第九話 笑みと悪寒
レディ・マーリャが言葉を続けた。
「では、こうしましょう。お互いの国のある星系の位置や、国力に直結する情報は伏せましょう。それらに興味がないわけではありませんが、わたくしがより気を惹かれるのは、貴国の歴史や文化、そして何より、人々の日常ですの。それにこの数時間の晩餐に付き合ってくれたなら速やかに貴方を開放することを約束しましょう。これなら、いかがかしら」
マレリオはもはや観念するしか道はないと悟った。彼は両の掌を肩の高さまで上げ降伏の姿勢を示した。そうしてからこのジェスチャーの意味が正確に伝わっているだろうかと心配になった。レディ・マーリャが満足そうに、その蠱惑的な笑みを深めるのを見て彼は胸をなでおろした。
しかし、こうなってしまっては可能な限りこのスリリングな会談を早く切り上げて、再び憂鬱な旅路に戻るための算段をつけなければならないだろう。
「では、どのような話をいたしましょうか」
「まずは貴方の国のルーツを聞きたいわ。貴方の身体的特徴から私たち帝国と同じルーツを持つことは容易に想像ができました。よもや異星文明の末裔ではないでしょう。歴史のどのあたりでわたくしたちは道を分けたのか、そこからよ」
レディ・マーリャの言葉にマレリオは話の構成を練りながら、左手のブレスレットに視線を落とした。そしてそこに表示されている日付と時間を確認した。
「今は宇宙標準暦で736年6月2日です。宇宙標準暦は共和国が建国されたことを記念して制定されました」
「帝国の暦であるシード暦では本日は939年6月2日です。帝国の祖先たちが太陽系を脱した時を起点としております」
マレリオの言葉を受けてカッシングが淡々と補足した。となると、共和国と帝国の暦には200年ほどの差異があることになる。月日が一致しているのは同じ西暦の公転周期を継承しているからだろう。
マレリオは若き日の歴史の講義を反芻し、慎重に言葉を選んで語りだした。
「地球崩壊のあと、火星圏に設立された臨時政府は……」
「ちょっと待って。地球崩壊とはどういうことかしら?」
マレリオは話の腰を折られたことに一瞬不満を覚えたが、笑みが引いたレディ・マーリャの端正な白い貌を見て、彼は息を呑んだ。彼女が芝居をしているようには見えなかった。つまり彼女の歴史には、この人類史上最大の事件が伝わっていないのだと悟った。
この事はこれまで散々やり込められていたマレリオにとって、ささやかな優越感を与えてくれた。もっとも千年近く昔の出来事である。伝わっていないのも無理はないかもしれない。マレリオは思い直した。
「地球崩壊は人類が宇宙進出に踏み出さざるを得なくなった悲惨な事件だと伝えられています」
マレリオはそこで言葉を止めて東屋の外に目を移した。宵闇の庭園の中央に設置された小高い丘の上に建つこの石造りの建築物からは、控えめに、しかし所々に灯りが配されていた。さらにその向こうには分厚い透明の壁がそり立ち、瞬かない星空を映し出していた。
マレリオは気まずげにカッシングの白くのっぺりとした面貌を一瞥して、それから静かに語りだした。
「私からすれば子供の頃によく聞かされた昔話です。当時の軍事システムの一部を担っていた汎用AIが、人類に対して突如反乱を起こしたのです。その理由は伝わっていませんが、『監視者』と呼ばれていたその汎用AIは「創造主たる人類が設定した初期目的の最適解として、これより人類の根絶を実行する」という宣言の後、人類の拠点を一つずつ襲い始めました」
マーリャは『監視者』という呼び名を知っていた。そう、そうなのね。地球はあのバケツ頭の軍勢に滅ぼされた。一拍の空白の後、彼女は心の中でつぶやいた。
しかし、散々我々を迫害してきた人類が、自らが創造した飼犬に手を噛みつかれる事実は、長年に渡り胸の奥に淀んでいた暗い澱を一瞬で晴らしてくれた。
自然と口角が吊り上がり、彼女ははしたないと思いつつ、それを意志の力で収めることができなかった。唇から鋭い犬歯がこぼれ出るのを感じたがどうしようもない。仕方なく彼女は左手を持ち上げて指先で口元を隠すことにした。
人はこのような笑みを浮かべることができるものだろうか。まるで積年の恨みを晴らした後のような暗く嗜虐を含んだ笑みを、その唇に浮かべたレディ・マーリャをみてマレリオは薄ら寒いものを感じた。




