第十八話 コンソメスープと熱
さらりと物騒なことを口走った機械の執事はワゴンをテーブルの隣に固定して大きな銀色のクロッシュを持ち上げた。そこからはマレリオにもよく馴染みのある香りが漂ってきた。
「スープはコンソメスープをご用意いたしました。肉や野菜を丸2日煮込んでその旨味を余すところなく抽出した逸品でございます。どうぞ、冷める前にお召し上がりください」
そう言ってカッシングはまだ湯気の立つ琥珀色の澄んだ液体を白いスープボウルに満たし、マレリオの前に据えた。器がテーブルに触れた時に微かにカチャリと音が聞こえたのみで、その所作には、まるで重力すら感じさせないような滑らかさと精密さがあった。
マレリオは銀色のスプーンを手に取り、ボウルの中のスープをすくい上げた。僅かに脂の玉が浮かんだスープには全く不純物が見当たらず、蝋燭の灯りは琥珀色の液体をすり抜け、銀色のスプーンに反射してキラキラと輝いていた。
マレリオの所属する共和国にも、コンソメスープはもちろん存在する。もっともポピュラーなスープだと言ってもいいだろう。
効率を重視する共和国では、食事はもっと手軽に摂取できるような形態が重宝される。スープなどはマグカップで提供されるのが一般的だ。
マレリオはスプーンを口に運んだ。最初に感じたのは熱さだった。共和国のスープは手早く摂取するために温度は低めに設定してある。プリント機器からの出力したものを食すため、好みにより設定変更は可能だが多くの人々は火傷をしない温度帯を選択する。
しかし、このスープは共和国で提供されるものよりずっと高い温度に保たれていた。下手をしたら舌先を火傷してしまいそうだ。スプーンで啜ることを前提とした帝国ではこの温度が正解なのだろう。
しかし、その味は共和国のものとそう変わるものではない。この異郷で初めて味わう故郷と同じ味は、マレリオにほんの数週間前の日常を想起させた。働き詰めで苦労も多かったが、順調に進んでいた生活。
それが破綻し、彼の地に置き去りにした仲間たちのことを考えると、マレリオは胸に小さな痛みを感じた。もちろん仲間と合流する選択肢もあっただろう。しかしあの時は一刻の猶予も許されない状況だと判断したのだ。すべては会社を、彼らを救うための合理的な方法だった。だからそこに後悔はないはずだった。
一瞬だけ『マルコの燭台』が青白い炎を巻き上げ、そしてそれはすぐに収まった。燭台の向こうには、銀色の瞳を悪戯っぽく細めた白い顔と真っ赤な唇が「ごちそうさま」と音もなく動いた。全く油断も隙も無い。脳内を数字の奔流で満たしながら、マレリオは胸の内で毒づいた。『異能』は使わないと言っておきながら、どうにもつまみ食いはやめられないらしい。
「話を元に戻しましょう」
ひとつ咳払いをして、マレリオ・セブランは話題を変えようとした。マーリャは積み重ねられる数字の壁に追い返された、見えざる触手をその身の内に戻しながら、今しがた味わった甘美な感情の流れを反芻していた。
思えばこの永い生で、他者の感情を好んで味わうようになったのは、いつの頃からだったろうか。マーリャは自問した。まだ若く未熟だった時代、夜ごとに襲い来る血の渇望を彼女は厭い、様々な方法でその業を克服しようともがいた。そのひとつひとつが、何と不器用で無様なものだったことか。
時代は下り、技術がその業を和らげ、それを罪とも呪いとも感じなくなった今、これらの衝動の代替えとして嗜好しているだけなのかもしれない。だがそれは、何と甘美で官能的なものなのだろう。
「事態の進展を我々が知ったのは、首都星スーザンとの通信が通じるようになった時でした。通信は混乱していましたが、戦闘がすでに終結していることは伝わりました」
マレリオの顔が歪んだ。それはまるで何か渋いものを口に含んだ時のようだった。
「たったの3日間だったそうです。共和国の宇宙艦隊が戦地に到着してから反乱勢力が降伏し武装解除が始まるまでの時間は」
その言葉はマーリャに純粋な好奇心を抱かせた。
3日で反乱を平定?長い歴史を生きるマーリャにも、そのような事例は数えるほどしか聞いたことがない。ましてや星系単位の反乱でそのようなことが可能であろうか。帝国の歴史でも数えきれないほどの惑星間の紛争や反乱が存在しているが桁違いに早い収束だった。
「どうやって、小惑星帯の反乱を3日という短い時間で成し遂げたのかしら。計画を未然に防いだのならまだしも、一度起こってしまったものをそんな短時間で鎮圧する事例なんて、長い人類の歴史の中でも稀なものよ」
常とは異なり、思わず声に出して問いかけてしまったのは、それほどまでに彼女の知的好奇心を刺激する、規格外の事件だったからに他ならない。
マーリャの問いにマレリオ・セブランは複雑な表情を浮かべながら、一拍の間に思考を巡らし言葉を選びながら話を続けた。
「軍事に関して私はそれほど詳しくありませんので、ご希望に添えるかどうかはわかりませんが、軍の公式記録から推測するに、それは電子戦と精密攻撃を組み合わせた外科手術のような電撃戦だったようです」
マレリオ・セブランはそう言うと、ちらりと燭台の青白い炎に目配せしてから話を続けた。
「まず彼らが行ったのは情報の遮断と『目』の破壊でした。広大な小惑星帯を艦隊で物理的に封鎖するのは、時間も艦艇数も不足していたのでしょう、首都星から繋がる通信網とそれを維持する通信施設すべてに対して一斉に量子ハッキングを仕掛けました。同時に捕捉可能な小惑星帯内のあらゆる監視設備を、精密射撃により沈黙させたそうです」
この段階で『目』と『耳』を失った反乱軍には、事実上勝ち目はなくなったと言っていい。マーリャはそう評価した。確かに非常に手際が良い。
だが、これだけでは勝敗が決定的になるとは思えなかった。反乱軍には小惑星帯という圧倒的な地の利がある。それを生かしたゲリラ戦法を展開することも、機動部隊を集結させて乾坤一擲の艦隊戦を仕掛けることも可能なはずだった。星系規模の反乱を起こすからには、備蓄も十分に揃えていることだろう。小惑星帯に身を潜めて籠城戦を行ってもいいだろう。どのみち戦闘は長期化を免れないはずだ。
ではなぜ短期間で戦闘が終結したのか。それには他にもまだ語られていない理由があるはずだった。
そのことをマーリャが指摘するとマレリオ・セブランは困惑したように話を続けた。その口調からは、彼自身も事の成り行きに納得はしていない様子が窺えた。
「実際、大規模な戦闘は行われなかったそうです。精々制宙権を確保するための無人機による小競り合いがあった程度で、損害も極めてわずかなものだったと記録されていました」




