第十六話 マルコの燭台
「セブラン様。それでは話がいっこうに進みません。我々がこの城へご招待した意味をよくお考え下さい。お嬢様も悪戯が過ぎるというものです。お控えください」
豊かなバリトンが穏やかに、しかし断固とした口調で二人に話しかけた。無理やり連れてきておいて『招待』とは何事かとマレリオにはその口上に不満があったが、確かに話が進まなければここから解放されないのは事実であろうと思われた。
「しかし、これをしなければその『魅了』とやらに私は操られてしまうのでしょう。私は自分を他人に委ねる気はありませんよ」
マレリオは純白のテーブルクロスに人差し指を突き付けて宣言した。ましてや漏れ出た感情を味わわれるなんて気色の悪いことはまったくの御免だった。
この言葉を聞いたレディ・マーリャはしばらくその銀色の瞳でマレリオをじっと見つめると、突然ころころと笑い声をあげた。
「この状況でその自尊心。やはり人間とは面白いものね。分かりました。貴方が脚色以上の嘘でわたくしを騙そうとしない限り、私は異能で貴方に干渉しないと約束しましょう。でも、せめてもう少し貴方がすごしやすくする手伝いをさせてもらえないかしら。碌なもてなしもできなかったとあれば伯爵家の名折れだわ」
そこでマレリオは考えた。現在の自分を追いつめている状況を整理してみる。一つはこの『虚空の城』と呼ばれる巨大な宇宙船に拉致されていること。二つ目に『異能』と呼ばれる共和国には存在しないものに対峙していること。そして借金の返済期限が迫っており可能な限りこの会合を切り上げなければならないことだ。
一つ目はこの不気味な女主人が会話に満足すれば解放すると言っているが所詮は口約束であることが気にかかる。二つ目に関しては対抗策があるにはあるが、それによって一つ目の問題を解決できなくなる可能性がある。最後の問題に至ってはこの場所に留まっていては解決する術自体が存在すらしなかった。
「どのような手伝いをするというのですか。まさか『異能』で私の感覚を麻痺させるわけではないでしょうね」
マレリオの皮肉にレディ・マーリャは微笑で返した。そしてカッシングに視線で合図した。カッシングは一礼すると東屋から外に出て宵闇へと消えていった。
しばらくして闇の中から白い面貌が浮かび上がり機械の執事は東屋に戻ってきた。その手には青銅製の燭台が握られており、彼はそれをテーブルの中央に静かに置いた。
細かな意匠の装飾がなされたその燭台には、太く大きな蝋燭が一本だけ据えられていた。カッシングが指をパチンと鳴らすと蝋燭から青白い炎が上がった。
「これはなんですか」
「『マルコの燭台』と呼ばれるものよ。帝国ではテレパス対策に使用されるわ。テレパスが能力を使用する際に発せられる量子の揺らぎを感知して蠟燭の炎が大きく変化するのよ。このように」
レディ・マーリャの大きな銀色の瞳がマレリオに重なり、彼の胃袋に溜まった鉛玉がふっと軽くなった。同時に蝋燭の青白い炎が音を立ててその背を倍ほどに伸ばした。
彼女が目を伏せると炎の大きさはもとに戻った。そしてマレリオの胃の違和感も。
「このように帝国ではテレパスの『異能』を使用できない者がテレパスに対峙するとき、例えば司法のような場でよく使用するものよ」
再び視線を上げ彼女はマレリオと目を合わせた。銀色の瞳は燭台の灯りを反射して妖しく光を放ってはいたが、青白い炎にも彼の体調にも特に変化は見られなかった。
所詮は相手側が用意したものだ。どこまで信用してよいものだろうか。共和国には存在しないこの『異能』を測定する器具の真否を断ずるには材料が足りなすぎるのが現状だった。何かの仕掛けが施してあり遠隔操作でスイッチの入れ替えを行っているだけかもしれない。
しかし、このような『異能』が一般的な社会ならそれらを制御するための装置が存在するのも納得のいく話である。もっともそのデザインセンスにまったく共感はできなかったが。
グラスの中で氷がカランと音を立てた。それは共和国でよく見られるシンプルな円筒形のグラスとは違い、何やら蔓のようなデザインの装飾が施されていた。氷によって冷されたグラスにはびっしりと水滴が浮いており、それが流れて純白のテーブルクロスに吸い取られていった。そのテーブルクロスもよく見ると細かな刺繍が施されており、非常に手間のかかったものと見受けられた。飲物を冷やすためだけに氷を使用する事といい、照明のために火を焚く事といい、なんと大仰で無駄の多い文化なのだろうとマレリオは思った。
その中で異彩を放っているのがテーブルの脇に控えている機械の執事の存在だった。カッシングは仕立ての良い服を身にまとってはいるが、その機械の躯体を隠そうとはしていなかった。襟元や手首からは金属の関節がよく見え、その目や口すら省略した面貌はシンプルを通り越した抽象の境地にすら達していた。
過剰なほどに飾り立てられたこの空間で調和を乱すことなく自己を主張していられる存在。マレリオはこの執事にそのような印象を受けた。
