第十五話 異能
荒い息を整えながらマレリオは椅子の背もたれに背中を押し付けた。彼の心臓は早鐘のように脈打ち、喉元でその拍動が感じられた。心臓が喉から飛び出る、という表現はこういうことを言うのだなとマレリオは場違いな感想を抱いた。
そよ風が彼の頬をねぶり、べた付いた脂汗を拭っていった。心地よい涼気が彼の鼓動を鎮め始めた。
テーブルの上に目を移すと食器が散乱し、ワインが純白のテーブルクロスに赤い染みを描いていた。マレリオが呼吸を取り戻したときに勢い余って倒してしまったようだ。
機械仕掛けの執事が手際よくそれを片付けていくのを眺めながら、マレリオは声を絞り出した。
「今のは何ですか。一体何が起こったのですか」
その声には理解できないものに対する恐怖と理由を求める探求心、そして理不尽に対する怒りが込められていた。そしてマレリオはそれらの感情を心の倉庫にしまい込むのをすっかり忘れるほど取り乱していた。
当のレディ・マーリャはその唇に悪戯っぽい微笑を浮かべて、それについては何も語らなかった。
「伯爵夫人はその種族特性によりデルタ級上位のテレパス能力を行使することができます。セブラン様には『魅了』の異能とお伝えした方が分かりやすいでしょうか」
埒があかないと見たカッシングが口を挟んだ。途端、種明かしをされたとばかりにレディ・マーリャの形の良い眉が不機嫌そうに吊り上がった。
「テレパスだろうが『魅了』だろうが、そんなものは知らない。何が起こったかと聞いている」
聞きなれない語句はマレリオに落着きを取り戻すどころか、感情の高波が激しく打ちつける結果をもたらした。
カッシングは少し考えるような素振りを見せて言葉を継いだ。
「帝国の異能の体系は多岐にわたりますが、大きく三つの能力に分類されます。時間と空間に干渉する『テレポート』能力、分子構造に干渉する『テレキネシス』能力、そして量子もつれに干渉し人の精神に効果を示す『テレパス』能力です。それ以外にも『異形』や『妖異』などもありますが、多くの異能はいずれもこの三大異能の流れに属します」
カッシングはマレリオからよく見えるように掌を赤く染まったテーブルクロスに翳した。するとしみ込んだワインが玉となって繊維から引き剝がされ、陶器のように白い指の上でプカプカと浮いていた。赤い玉はゆっくりとテーブルの上を移動しワゴンの上の銀色のボウルの上で停止するとポチャリと音を立てて落下した。
ボウルに落ちた赤い液体と純白を取り戻したテーブルクロスを見比べてマレリオは目を丸くしていた。
「このようにテレキネシスは繊維にしみ込んだ液体を引き剝がしたり、場合によっては鉄の分子構造内に他の物質を定着させ新たな合金を作成することもできます。先ほどセブラン様の宇宙船を牽引した力もこれにあたります」
話しながらカッシングは新たなグラスにワインを注ぎなおしマレリオの前に差し出した。目の前に置かれた赤い液体から上質な服を隙なく身にまとったマネキン人形、そして深紅のドレスを身に着けた白い女へと視線を移動させながら、マレリオは改めてこの異常な状態にありながらも自分がそれを何の抵抗なく受け入れていた事実に気づき戦慄した。
「つまり、あなた方帝国には、このようなおとぎ話みたいな力を持った輩がごろごろしていると?」
無表情な機械の顔と上弦の月のように細められた銀色の瞳が無言でそれに答えた。
「そしてレディ・マーリャ、貴方はこの会食の間、ずっとその能力で私の精神に干渉し続けてきたと?」
今度は赤い唇が下弦の月のように大きく弧を描く。やはり言葉はなかったが答えは明白だった。ふつふつと怒りがマレリオの中に湧き上がってきた。
「それは少々アンフェアではありませんか。人の心を恣意的に操るなんて実にアンフェアだ」
マレリオの感情に呼応するかのように俄かに風が強くなり、燭台の蝋燭の炎が大きく揺れた。
「アンフェア?生まれ持った能力を使うことのどこにアンフェアが存在するの?あなたたち商人だって独自に手に入れた情報を秘匿して商売に生かすこともあるでしょうに。異能の使用はインサイダー取引とは全く異なるものよ」
レディ・マーリャはマレリオの怒りのもとが何処に所在しているのかまったく理解できないとばかりに言い放った。その傲慢な態度にマレリオの不満は積もるばかりだった。
「そもそも人類には『異能』などという理解の及ばない機能は備わっていない」そうマレリオは声に出して言いたかったが、それが出来ると主張する者たちの前で音に出して表現するのはさすがに憚られた。
言葉に詰まったマレリオを見て、カッシングがやれやれとばかりに口を挟んだ。
