第十九話 反乱と混乱
そう語りながらマレリオは戦闘終結の報を受け取った時のコックピット内の混乱を思い出していた。
マレリオの頭の中は完全に真っ白になり、いつもなら泉のように湧き出る軽口も忘れて、堅いシートにその身を沈めるばかりだった。
常に冷静沈着なナヴィですら、その滑らかな褐色の肌から血の気が引き、大きなアーモンド形の瞳を不安そうにこちらに向けていた。その半開きになった唇からこぼれた白い歯が戦慄いていた。
「何にせよ、船内の混乱は収拾のつけがたいものになりました。どういうわけか惑星との通信は宇宙港のものを除いて、大幅な障害に見舞われており、事情を確認しようにも通商組合との連絡がまったくつかなかったからです」
集まってきた乗組員に詰め寄られて辟易した情景を思い出しながら、マレリオはわざとらしくレディ・マーリャに苦笑いをして見せた。
「大規模な通信障害は惑星全域に広がっていました。後から聞いた話では宇宙軍からの桁違いな大容量通信が惑星の主要な通信拠点に向けて一斉に行われたそうです。それでネットワークは飽和状態となり障害が発生したと」
「惑星の通信インフラが飽和するほどの通信リソースを投じるなど、先ほどの月を地球に落とす話もそうだけど、貴方たち人類はどうしてやることがこうも極端なのかしら」
呆れ気味にレディ・マーリャが口を挟んだが、これにはマレリオも全くの同意見だった。ただこれを共和国人の行動基準だと思われるのは、大いに不本意だったが。
「状況は不明でしたが、宇宙港との通信から戦闘がわずか3日間で終結したことだけはわかっていました。ならば積荷である『医療バルク』の市場価値が著しく下落するであろうことは誰の目にも明らかです。状況を確認しようにも肝心の通商組合との連絡が全く取れないのですから、乗組員たちが不安に思うのは当然のことです」
今でこそ茶化したように語ることができるが、この時ほど肝を冷やしたことはなかっただろう。
「商取引なのだから、当然契約書は交わしていたのでしょう。そこには契約金額が明示されているはずだから、いくら市場価格が暴落したとしても貴方たちに損害は発生しないのではないかしら」
レディ・マーリャはそう指摘したが、広大な星間経済において契約書の情報はすべての世界で同時に更新されるわけではない。政府の公式発表ですら定期便や交易船の情報同期によって全星系にゆっくりと拡散されていく。そして得られた情報は全世界で基準とされる『宇宙標準暦』の時間軸に合わせて並べ直される。そのため10日後の情報が今日の情報より2日早く現地に到着する、という現象が頻繁に発生するのであった。
通信が回復して積荷の情報が同期されなければアルゴリズムには認識されず、そもそも契約自体が成立しないのである。この時、積荷の情報はワープゲート管制局や宇宙港の通過は記録されていたが、肝心の通商組合との同期はまだなされていなかった。システムにとってこの契約自体がまだ存在していない可能性すら濃厚であった。
星間経済における情報の非対称性についてマレリオが説明するとレディ・マーリャは即座にそれに対する理解の色を美しい顔に示した。マレリオの脳裏に、帝国という国ではこのような情報の錯綜が発生しないのだろうか、という疑問がよぎったが、彼はそれを言葉として発することはせず、心の隅にそっと流すことにした。
マレリオが目を向けると、純白のテーブルクロスの上に据えられた青銅の燭台の青白い炎が見え、次いで艶やかな黒髪を湛えた女の銀色の瞳が自分を見据えていた。
蝋燭の炎はわずかに揺れたが、大きくその姿を変化させはしていない。マレリオはひとつため息をつき、手にした銀色のスプーンと白いボウルに目を落とした。ボウルの中に注がれていた琥珀色の輝きはすでに空となっており、彼は名残惜しそうにスプーンを受け皿の上に置いた。給仕の機械人形は音もなく動き出し、使用済みの食器を銀色のワゴンに下げると、丁寧に一礼してから下がっていった。
マレリオはその滑らかな一連の動作を眺めながら話を続けた。
「セブラン商会のツァリーナ・キャザリン号の格納庫には、本来であれば流通されるべき大量の積荷が意味もなく積載されており、しかもその積荷は搬出される気配すらない、と見られかねない状態でした。これは共和国では最も厭われる流通の阻害行為にあたり、事態が改善されない限り確実にセブラン商会とその事業主である私には甚大なペナルティが科せられることとなるでしょう」
そしてこの信用スコアのアルゴリズムは、マレリオのみならず商会のメンバー全てに対し、その役割に応じてペナルティを下すことだろう。アルゴリズムには情状酌量という概念は存在しない。たとえ通信障害のような不可抗力が発生したとしても、例外が許されることはあり得ないのだ。
不安を覚えた乗組員たち、甲板係のドルクがその太い腕でマレリオの胸倉をつかみかかってきたり、通信士のピコが甲高い声で喚き始めるのもわからなくもない。しかしこの件で最も大きな被害を受けるのはマレリオ本人なのだ。システムのアルゴリズムでもあるまいし、自分たちの事ばかりでなくこちらの事にも気を使ってくれてもいいものだろうにと、マレリオは思った。
マレリオは一瞬のこの黒い感情が、目の前に座る不気味で恐ろしい美女にとって、この上ない珍味であることに思い至った。そしてその次の瞬間には嫌悪と共に青銅の燭台に据えられた青白い炎に目を向けていた。
ところが先ほどのように青白い炎が巻き上がるかと思いきや、驚くことに炎に全く変化は起こらなかった。むしろ動きがないためか若干炎が小さくなったようにさえ感じられる。
正直なところ今の一瞬は記憶の痛みにより全く防御の事を忘れていた。そんな隙を目の前の銀色の瞳を持つ魔女が見落とすはずがなかった。しかし実際には『異能』と呼ばれるマレリオには全く理解のできない能力は行使されなかった。
不思議に思い視線を燭台からテーブルの先に座るこの城の女主人に戻すと、彼女は少し驚いたような表情で、その大きな銀色の瞳がこちらをじっと見ていた。ただその視線はマレリオを通り越してもっと遠くの時空に向けられているようにも感じられた。