「執事殿、私はこの燭台の機能について確信が持てません。貴方の立場は承知しているつもりですがご意見を聞かせていただきたい」
マレリオは体をカッシングに向けて話しかけた。レディ・マーリャが「おや」とばかりに眉を持ち上げた。
「私は伯爵夫人の忠実な従僕にすぎません。従って主人の不利益となることは一切お話いたしませんが、それでもよろしいでしょうか。貴方の不信に対する決定的な解決策にはならないと思われますが」
カッシングは少し考えるような素振りを見せてから答えた。その仕草はあまりにも人間臭く、マレリオにはそれがかえって芝居掛かって見えた。
「勿論です。ですが情報が少なすぎて私には判断が付けられません。今の状況を一歩進めるためにも判断の一助となるものが欲しいのです」
マレリオの言葉を聞くと機械の執事は「ふむ」と頷きながらつぶやき、そして話を始めた。
「この燭台の機能は先ほど伯爵夫人が説明したとおりです。細かい説明は省きますが、この燭台の内部に設置された量子ビットがテレパスによる量子もつれを感知するとそれを電気信号に変換します。その信号を受けて燭台の高磁場発生素子が酸素を炎の周囲に引き寄せます。炎が高く上がるのはそのためです」
カッシングはさらに言葉を続けた。
「この技術は帝国創設以前、移民船『シード』の時代にはすでに確立されていたと聞き及んでおります。帝国の四大派閥の一つ『黒の学院』は現在でも最大のテレパス保有数を誇っておりますが、その前身も多くの強力なテレパスにより構成されておりました。彼らの高い理想はたびたび他の派閥と強く対立していたそうです。他の派閥に比較して戦闘力に劣っていた彼らの対抗手段は」
「テレパスによる洗脳と?」
マレリオの問いに機械の執事は頷き肯定した。このマレリオとカッシングのやり取りを無言で見ていたレディ・マーリャが不機嫌に鼻を鳴らす。最初の紹介では彼女の事を四大派閥『白の霊廟』の元老とカッシングは呼んでいた、彼女も『黒の学院』と対立関係にあったのだろうか、良い印象を持ち合わせてはいない様子だった。
「何はともあれ、他の派閥はこの力に対抗する必要がありました。そこでこの『マルコの燭台』が開発されたのです。ちなみに目の前にあるこの燭台は最初に作成されたオリジナルの十二台のうちの一つです。千年の時を超えて現存しているものはこれだけになってしまいました」
完全に信じたわけではなかったが、マレリオは頭の中の計算を中断して情報を整理しようとした。途端に燭台の炎がボッと音を立てて伸長した。青白い炎の向こうでは銀色の瞳が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。マレリオは反射的に脳裏で計算式を立ち上げ数字を数え始めた。
マネキンの執事が咳払いをして注意を促すと、当の主人は少女のように舌をぺろりと出してからかうように笑みをこぼした。気づけば蝋燭の炎は元の大きさに戻っていた。執事は言葉にも仕草にも全く表さなかったが「何とはしたない」と嘆きの声がマレリオには聴こえたような気がした。
マレリオはもう一度、複雑な意匠の施されたグラスに目を移した。それは冷水と氷で満たされていた。グラスを手に取り苦みのない柔らかな液体を一気に煽った。冷たい液体と一緒にひとかけの氷も口内に入ってきた。マレリオは音を立ててその氷を奥歯で噛み砕いた。執事の存在しない眉がクイッと上がり、彼の主人が満面の笑みを浮かべた。その笑顔は『魅了』に毒されていた時のような魂を鷲掴みのするような眩しげなものではなかったが、男の心を甘く絡めとるのに十分な美しさを湛えていた。
「いいでしょう。不本意ですがそちらの用意したルールに乗りましょう。ただしこちら側のルールもある程度は守っていただきたいものです。執事殿にはその辺りのところ、ご主人に自重していただけるよう取り計らって貰えないものでしょうか。望んで招待されたわけではありませんし、客人としてそのくらいの要求はしても問題はないかと。そもそも貴方がたは私の話に興味があるのでしょう?」
冷たい氷を咀嚼し飲み込んだ後で、マレリオは優雅に佇む女主人とその傍らに立つ執事に対して高々と宣言した。言いたいことは山のようにあったが、その一部でも声に出せたことによって食道を滑り落ちる氷の感触が徐々に小さくなっていくように、胃の中に溜まった鉛の玉も小さくなったような気がした。
気づけば東屋の周りで囁く虫の音も再びマレリオの耳に入るようになっていた。頬をうつ爽やかなそよ風の感触や小川のせせらぎまでもが感じられる。
上等な衣服を身にまとった機械仕掛けの執事は無言のまま、マレリオに向かってゆっくりと丁重な御辞儀を行い、その女主人は満面の笑みのまま含み笑いともとれる吐息を漏らした。
「あらあら、今宵は本当に楽しい夜になりそうね」
そよ風に揺れる灯りの光を反射させて、その大きな銀色の瞳が蠱惑的に光を放っていた。




