父上、娶りたい女性がおります
鍛冶場の槌音、兵士達の掛け声、野菜を大鍋で煮込む匂い。西安駐屯軍の中でも最大級の兵営は、約800人の大所帯だった。
「あと100個ね」
「はいっ」
茉莉はひたすら切り分けられた白い粘土のような小麦生地を丸め、特大蒸籠に並べていく。饅頭。パンのようなもので腹にずっしりたまる。
炊事場の仕事はなかなかハードな肉体労働だった。饅頭の形を整えて並べるだけという作業であっても、1人3個×800人。輜重兵の炊事担当は約2400個をひたすら作って蒸す。食器の洗浄も延々と時間がかかる。鍋1つは100人分用で特大。力仕事だった。
この兵営には呉将軍がいる。おまけに御曹司である呉三魁。
呉将軍は暴徒の鎮圧という名目で着任した。しかし、西安駐屯地に求められるのは、主に北方にある軍事拠点の後方支援だった。食糧や物資を届けるのはもちろんのこと、武器の手入れ、火薬の保管など、前線のような華々しい武功はないが、非常に重要である。
茉莉は呉三魁との再会した。正しくは、呉三魁が一方的に見つけた。彼は、一目惚れした女の子が、目の前に現れたことを運命だと思ったのだ。
用もないのに、炊事場や倉庫の周りをうろうろする将軍の御曹司。そんな彼の姿を、炊事場を仕切るおばちゃん達は微笑ましく見守っていた。おばちゃんという生き物は、古今東西総じてミーハーである。若いピチピチの美少年を見られるだけでも眼福。その美少年が少々頬を染めたり、キョドったりするのが楽しくて、つい「茉莉情報」を与えて遊んでしまう。
「あの子はいー子だよ。重い物持ってくれるし、物覚え早いし」
「い、いえ。ちょっと通りかかっただけです」
将軍の御曹司が炊事場に用などあるはずがない。
「明るいよねぇ。あんな大変だったのに」
「大変ですか?」
「そーよぉ。ついこの間まで、西安の5本の指に入る大店の家の、本物のお嬢さんだったのよ」
おばちゃん達の話を聞き、呉三魁の脳裏に、茶館で見かけた茉莉の姿が蘇る。街の中心部にある上品な店。輜重隊に従事する娘が行く場所ではない。
──だから、あんなに気品があったのか。
呉三魁は納得した。そして考える。
──このままでは我が軍神の女神、九天玄女が他の男のものになってしまう。
現に駐屯地で茉莉は大人気だった。武術を教えるなどという名目で近づいている輩もいる。
──父上に相談して結婚できるよう取り計らってもらおう。
真面目な彼は、結婚を家と家のものと考えている。恋愛という発想はないので、気軽に声をかけて口説くなどという選択肢は皆無だった。そんな彼の心を見透かし、おばちゃん達は「かわいい!」と悶え、今日も楽しむのだった。
◇
名将に必要なのは決断力である。呉将軍の御曹司、呉三魁は何事においても決断が早く、行動力を伴う。そんな息子を、呉将軍は頼もしく感じている。
しかし、今回ばかりは、それをどうすればよいのか考えあぐねいていた。
「父上、娶りたい女性がおります」
16歳の息子が、揺るぎない決意を胸に秘めていることを、呉将軍は重々承知。呉将軍は「キター」という内心を悟られないよう腕を組み、目を閉じる。
「ほう」
聞かなくても分かる。女っ気のない、いや失礼。若い女性などいない駐屯地に、1人、兵士の士気を爆上げする存在が現れた。彼女が来る前、男達は体を拭くことも顔を洗うことも歯を磨くこともなかった。しかし、最近、薄汚かった兵士達が身繕いをするようになり「石鹸の減りが早すぎる」と物品管理から苦情が来た。
呉将軍も「こんな息子がいれば」と思うような、明るく快活な人である。あくまでも息子。外見は、美しい部類に入るだろう。しかし、手弱女とは真逆の怪力。下心のある者が剣や弓を教えたところ、日々上達し、弓に至っては天賦の才があるのか食い意地が張っているのか、駐屯地の鳩を殲滅してしまった。
呉将軍は目を閉じたまま考えを巡らす。
──16年間、家族と使用人以外の女性に接したことのない男だから仕方がない。
「この駐屯地の輜重隊、唐茉莉という女性です」
