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橙色の旗、風の夢〜親友の脚を守ったら、歴史が塗り変わりそうになってます〜  作者: summer_afternoon


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No.3再び

「冤罪などあろうはずがありません。大盟帝国時代から270年以上、冤罪はない。こちらが間違ったとでも言うのですか?」


 治世(チィシー)は、17歳の夏を思い出した。冤罪だった。いくら真実を叫んでも、こちらの言い分など、何も聞き入れてもらえなかった。それでも抗った。


「間違いです」

「有り得ません」

「では、確認してください。裁判のときに裁判官が手元に置いていた罪状を読み上げたときの文と照らし合わせてください」

「いいですか、李(リ)氏様。法を司る我々に間違いなどないのです」

「確認だけお願いします」


 治世は、帯刀していないことにほっとした。刀など持っていれば、目の前の男の首に突きつけて脅しただろう。


 法務大臣代理は、しばらく黙って差し出された調書の冊子の告訴状に視線を置く。彼は、告訴状を読んでいたわけではない。どう切り抜けようかを考えていた。


「私は法務大臣代理です。幸い、元法務大臣がおります。重要なことなので、いかにすればよいのか、相談します。しかし李氏様、仮に、万が一、告訴状と調書に不一致があった場合、だからといって、本日の処刑がなくなることはありません」

「なんだって?!」


 治世がうっかり理性をなくした声は、文書の扱いに終始してきた法務大臣代理を震え上がらせた。途端に、彼には、治世が多くの人間を殺めた獣に見えたのだ。


 ──法が脅かされるなどあってはならない。


 法務大臣代理は、一瞬でも理性を無くして吠えた獣を、瞬時に下等とみなした。


 治世は即謝罪する。


「すみません。大きな声を出してしまって。仲間を冤罪で死なせたくないんです。処刑が始まってしまいます」


 それは、ないよりマシという程度の効果だった。もとより、帝都の官僚、特に役職付きの上層部は橙巾党幹部を嫌っている。


「本日の処刑は、前の裁判によって遂行されるものです。裁判を覆すなど手続き上不可能です」

「なぜ、間違っていることを間違いだと言えないのですか」

「何を仰っているのですか? 間違いなどありません。ずっと。270年以上」

「間違いはありました。冤罪で投獄された人を知っています」


 治世の頭の中には、17歳の自分と牛金星があった。


「あり得ません。書類に不備があっては、刑など執行されないのですから。必ず自供しているはずです」

「自供。それは、死ぬまで、気絶するまで殴ることですか?」


 死ぬとき、あるいは気絶するとき、がくんと項垂れる。それは頷いたと解釈されるのが常なのだ。


「正直に自供すれば殴られません。死ぬまでと仰る。そもそも、犯罪人など、世にいては困るのです」


 死刑執行は、正午の15分ほど前に行われる習わしである。


 既に夜明けから何時間も経っている。治世は、会話はムダだと判断し、頭を下げた。


「書類を確認願います。そして、間違いがあるとすれば、どうすれば死刑を止められるのか教えてください。法務大臣代理の貴方を刑場にお連れすればいいんですか?」

「まあ、待ちなさい。まず、元法務大臣に相談しましょう」


 法務大臣代理は、楽しむようにゆっくり喋り、牛歩で進む。治世は、前を歩く男の薄い頭頂部を眺め、掌に爪が食い込むほど拳を握りしめた。


 元法務大臣、No.3は、執務室で鼻歌混じりに髭に油を塗りこんでいた。


「失礼します。本日の死刑になる橙巾党幹部が一般人を斬った件ですが」


 執務室を訪ねた法務大臣代理の声の抑揚は、挨拶のついでの世間話のようだった。しかし、No.3は治世の姿を見て畏(かしこ)まった。汚職で投獄された帝都の官僚ツートップが玉座に据えようとしていた男だからである。世渡り上手の罰当たり俗物No.3は、権力迎合男である。忖度に忖度を重ねて出世街道を上り詰めたのだ。


