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第十二話 酸味と苦み

 目の前に座る男の顔が青ざめ額にうっすらと汗の幕が浮かび上がるのを、マーリャははっきりと見ることができた。彼女はその光景に微かな驚きを覚えながらも、その微笑を崩さずにそれを眺めた。

マレリオ・セブランの表情から推察するに、共和国では生食の文化は存在しないか、もしくはさぞかし高級なものなのだろう。彼女はそう結論付けた。

東屋の周りに心地よいそよ風が舞い始めて、据えられた蝋燭の炎を優雅に揺らし始めた。天然の大理石でできた柱に映る陰影がゆっくりとした輪舞(ロンド)を踊りはじめる。

マーリャにはこのそよ風がカッシングの仕業であることはわかっていた。いくら広大であったとしても、この人工の空間の中で自然にそよ風が吹くわけもない。

「その服装では少し暑苦しいのではないの。楽にしたらいかがかしら。」

 マーリャがその過剰な演出に内心苦笑しつつも、そう声をかけるとマレリオ・セブランは少し躊躇(ためら)いを見せながらも言葉を返した。

「そうですね、この場所ならそれもよいでしょうね。」

 彼はゆっくりと首元から胸までの二重になったファスナーを下ろし、服の中に籠った熱を逃がす仕草をした。

「共和国では真空に囲まれた建造物内ではこの服を基準に沿って着用する義務があるのです。この服は急激な気圧の変化を感知すると自動的に簡易的な宇宙服に換装するもので、宇宙空間に放り出されても数十時間は生命を保護してくれます。その分断熱性も非常に高いため共和国の建造物では快適性を高めるため室温は低めに設定されています」

それからマレリオ・セブランはカッシングの機械の躯体をまじまじと見つめ、そしてマーリャが身にまとう深紅のドレスとその下の素肌を遠慮がちに眺めた。その目は、もし事故でも起きて宇宙に放り出されたらどうするつもりなんだ?と問いかけていたが、その後で思い直したかの様におどけた口調で付け加えた。

「この空間は私には少し暖か過ぎる」

テーブルの脇では仕立ての良い服を身に着けたカッシングがテーブルの上の食器を片付けているところだった。彼がマーリャの前に並べられたまったく手の付けられていない皿に手を伸ばしたとき、マレリオ・セブランが口を挟んだ。

「伯爵夫人はそちらを召し上がられないのですか」

 彼の表情は充分に制御されており、そこから内心は読み取ることはできなかったが、想像するのはそれほど難しくはなかった。どうせ共和国では食べた事のないゲテ物を食べさせられた腹いせを吹っ掛けようというところだろう。

「そうね。でも今はこちらの方が、わたくしには好ましく感じるのよ」

 マーリャは軽くグラスを持ち上げながら彼の問いに答え、蕩(とろ)けるような笑みを浮かべて見せた。彼女の『異能』をその声にのせてマレリオ・セブランの内に忍び込ませると、彼の中にくすぶっている苛立ちの表面を優しく撫でてやった。

「伯爵夫人は本当に、気まぐれでございますな」

 すかさずカッシングが困ったように合いの手を入れたが、その口調はまるで少女の悪戯(いたずら)を見つけた老執事のようだった。

その言いまわしにマーリャは若干の不満を持った。しかし肝心のマレリオ・セブランがクスリと微笑んだのを見て、彼女は溜飲を下ろす事にした。




「それで、貴方はなぜあのような宙域にいたのかしら。カッシングの計算によれば貴方はとんでもないコースを辿っていたようだけど」

 レディ・マーリャの問いにどのように答えようかと、マレリオは思案した。包み隠さず事実だけを述べるのは簡単だがそれは憚(はばか)られた。やはり商人ならここは脚色の中に真実を織り交ぜて語るべきだろう。問題は真実と脚色のバランスだが……。

「常に新しいルートを探し求めるのは商人の性です。事実このルートであれば通常の安全なコースと比べて半分近い時間の短縮となります。それは燃料や推進剤、食料などのコストを大幅にカットすることができます。先ほども申し上げましたが、これも一つの『時は金なり』なのです」

