第二十話 信用スコア
「その宇宙船の名は女帝・キャザリン号というのかしら」
突然話題が変わったことに、マレリオ・セブランは意外そうな表情を隠そうともせずに答えた。
「ええ、そうです。ツァリーナ・キャザリン号です。起業した際に購入した中古のボロ船ですが、常にカタログ値よりも高い性能を叩き出してくれるいい相棒です」
自身の愛着のあるものが他人の興味を引くと人は自慢げに話すものだ。彼もそのようだ。
しかしマーリャはその言葉を聞いて奇妙な縁を感じていた。『女帝・キャザリン』という言葉に彼女は二つほど心当たりがあった。ひとつは彼女の父、そう、かつて彼女自身が悩み呪った『血の渇望』という宿痾の元凶たる彼女のルーツ。
この長い生の間でもろくに顔を合わせたこともないその男は、何を思ったのか片田舎の古城からかの霧の都へ移り住み、そこでひと騒動起こした挙句に、人類からしたたかに反撃され、ほうほうの体で故郷のトランシルバニアへ逃げ帰った。その時に利用した船舶の名が『女帝・キャザリン号』だった。
船は追っ手の予想を超える快速で波間を走ったと言われる。恐らく、あの父が何か魔法のようなものを船にかけて速度を割り増したのだろう。しかしその甲斐もなく、父は城に逃げ込む寸前で追っ手に捕らえられ、呆気なくも滅ぼされてしまったのだが。
そうは言っても、それから1000年以上たったこの時代に、しかもただ名前が同じなだけで何の関連性もないこの宇宙船にまで効果のある魔法などありうるだろうか。いや、あの父ならやりかねないだろう。船自体に魔法をかけたのではなく、その『銘』自体に呪いをかけたのであれば、多少の無理は感じても、ある程度の納得は得られる。彼女の父はそのような無茶苦茶な人物だった。
マーリャの思考はさらに深く過去へ遡っていった。
彼女の知るもうひとつの『女帝キャザリン』は、冬には肌を切り裂くような冷たい風が吹きすさび、雪と凍り付く大河に囲まれた石造りの絢爛たる宮殿の主だった。
黄金と大理石で飾られた宮殿の奥深くで彼女の誰よりも白くやわらかな肌は、冷え切ったマーリャの身体を暖炉の炎より熱く、そして優しく温めてくれたものであった。その皮膚の下に流れる甘い血潮は幾度となくマーリャの理性の箍を外しかけたものだった。
幸いなことに彼女はマーリャが好むような絶世の美女ではなかった。もしそうであれば彼女は一晩で命を吸い尽くされてしまっていただろう。ただ小柄でぽっちゃりとした可愛らしい容貌を持つ14歳の少女は嫁ぎ先では後ろ盾もなく孤立しており、そんな彼女をマーリャは愛でたものだった。
少女が女帝となり実権を握るまでの数年間をマーリャは文字通り影となり寄り添った。その夜ごと繰り広げられた思い出を反芻するとマーリャの中心で甘い蜜がはじけ、それが背筋を駆け上がった。
微かに甘い吐息を漏らしたマーリャが視線を感じてそちらに目を向けると、マレリオ・セブランが気まずそうに目を逸らすところだった。
「たびたび貴方の話に出てくる信用スコアとはどのようなものなのかしら」
暫しの沈黙の後、マーリャは口元に微笑みを浮かべ、新たな問いを発した。会話が再開したことにマレリオ・セブランは躊躇いつつも少しほっとしたように言葉を紡ぎ出した。
「信用スコアは共和国において、その生活の根幹をなすシステムです。個人の経済貢献度や労働生産性などの生産的寄与度や、道徳性や法順守などを含む規律同調度によって評価されます」
マレリオ・セブランが語るところの『信用スコア』とはかつて地球時代に存在していた、いわゆる『社会信用スコア』とまるで趣が違っているようだった。当時の社会信用スコアはクレジットカードのブラックリストや住宅ローンの与信枠を管理する実務的な金融システムに過ぎなかった。
「歴史的に言えば、地球崩壊後の長い放浪時代における、閉鎖空間内でのリソースの確保と分配基準が発展して今の時代まで残ったものです」
ここでマレリオ・セブランは一度言葉を止めて、辺りを見渡した。どことなく落ち着かない様子で話を再開した。
「資源は有限ですから、それらが滞留せずに効率よく流通することを目的に人々が行動するよう共和国では求められています」
なるほど、マーリャにはマレリオのその態度に合点がいった。つまり彼の所属する共同体の基準では巨大でどう考えても物資を無駄遣いしているこの『宇宙船チェイテ』という存在自体が贅を尽くしすぎた『罪悪』そのものなのだ。
確かにマーリャの、そして標準的な帝国人の観点から見ても、この宇宙船の規模は度が過ぎている。一つの都市がまるごと収まるほどの巨大な構造物。ましてやそれが宇宙を移動するなど非常識極まりない。しかしこれを設計、建造したカッシングには異なる考えがあったのだろう。もっともそれを訊ねたところでその答えはおそらくマーリャにも理解できないことだろうが。
「信用スコアはAからEまでのランクで区分されていますが、そのランクにより、一度に使用できるリソースの制限が大きく異なります。私は現在CランクにいますがBランクに上がれば、移動可能な距離、一度に使用できる資金額の上限、自由度は桁違いに向上します。その逆も然りです」
「そういえば、貴方は旅路を盛んに急いでいましたね。それは信用スコアの上下に関係するのですか」