「うむ」


 極めて深刻な返事を返した。


「こちらの李氏様が、我々の書類が間違っていると仰るのです。あまりに慇懃無礼な。まあ、文字の確認もままならぬ方のようですので、致し方ないのかもしれません」


 法務大臣代理は、No.3に調書を手渡す。


 No.3は、それを手に取り、告訴状に目を通しながら、誰につけばいいのかを考えていた。法務大臣代理の味方をする線はハナからない。No.3が仰ぐのは、自分より上に来る可能性のある者である。ツートップの1人から引き継ぐ金脈と李治世を天秤にかける。李(リ)碧(ビー)を橙巾党幹部に死刑執行をさせることと、李碧の死刑を中止することを比べているのだ。将来的にどちらに利があるのか。


 金脈は大きい。しかし、不正というリスクを背負っている。李治世に肩入れしたとして、金脈は得られない。一(イー)国の目指す政治はクリーン。


 ──金脈っしょ。


 ところが、No.3は治世に忖度する。処世術である。


「人の命は尊いものです。斬られた者も。そして、死刑になる者も。書類を確認しましょう」


 言葉を発しながら、No.3は、どうして自分はこれほどまでに心にもないことを言えるのだろうと自身に感心していた。実際には、他人の命などへとも思っていない。


 ──やはり、私は天才。


 顔を歪めて固まっている法務大臣代理の前で、即、初審と昨日の裁判の記録を揃えるよう、下っ端官僚に指示を出す。


 待っている間は深刻な面持ちで世間話をする。


「本日、李氏様はお一人でこちらへいらっしゃったのですか?」

「はい」

「……他の橙巾党の方々は……。山へ行かれたのかもしれませんな」

「……はい」

「号令はどなたが?」


 とりあえず、No.3は尋ねる。が、橙巾党の1人1人の顔などほとんど覚えていない。李治世は若い美丈夫(イケメン)だったので覚えていた。もう1人若者がいた。牛金星と李碧も覚えている。あとは、その辺のおっさんだった。


「号令、ですか? 何の。あの、自分は外回りが多く、最近、武英殿へ行っていないので」

「そうですか。お忙しい身なのですね」


 No.3は法務大臣代理に声をかけることも忘れない。


「大事な問題ですから。教えてくださりありがとうございます。なかなか公平で正しい目を保つのは難しい。頼りにしています」


 労われ、険のあった法務大臣代理の顔が少し和らぐ。


 ほどなくして資料が揃う。テーブルの上に3つが並べられた。調書の冊子、初審の冊子、昨日の裁判の記録。


 法務大臣代理は意地悪く、扇子で口元を隠し、横目で治世を見る。


「李氏様、ご確認ください」


 どうせ文盲だろうとほくそ笑む。


 No.3は『だからそこまでなんだ』と思いながら、自分より7つ年上であっても格下の法務大臣代理の言葉を聞き流した。


 治世は、初審の冊子を手に取り、「李碧」「呉」という文字を探す。しかし、膨大な量の文字の中から探すのは容易ではない。記憶力抜群のNo.3はさりげなくアドバイスする。


「事件の日付は、4月10日でしたね。李氏様、日付順になっています」


 言いながら、即、調書の冊子に手をやった。No.3は時間を考えていた。金脈を手にいれるには、死刑が執行される必要がある。ここで作業を行っている間にタイムリミットになればいいのだ。そうすれば、今後、李治世という橙巾党幹部へ恩も売れるし、金脈も手に入る。


 No.3は瞬時に、告訴状と他の書類との不一致を見つけた。告訴状が差し替えられていることまでは知らされていない。しかし「李碧を橙巾党幹部に処刑させろ」という密書から、李碧が嵌められたことは容易に推測できる。調書の告訴状と初審の書類を一致させていないなど謀(はかりごと)としては杜撰な状況に、No.3は溜息を漏らした。


「確かに、書類の内容は異なります」

「ですね」


 No.3と法務大臣代理は認めた。一瞬、治世の顔が輝く。しかしNo.3は続けた。


「初審と昨日の裁判の内容は一致しています。初審の資料をまとめた者を呼びましょう」


 即座に担当した官僚が現れたとはいえ、治世には長い長い時間に感じられた。


 担当した官僚は、自分が見た告訴状とは内容も文字も全く異なると証言した。それを聞き、法務大臣代理は高らかに笑った。


「はっはっは。李氏様、いかに仲間を助けたいとはいえ、公文書偽造はいけません」


 No.3は、官僚が初審の資料をまとめた後、元の本物に戻されたのだろうと考えた。刑が執行されれば、書類を見返す者など誰もいない。告訴状が本物かどうかの確認に時間をかけようと目論んだ。


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