「マーリャ様、セブラン様がお怒りなのは異能を使用したという事実に対してではございません。お互いのルールが異なっているためです。ご主人様とてチェスにポーカーのルールを持ち込まれたらゲームにはならないでしょう」
穏やかなバリトンにレディ・マーリャ沈黙した。グラスの中身を薫らせて暫し瞑目する。
「まったく、あなたはどちらの味方なのかしら」
再び目を開けたレディ・マーリャは執事に向かって呆れたような口調で言った。
「もちろん、私はご主人様の忠実な従僕でございます」
カッシングの完璧なお辞儀とその言葉にレディ・マーリャは降参したとばかりに言葉を継いだ。
「いいでしょう。貴方たちの言い分を聞きましょう。それでもわたくしは長年馴染んだこの能力を手放す気はなくってよ。だからこの力に対抗する方法を教えましょう。ミスター・セブラン、これならフェアと言えるでしょう」
「その対抗方法が本当であると、何の証拠もなしに信じろというのですか」
そのマレリオの言葉が至極まっとうなものと認めたのだろうか、レディ・マーリャは「物は試しよ」と言い、その銀色の視線がマレリオの脳に再びねじ込まれた。脳の襞にぬめりとした舌を押し当てられるような感覚がイメージと共に感じられ、それがさらに奥深くにある部分にまで侵入してくるのが分かった。その甘美な感覚にマレリオは思わず「あっ」と吐息を漏らしてしまう。
「数字よ。なんでもいいわ。計算してみなさい」
レディ・マーリャの命令にマレリオの脳は無条件に従った。現在位置から第二惑星までの移動時間と借金返済期限までの時間計算を始めたのである。
すると浸蝕を続けていた触手がピタリと動きを止めるのが分かった。そして名残惜しそうに後退していき、最後には銀色の瞳に戻っていった。
同時に胃袋に鉛を流し込まれたような緊張感、座席についてからは全く感じてこなかった強いストレスが肉体に戻ってきた。
「わたくしの能力は視線や声を媒介として大脳辺縁系に直接作用します。前頭前野が活発な活動を行うことによって、この作用を阻害することができるの。もっと詳しい説明が必要かしら?」
強い吐き気を感じつつ、手振りでマレリオは拒否した。そしてカッシングが差し出した冷水で満たされたグラスを一気に煽った。冷水が食道を下っていき胃袋に溜まるのを感じながら、なおも居座る鉛の塊のような不快感にマレリオは辟易した。
「この能力は帝国内の基準では決して高いものではないわ。高度に脳が発達した人間に対しては漠然とした不安を与えたり、逆にその不安を緩和させたりするのが精々よ。人の心はそれほど強いものではないのよ。全くの未知の文明と遭遇してその宇宙船の中でくつろいだり、饗された食事をさほど強い抵抗もなく食すなんてことができると思って?わたくしがやったことと言えば、貴方の緊張感をほぐして会話しやすいように導いた程度よ」
不快さに耐えるマレリオを見てレディ・マーリャはそれ見た事かとばかりに言ったが、マレリオからすれば思考を覗かれたり歪められたりするよりは、こちらの方がまだマシだった。
「その割には随分と具体的なイメージを読み取られたようですね」
マレリオは宇宙船の格納庫における積荷の重量分布を思い浮かべながら問いを発した。
「人の感情や記憶は五感ととても結びつきが強いものよ。特に嗅覚は感情や記憶を司る偏桃体や海馬にダイレクトに伝わる情報体なの。貴方の記憶に強く紐づいた香りを情報として感知しただけの事よ。わたくしの能力ではその情報を映像や音声で受け取ることはできないわ」
彼女の言葉を信じるなら、彼の私生活を丸ごと覗かれる様なことはないらしい。それに記憶内の情報をそっくり吸い出されることもないと言っても良いだろう。マレリオは複数ある胸のつかえの一つが取り払われたように感じた。
「勿論、貴方の房中の秘め事には全く興味なくってよ。ただその記憶から漏れ出る感情の発露はわたくしにとってこの上ないほどの美食なの」
彼女の言葉に頬が引きつるのを感じつつ、マレリオは努力してポーカーフェイスを取り戻した。頭の中ではセブラン商会の今期における人件費計算が行われていた。それでも胃袋の不快感は取り除くことはできず、彼は手振りでマネキンの執事に料理を下げるよう指示をした。
食器が触れ合うかすかな音を聞きながら情報をまとめようと努めたが、片方で数字計算をしながら思考を形作るのはとても困難な作業だった。
「無理はしない方がいいわ。あまり脳に負担をかけすぎると大量のグルタミン酸が分泌されて脳内の防壁を逆に開く結果につながるわよ」
マレリオはその言葉を無視して計算を続けた。脳細胞が白熱するのを感じ、額には汗の玉が浮かび上がった。
その様を見てレディ・マーリャとカッシングが顔を見合わせた。




