強制。
パリンッ。
スカーレットの障壁が、ガラスのように砕け散った。
彼女の目が驚愕に見開かれる。
「なッ!?」
無防備になった彼女の体に、五人の合体攻撃が直撃した。
ズガァァァァァンッ!!!!
天地を揺るがす爆発。
光が収まった後。
そこには、ドレスを焦がし、頬から一筋の血を流すスカーレットの姿があった。
「……血?」
彼女は自分の頬を指で拭い、赤い液体を見つめた。
傷がついた。
俺たちの力が、最強の女帝に届いたのだ。
「やった……!?」
「傷がついたぞ!」
ティランたちが歓声を上げる。
だが、次の瞬間。
スカーレットの口元が、三日月形に裂けた。
「……あはっ。あはははは!」
彼女は狂ったように笑い出した。
その体から、先ほどとは比べ物にならない、どす黒い魔力が噴き出す。
「素晴らしい……! 私に血を流させたのは、貴方が初めてよクロノス!
いいわ、最高よ! 貴方はやはり、私の運命の相手!」
彼女の背後に、幻影のような巨大な竜の影が浮かび上がる。
本気だ。
さっきまでは遊びだった。今から放たれるのは、国一つを地図から消すレベルの攻撃だ。
「ご褒美に、骨の髄まで愛してあげるわ!!」
スカーレットが口を大きく開ける。
喉の奥で、灼熱のブレスが輝き始めた。
まずい。これを撃たれたら終わりだ。
俺は最後の力を振り絞った。
攻撃ではない。彼女の動きを止めるためだけに。
「――落ちろッ!!」
【因果逆転・超重力】
ズドンッ!!!!
スカーレットの体に、山のような重力がのしかかる。
彼女はブレスを吐く寸前で地面に叩きつけられ、テラスの床ごと沈んだ。
「ぐ、ぅぅ……!?」
さすがのスカーレットも、これには耐えられなかったようだ。
動きが止まる。
その隙に、俺は叫んだ。
「全員、攻撃中止! これ以上やったら、俺が自害するぞ!」
その一言は、魔法よりも効果的だった。
ティランも、レグルも、そして瓦礫の中から這い出そうとしていたスカーレットさえも、ピタリと動きを止めた。
彼女たちにとって、俺の死は世界の終わりと同義だからだ。
「……クロノス様、なんてことを」
「人質作戦……自分自身を人質にするとは」
レグルとノクトが青ざめる。
俺は瓦礫の山の上に立ち、スカーレットを見下ろした。
彼女は口元の血を舐め取り、妖艶に微笑んだ。
「……いいでしょう。今日のところは引いてあげるわ」
スカーレットは翼を広げ、空へと舞い上がった。
満足げだ。傷をつけられたことすら、彼女にとっては「愛の証」らしい。
「でも、諦めない。貴方は私のもの。
一ヶ月後、帝都で『最強武闘大会』を開くわ。そこで優勝しなさい。
もし優勝できたら、貴方の自由を認めてあげる。
でも、負けたら……一生、私のペットとして地下牢で飼ってあげるわ♡」
一方的な条件。
だが、拒否すればこの場で戦争が再開する。
「……分かった。受けて立つ」
「いい返事ね。待ってるわ、ダーリン」
スカーレットは投げキッスを残し、飛竜の軍勢と共に去っていった。
嵐が去った後には、半壊した城と、敗北感に打ちひしがれる四人のヒロインたち、そして胃痛を抱えた俺だけが残された。
「……クソッ! 手も足も出なかった……!」
「私たちの最強攻撃が、かすり傷ひとつだなんて……」
「悔しい……! クロノス様を守るどころか、助けられてしまった……」
ティランたちは地面を叩き、悔し涙を流している。
圧倒的な敗北。
スカーレットという「本物の最強」を前に、自分たちの無力さを痛感させられたのだ。
レグルが眼鏡を外し、深刻な顔で言った。
「……事態は深刻です。ドラゴニアの武闘大会といえば、世界中の猛者が集まる殺し合いの祭典。しかも、今回は女帝直々の花婿選びを兼ねているとなれば、参加者のレベルは桁違いでしょう。今のままでは、予選突破すら危うい」
「ああ。それに、スカーレット自身の強さも底知れない」
俺は自分の手を見た。
さっきの【因果逆転】。あれだけの魔力を込めたのに、彼女は笑っていた。
今のままでは、勝てない。
「……修行だ」
俺は呟いた。
「もっと強くならなきゃいけない。個人の力だけでなく、チームとしての連携も、全てを底上げする必要がある」
俺の言葉に、四人が顔を上げた。
その瞳には、絶望ではなく、燃え上がるような闘志が宿っていた。
「おうよ! 地獄の特訓パート2だな! 次こそはあのトカゲ女を泣かしてやる!」
「付き合いますよ、坊っちゃま。私の薬でドーピングも解禁ね。竜殺しの毒、開発しなくちゃ」
「私も、もっと速くなりますっ! 誰にも負けないくらい!」
「……掃除道具の手入れをしておく。次は確実に仕留める」
彼女たちはやる気満々だ。
俺の胃は痛むが、頼もしいことには変わりない。
「よし。目指すは一ヶ月後のドラゴニア帝国。
殴り込みだ。俺たちの平穏を取り戻すために」
こうして、第2部の幕が開けた。
最強の許嫁、世界中の猛者たち、そして過熱するハーレム。
俺の安息の日々は、まだまだ遠そうだ。
最後までお読みいただきありがとうございます!
第2部の幕開けです!
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