第五話 望まぬ招待
暗い通路の中をツァリーナ・キャザリン号はゆっくりと運ばれていき、やがて停止した。船体を固定する振動が鈍くコックピットに響いた後、次々と照明が点り空間の全体像が見えるようになった。
そこは予想していたものより、はるかに広い空間だった。見渡す限り平坦な床面と高い天井。離れた場所にはツァリーナ・キャザリン号と同規模だが全く違う意匠の輸送船らしき影が複数停泊していた。その規模は単なる宇宙ステーションのドッキングベイというより遥かに大きな惑星軌道エレベーターの宇宙港に匹敵した。
マレリオは船載AIに船外環境を精査するよう指示をした。精査の結果、この宇宙港(マレリオはここを仮に宇宙港と呼ぶことにした)はきっかり1Gの重力を保っており、呼吸可能な空気で満たされていた。病原性有機物の反応も皆無で、不気味なほど清浄な空間だった。遠くにはたった今、ツァリーナ・キャザリン号が通ってきた通路が暗い洞窟のようにその口を開けたままにしており、その先には宇宙空間の僅かな光が覗いていた。宇宙空間と直接つながっているのにどうやって空気の流出を防いでいるのか……。
焦燥と不安と僅かばかりの好奇心で満たされたマレリオが船外に出て周りを探索すべきか迷っていると、答えは向こうからやってきた。遠くから小さな移動物がツァリーナ・キャザリン号へ向かって近づいてくる。
一見するとそれは市場や港湾施設でよく見る荷役用の反重力ターレットだった。マレリオ自身も積荷を運ぶためによく世話になっている。それが黒塗りの箱型客室を牽引して滑るように近づいてくる姿は、どことなく復古主義者たちが好んで見るドラマに登場する貴族の馬車を思わせた。
キャリッジがツァリーナ・キャザリン号の昇降口の前で音もなく止まり、扉が開く。そこから現れたのは黒のタキシードを隙なく着こなした、マネキンだった。白磁を思わせる滑らかなその面貌は鼻梁のみを表現しただけののっぺりとしたものだった。表情のないその人形は、優雅な所作で一礼した。
「旅の方、お初にお目通りいたします。私の名はカッシング。この宇宙船「チェイテ」の中枢であり、帝国の誇るオメガ級の人工知性、そしてわが主の忠実な従僕でございます」
船外マイクが拾った豊かなバリトンはコックピットのスピーカーを通してマレリオに届けられた。それは少々古めかしい言いまわしであったが共和国標準語に違いなかった。
「我が主人があなた様をささやかな晩餐の席へご招待したいとの仰せです。是非ともこちらへお越し頂けますよう」
カッシングは深くお辞儀をして右手をキャリッジの開いた扉へ向けマレリオを誘った。
主人? 帝国? 共和国に所属する星系でその様な政体の共同体はあっただろうか? 何よりも人工知性という単語にマレリオは生理的な警戒心を覚えた。共和国においてAIとは高度な計算を行う道具でなければならず、それに知性や人格を付与することなど論外である。自律的な汎用AIの製造は共和国の法でも堅く禁じられている。
見たことのない構造を持つ巨大宇宙船、船の最大加速すら容易く拘束した謎のテクノロジー、そして共和国ではその存在を認められていない汎用AIと思しき存在。警戒するには十分な理由がそろっていた。
マレリオは喉の渇きを覚えていたが、生憎コックピット内での飲食は航行要綱によって禁止されていて持ち込みは許されていなかった。仕方なく彼は生唾を飲み込んで喉を潤すと、努めて冷静な声を装いコックピットのマイクに向かって丁寧な口調で話しかけた。言葉が通じるのなら交渉もできるに違いないと踏んだのである。
「私はマレリオ・セブラン。共和国第75通商組合に所属するセブラン商会の代表を務めています。本日はお誘いを頂き大変光栄です。ですが大変申し訳ありません。次の商談まで時間が迫っておりまして、一刻の猶予もございません。このまま出港の許可を頂くわけにはいかないでしょうか」
それに対して豊かなバリトンは丁寧に答えた。
「セブラン様。お急ぎのところ呼び止めてしまい、誠に申し訳ございません。事情は承りました。が、しかし私は主人より必ずお客様をお連れするよう命を受けております。セブラン様のご都合もございましょうが、このままでは私も主人のもとに戻ることができません。重ねて御同道をお願いいたします」
「こちらにも事情があるのです。取引に間に合わないと私も大きな損失を被ることになります。また信用を失えば今後の商売にも大きな影響があることでしょう。そのあたりのことを考慮に入れていただきたい」
マレリオは泣き落としの作戦をとった。実のところ彼の窮状はもっと深刻な状態にあったのだが、足元を見られるわけにもいかなかったのだ。
「そのような御事情があることも知らず大変失礼いたしました。ですが先ほども申し上げた通り、主人よりお客様をお迎えするように仰せつかっております。ほんの数時間の事でございます。御同道のほどお願い申し上げます」
なぜ機械に対して自分は交渉を仕掛けようなどと考えたのだろう。全く話が通じないカッシングに対してマレリオは絶望した。
もう強行突破しかないだろうか。アクション映画ばりのアイデアがマレリオの脳裏をかすめたが、彼はそれをすぐに否定した。軽貨物宇宙船たるツァリーナ・キャザリン号には碌な武装は搭載されていないし、宇宙船のフルスロットルを軽く繋ぎ止める謎の力の存在もあった。こうなれば直接その『ご主人様』とやらと交渉するしかなさそうだった。
マレリオは船載AIに簡単なコマンドを打ち込むと、無言でエアロックから船外に出た。それを見たマネキンが深々とお辞儀をした。
キャリッジの中は外観から想像されるより広く、赤いビロード張りのシートは体が沈み込むほどの柔らかさだった。
「到着までには今しばらく時間がかかります。お飲物などは如何でしょうか」
「どれくらいの時間がかかるんだ。距離は?」
先ほどの口上とは打って変わってマレリオはぞんざいな口調で問いかけた。しかし彼の苛立ちを隠しもしないその言葉は、何事もなかったかのように、マネキンののっぺりとした顔面を滑り落ちていった。
マレリオは不貞腐れた様子を見せながらも、さりげなく観察をしていた。カッシングはキャリッジ前部に設置されたコンソールに指先を滑らせると、音もなくキャリッジが発進した。




