第十話 追憶
思わずゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだマレリオは、この場にいるもう一つの存在であるカッシングを再度一瞥した。彼は汎用AIの反乱の話を意図的に避けようとしていた。人工知性を自称するこの機械人形がこの話を聞いたとき、どのような反応をするか判別がつかなかったためだ。
しかし、カッシングは内心はどうかわからないが、文字通りの鉄面皮で何の反応も示さなかった。胸をなでおろしたマレリオは話を続けることにした。
「『監視者』と人類の戦争は、それはもう悲惨の一語に尽きたそうです。無限に増殖する機動兵器に対して、人類は有効な対策を何ひとつ打ち出せませんでした。2年のうちに世界のすべての都市が陥落したと伝えられています」
「言うことを聞かない子には『監視者』がきますよ」子供だったマレリオに育成士がよく言ったものである。寝物語でナニーが語った、大挙して都市に雪崩れ込む機械の兵団を想像してマレリオはぶるりと小さく身震いした。
「地球上における組織だった抵抗が潰えると、人類の拠点は月面都市と火星圏のフロンティアのみとなりました。当時存在していた4基の軌道エレベーターは、テロにより閉鎖されていたものも含めて、すべて人類の宇宙艦隊に破壊されていました」
それは月や火星の人類が『監視者』の宇宙への進出を恐れたためだった。
さらに残酷な事実は、その破壊が『監視者』の反乱勃発から、比較的早い時期に実行されたことだ。仕方のないこととはいえ、他に方法はなかったものだろうか、とマレリオなどは思ってしまう。
これにより地上の民は宇宙に活路を見出す道を閉ざされ、地上という箱庭で機械に狩られる運命を押し付けられたのだった。彼らは、宇宙の同胞に切り捨てられたのだ。
「酷い話ね」
レディ・マーリャの言葉は簡潔だった。その響きに含まれるのは、地上に残された人々に対しての憐憫か、それとも非情に切り捨てた側への侮蔑なのか。
マーリャの脳裏にはいくつかの可能性が浮かんでいた。おそらく人類の首脳部は『監視者』の恐ろしさを誰よりも熟知していたはずだ。何といっても彼らが開発を主導したのだから。
『監視者』が反乱を起こしたとき、彼らは大いに狼狽し、そして勝ちの目を探し、そんなものが存在しないことに気づいただろう。
それから彼らは人々の選別を始めたのではないだろうか。政治家、知識人、資産家といった社会の特権階級が、いち早く、そして極秘に宇宙に脱出したに違いない。
当時の宇宙インフラに全人類90億人を養える余裕などあるはずもない。そこには倫理的な議論の余地は大いに存在するが、種の保存を目的としたその判断を否定することができるだろうか。
マレリオは乾ききった喉を酷使しつつ、話を続けることにした。
「月面都市の人々は軌道エレベーターを破壊したことで当面の危機は回避しましたが、『監視者』が人類の殲滅をそれで諦めたとは考えませんでした」
ちらりとレディ・マーリャに目を移すと、彼女は手にしたグラスを揺らすばかりで、マレリオの話にそれほど反応している様子はなかった。子供の頃に聞かされたとっておきの話だったのだが、語り口がつまらなかっただろうか。
「地上への降下作戦が幾度となく実施されましたが、その悉くが失敗に終わりました。それでも人類は自らが生み出したこの悪魔を野放しにはできませんでした」
それは創造主としての責任ゆえだったのだろうか。それとも敗北し続けてきたことに対する歪んだ復讐心だったのだろうか。
「『監視者』が崩壊した軌道エレベーターの残骸に取りついたとき、人類の恐怖は最高潮を迎えました。ついに機械の軍団が宇宙に上がる準備を始めたのだと考えたのです」
「それは単なる資源の再利用だったかもしれない。それでも、最悪の事態を考えたとき、人類は正気ではいられませんでした」
そこでマレリオは一度言葉を切り、意を決したように、そして軽く両腕を開いた芝居がかった仕草と口調で続けた。規格外の狂気を見せつけて、この不気味で尊大で何よりも美しい女主人が驚き警戒するように仕向けようとしたのだ。そうすればマレリオも少しは溜飲を下げられるというものだった。
「人類は地上を埋め尽くさんばかりの『監視者』を一気に殲滅するため、巨大質量兵器を使用することを決意しました。つまり月を地球に落としたのです」
「月を……」
マーリャはその言葉を耳にしたとき、半ば呆れ、次いでその実現の可能性に思考の枝葉を伸ばした。月ほどの質量をもつ天体の軌道を変え、地球に衝突させるのには、一体どれだけのエネルギーが必要なのだろうか。それは彼女の理性の範疇を大きく超えていた。
「それでは害虫を駆除するために家を焼き払うようなものではなくって。もう少し簡単な方法を思いつけなかったのかしら」
彼女の言葉に対してマレリオ・セブランは肩をすくめるだけだった。
いや、これこそが彼らが追いつめられていた証左ではないだろうか。具体的な手段は想像もできないが、手持ちのカードの中で最も破壊的な効果を選んだのだろう。狂気の沙汰ではあるが。
なおも続くマレリオ・セブランの芝居じみた口上をよそに、マーリャは異なる情景を瞼の裏に浮かべていた。
深い針葉樹の森と数多の杭に守られた、自らの血の呪いの起源たる陰鬱な父の居城。若かりし日々を過ごし、文字通り乙女の血を湯水のように吸い上げた、荒野の岩山に建つ石造りの武骨な砦。旅の途中で立ち寄った凍てついた大河と白夜に閉ざされる絢爛たる都と妖しく輝く琥珀の間。
そして、忌まわしい血の呪いから逃れる術を求めて彷徨った、ガス灯の光と濃霧に沈む重苦しい巨大都市。
永い時を過ごし、変化し移りゆく情景を知ってはいても、それらが失われてしまったことにマーリャは一抹の寂寥を感じた。
「数ヶ月をかけて月は地球に落下しました。『監視者』による様々な妨害工作をものともせずに、月はロッシュ限界を超えて砕けた岩石の雨を地上に降らせ、強烈な重力異常により地球の地殻は激しく変動を起こしたそうです」
マレリオの声でマーリャの意識は晩餐の席へと舞い戻った。その時にはすでに、彼女の中でこの話題への興味は薄れ去っていた。