 マレリオはつとめておどけたように振舞った。笑顔を絶やさず軽快な、いつもの口調だ。それに全く嘘はついていない。不要なコストは商人にとって『悪』以外の何物でもない。

「『時は金なり』とは商人の言いそうな言葉ね。使い古されていて陳腐に聞こえるわ」

「陳腐に聞こえるのは、長く使われるだけの有用性があるということですよ」

 マレリオの返しにレディ・マーリャは「ふふふ」と含み笑いを返した。どうやらマレリオの答えは、この美しい女主人から及第点(きゅうだいてん)をもらえたようだ。マレリオは彼女のその反応に満足感すら覚えていた。そこへ姿を消していたカッシングが銀色のカートを押して戻ってくる。




 カッシングはテーブルの脇にカートをつけると、ゆっくりと銀色のクロッシュを持ち上げその中にある料理を披露した。

 刺激的なスパイスと熟成された肉の香りがマレリオの鼻を刺激した。微かな金属の触れ合う音とともに機械仕掛けの執事が皿に盛り付け、まずはマレリオへ、それからレディ・マーリャにそれを配膳した。

「オードブルは豚のレバーと背脂にスパイスをふんだんに使用した『田舎風のパテ(パテ・ド・カンパーニュ)』をご用意いたしました。お飲物は爽やかな香りのピノ・ノワールでいかがでしょうか」

 料理は一見すると共和国の一般的なレストランで提供される『人工蛋白のパテ』によく似ていた。それは人工蛋白と人工肉の細かいブロックをゼラチンで繋いだ寄せ物だが、高級な店ともなれば、プリンターで出力されたものではなく料理人の手によるものが出てくるものだった。

 細部を見れば、やはり彼の知っているそれとは所々異なっているものの、先ほどの岩牡蠣のようなゲテ物と比べれば、随分と心理的ハードルは低いものだった。マレリオはほっと胸をなでおろして、銀色に輝くナイフとフォークに手を伸ばした。

 ナイフは抵抗もなく柔らかいパテに滑り込み、ゴロッとした肉の粒が崩れそうになるのを抑えてマレリオはフォークを口に運んだ。

 実際に口に運んでみるとハーブの香りが鼻を抜け、次いで肉とは違う深みのある苦みと、野性味を帯びた風味が口内に広がった。程よい塩気とハーブの香りがその個性を巧みに調和させていた。

 見かけはよく似ていても、均一な味わいをプリントする共和国の料理とは全く趣の違うものだった。少なくともマレリオの所属するⅭランクでこれに類するものに手を伸ばそうとすれば、相当な無理をしなければならないだろう。ベリーのような爽やかな香りを放つ赤ワインの酸味で舌に残った濃厚な残滓(ざんし)を喉に流し込みながら、彼は胸の奥で小さくため息をついた。

「商人ならメリットとリスクを天秤にかけるものでしょう。けれど今回の軌道は少しリスクが高いように感じられるわ。リスク管理は商売の肝だとどこかで聞いたことがあるのだけれど、今回は何か理由があったのかしら。たしか重要な商談があると言っていたわね」

 料理を堪能していたマレリオに、レディ・マーリャがふと声をかけた。

「ええ、少し緊急の案件がありまして、先ほども申し上げた通り……」

 そこでマレリオは自分が不用意な言葉を発してしまったことに気づいた。コストダウンのためであったはずなのに『緊急』と言ってしまったのだ。

「あら、危険なコースを通らないといけないほどの『緊急』があったということかしら」

 それをレディ・マーリャが見逃すはずもなく、彼女の指摘に、マレリオは口内に残ったワインの酸味が苦みに代わっていくのを感じた。

「差し支えなければ教えていただけないかしら。細かいことが気になってしまうのは、わたくしの悪い癖なのですけど」

 マレリオはグラスに残ったワインから目を離すことができなかった。そこから顔を上げてレディ・マーリャの顔を見てしまったら、重力井戸に捉われた宇宙船のように、抵抗も虚しくすべてを話すことになるのではないだろうか。そんな予感がした。


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