マーリャの言葉にマレリオ・セブランが反応した。彼女の見えない触手は『マルコの燭台』の炎が僅か1ミリも揺らがせない程度に制御され、マレリオ・セブランを取り囲んでいたが、その包囲に彼の思考が微かに触れたのだ。
「おっしゃる通りです。3日間戦争のために私のもとには膨大な在庫と借金しか残りませんでした。借金を踏み倒すのはもちろん信用にかかわります。ですが何よりも物資を滞留させることは共和国においては罪悪と同意義になるのです。我がツァリーナ・キャザリン号の格納庫に詰め込まれた『医療バルク』の山を一定期間内に流通させなければセブラン商会には多大なペナルティが課せられ、その代表である私の信用スコアは奈落の底まで暴落することになるでしょう」
もしランクがEにまで落ちるならば、その小さな経済活動枠のために借金返済に一生を費やさなければならなくなります。と、マレリオ・セブランは付け加えた。
なんとも息苦しい社会だこと。それがマーリャの感想だった。共和国の規模はわからないが、入植して惑星開発が進めば人々が生存するのに必要な物資は充分に確保できるはずだ。約200年という長い放浪生活の末に大地を取り戻した人々は豊かな世界を謳歌しなかったのだろうか。それとも数世代にわたるあまりにも長すぎる管理社会は、人にそれ以外の生き方を忘れさせてしまったのだろうか。
いや、実際に反乱が起きていることから、すべての人々がそれに染まっているわけではないのだろう。しかし、その芽は驚くほどに小さいのだと彼女には思えた。
マーリャは目の前の男が、自分たちの体制に対して、どのように考えているのか興味を持った。そして率直にそのことを訊ねてみたが、帰ってきた答えはマーリャを失望させるものだった。
「今でこそ苦境に立たされていますが、私はこの制度を利用して成り上がってきた側の人間です。信用スコアは個人の能力と努力の結果を余すことなく反映させます。そこで得られる結果はあくまで平等で公平なものです」
そう胸を張り語るマレリオの表情には、そんな制度の中で己の能力のみを頼りに成功を収めてきた者の自信と誇りがありありと現れていた。
そのマレリオの表情を見てマーリャは僅かに目を細め考える。この男はこれまで自身の世界しか知らず、その中で必死に生きてきたのだろう。ならば別の世界の在り方を突き付けられた時、彼はどのような反応を示すだろうか。
「共和国と帝国ではだいぶ趣が違うようね。『異能』が存在する帝国では、完全な平等はなかなか成立しないわ。それでも帝国の武官・文官ともに多くの非『異能者』や低レベル『異能者』が従事しているものよ。例えば、わたくしが帝国を出るまえのことになるけれど、四大派閥の一角である『赤の修道会』の総長は非『異能者』でした。並みいるアルファ級『異能者』の中で、己の才覚と人脈を駆使して上り詰める彼の姿は、見ていてそれはもう見事なものでした」
マーリャの言葉を聞いてもマレリオにはさまざまな『異能』が存在する社会の根源的な理不尽さをいまひとつ理解できていない様子だった。
帝国が発展していく過程でその原動力となる『異能』の研究も推し進められ、この1000年の間でその形成構造に係る謎の多くが解明されてきた。そして判明した事実のひとつが、発現したその『異能』を決定する因子は、後天的なものではなく生まれついての先天的要因であるという事だった。
その話をマレリオにすると、彼は眉を顰めた。
「ずいぶんと不公平な社会なのですね。生まれ持った能力によって社会的地位が決定されるなんて、人の可能性に対する冒瀆なのではありませんか」
この帝国の『異能』の実態を知って、彼にも思うところがあったのだろう。彼にとって異世界ともいえるこの空間で常に殻に籠って自己の保全を優先していた男の本音に近い部分がこの言葉で垣間見えたように思えた。よい傾向だと、マーリャはほくそ笑んだ。
「もちろん、持って生まれたものだけで栄達できるほど帝国も甘くはないわ。高い『異能』のキャパシティを持って生まれたとしても、その力を使いこなせなければ意味はありません。そして『持たざる者』にも当然のことながら門戸は開かれています。帝国には『勲功と知遇』という制度が存在するの」
それはいつの頃からか始まった明文化されていない制度だった。若者はその地区や惑星の有力者のもとに集い自らの能力を示し、それは決して『異能』とは限らなかった、有力者はそれを認めると彼らを取り立て、経済的に援助を行い、能力を伸ばす手助けを行った。有力者と若者は契約を結び、若者は有力者のために働き、有力者は時に領内における地位を与え、時に中央に推挙した。
『無能』の二つ名を持つあの若者は今どうしているだろうか。地方領主から推挙されてきた彼の手管に魅せられたマーリャは、異なる派閥であるにもかかわらず幾度となく便宜を図っていたものだった。彼が『赤の修道会』で地位を上げていく過程はそれはもう鮮やかな彩に満ちていた。
彼女が帝国を出奔して50年近くの歳月が経とうとしているが、当時の彼はまだ40代半ばだった。存命なら人としてはそれなりの高齢であり、その知性も後退していてもおかしくない。ましてや人の命は儚いものと古来より相場は決まっている。もう二度と会えないかもしれない相手を想いマーリャは小さくため息を吐いた。