西安の街は小さく、唐茉莉が元大店の布荘の娘であることは、呉将軍の耳に入っている。16歳と偽って入隊したが、実は14歳であることまで分かっている。しかし。
「我々は、ここに長く滞在しない。じき、山海関に戻るだろう」
呉将軍は、息子の16歳の結婚を若過ぎるとは考えていない。ただ、14歳まで何不自由なく暮らして来た娘を、親元から遠く離れた見知らぬ場所に連れていくことを懸念した。山海関付近か、或いは、王都。たとえ王都に住まわせても、軍人の妻である以上、夫はしばしば任地へ赴く。義父母と暮らす日々になるかもしれない。
駐屯地に住み込みで働いているが、茉莉のところへは、家族や友達がしばしば尋ねてくる。山海関は西安から遥か彼方、北方の守りの要所。戦の最前線である。そんな場所へ、両親が大切に育てた娘を連れていくなど、相手の家族に申し訳が立たない。
「では父上、その前に娶りたいと思います」
──我が息子ながら、なんと漢らしい! だが困った。
「して、あちらはなんと申された」
「話しかけておりません」
「……」
「父上に結婚の許しを得てからと思いました」
「……」
「……」
自分が手塩に育てた息子は、理想通りに育ってしまっていた。男女七歳にして席を同じゅうせず。
「まず、女というものを知るべきであるぞ。文武も大切だが、それだけでは」
実は、呉将軍は息子の真面目さに呆気に取られていた。
「しかし、軍規には『女性を陣営や城、駐屯地に入れてはならない』とあります。私が未来の妻として声をかけたならば、それは輜重隊に声をかけたのではなく、女性を駐屯地に置いたことになってしまいます」
──固った。
呉将軍は息子のがちがちの頭を解きほぐす必要があると感じたのだった。
「確かにその通りかもしれん。考えよう」
一旦、娶る件は保留にした。
息子が部屋を去った直後、呉将軍は密かに側近の若い男を2名呼んで金を手渡し、耳打ちした。
「頼んだぞ」
「「はっ。承知致しました」」
後日夜、呉三魁は、関寧鉄騎の2人に「社会勉強だ」と言われ付き従った。訪れた先は妓楼。
「自分は、このような場所に行きたくありません!」
などと足掻く呉三魁の両脇を、鍛え抜かれた屈強な先輩は一方ずつ抱え、引きずるように門をくぐる。関寧鉄騎にかかれば、まだひょろっとした16歳の少年の拉致など容易いこと。
「はははは、いーからいーから」
「若、行きますぞ。ははははは」
宴の席では、それぞれの横にぴたりと女性がつき、お酌をし、食べ物を口に運んでくれようとする。
「お構いなく」
と背筋を伸ばしたまま座っている呉三魁に先輩2人が手本を見せるのである。
「あーん。ははは。こんなところに零れたよ」
「やだぁ。ふふふふ」
「ほーら、拭いて」
「ふふ。では、あちらのお部屋で」
などと先輩1名は妓女と共に退室した。
「あら、私達もそろそろ」
「そうだな。では、失礼しよう」
もう1名も妓女と退室。
呉三魁は艶かしい妓女と2人で部屋に残される。
「あちらのお部屋に」
なぜか奥の間に通される。妓女は手際よく呉三魁のベルトをするりと外す。その瞬間、
はしっ
呉三魁はベルトを奪い返す。
「そのようなことはしたくない」
流石に呉三魁であっても、これから何が始まろうとしているのかくらい分かった。妓女は勘違いした。
「どのようなタイプがお好みですか? 交代いたしましょう。軍の中には男色も多くいらっしゃいます」
「その必要はありません。帰ります」
「いえ、若様。お代は戴いておりますゆえ」
「お気になさらず」
呉三魁が廊下に出ると、廊下の両側には部屋の扉がずらりと並んでいた。どの部屋に先輩がしけこんでいるのか分からない、しかも部屋を開けて確かめるわけにもいかない。
「失礼します。呉三魁、先に駐屯地に戻ります」
「失礼します。呉三魁、先に駐屯地に戻ります」
「失礼します。呉三魁、先に駐屯地に戻ります」
「失礼します。呉三魁、先に駐屯地に戻ります」
呉三魁は丁寧に一室ずつ、全ての部屋をノックして告げてから、妓楼を後にした。
翌日、報告を受けた呉将軍が頭を抱えたのは言うまでもない。




