処刑日は4月29日
碧の房の前、どう見ても牛金星である男が乞食のような形をして腰を曲げていた。
──そんなカッコしたら、お腹の肉がつっかえて邪魔でしょ?
彼のヘタクソな変装の意図を計りかね、立ち上がった碧は、挨拶前に、腹の辺りを見てしまった。
「お久しぶりです。牛氏様」
牛金星は慌てて口の前で人差し指を立てる。
「しーっ。まだペスト隔離中です。自分が言い出した設定を忘れたのですか」
「あ、そうでした。まだ治ってないころですよね。ここにいると、どうも日にちの感覚がなくなってしまいます」
「李氏様の裁判の日が決まりました」
「いつですか?」
「4月28日です。次の日が……」
牛金星は「処刑日」という言葉を紡ぐことができなかった。
一方、その日付に碧は運命的なものを感じた。4月29日は、現代の歴史において、李治世が呉三魁に討たれる日である。そして、その3日後、大水青帝国が始まる。
4月29日に橙巾党の誰かが死ぬことは決まっているのかもしれない、と思う碧だった。
「銃殺ですか?」
「裁判がまだなので、分かりません。西安の司法長官を呼び戻して法務大臣をしていただき、それによる李氏様の裁判の延期を狙ったのですが。我々の考えた組織が、思いの外功を奏しましてですね。っーー。人が欠けても業務に支障を来さないないのです」
牛金星は、途中、歯の間から息を漏らす。
「いろいろありがとうございます。そのお話は、人伝に聞きました」
「西安の司法長官がこちらに参られれば、裁判結果もなんとかなるのでしょうが。間に合いません」
「はい。もう覚悟はできています」
「我々はまだ諦めていません」
碧は力強い刺すような眼光を浴びた。
「感謝しております。今日は、変装してまで、どうされたのですか?」
今までの話ならば、碧は既に人伝に聞かされている内容である。
「今日は、軍事について話をしに来ました」
そう言うと、彼は、房の前の土の上に腰を下ろした。来客が多いこの房の前だけ、少し土が凹んでしまっている。正面の碧も、木の格子を挟んで、同じ目線になるよう静かに正座をした。使い慣れない牛金星の杖がカランと乾いた音を立てて転がる。
「はい。軍事ですね」
「兵器の発注数が多かったのが気になりました。李治世様は李碧様と相談して決めたと仰いました。彼によれば、強いに越したことはないと。それと、経済効果があるという理由でした」
「はい。そう話しました」
「兵器は人を殺す道具です」
「はい。承知しています」
そこで、牛金星は深呼吸した。
「私が最も恐ろしいと思ったのは、女性や子供が扱える大きさの銃です。李氏様は女子供を戦に駆り出そうと考えているのですか?」
「行軍の際、軽量であることが重要だと思いました」
「行軍の際、銃はまとめて馬で運びます」
この時代、銃は軍が一括して管理するものであった。戦場に到着し、布陣が決まってから担当者に配られる。
「時代は変わります。1人1丁銃を持って行軍する時代が来るでしょう」
「あんな高価なものを1人1丁も? あり得ない」
「使わなければ技術の更新がされません。たくさん買って資金を投入しなければ、研究開発ができません」
「いったいどこと戦うためですか。もう広大な大盟帝国の地は一国になりました。北方民族の対策は十分でしょう。西も南もほとんどが険しい山々です。この先、一国が戦うのは、新たな反乱軍を制圧するのが主です。李氏様は、同じ国の民に銃や大砲を向けろと仰るのですか」
碧は現代の歴史を思い出す。大水青帝国は列強諸国に蹂躙された。今、碧が最も懸念するのは、アヘン戦争だった。ただ、碧の知る歴史とは異なり、アヘン戦争が起こる長江の河口は、大南国の領土内である。
「違います。強い礎を築いておかないと、狙われるとからです」
「北方民族ですか? 断言できませんが、この先10年は我々の方が優位に立てる」
「もっと恐ろしい相手です」
「それはどこですか」
碧は首を横に振る。不確定な未来のことなど口にできない。
「水軍、、、」
長江河口沖で戦艦同士が戦い、大水青帝国の船が燃える絵画の記憶が、水軍強化を訴えようとする。
「すいぐん?」
「いえ。100年200年先にも狙われないよう、盤石な……」
「李氏様。そんな先、我々は生きていない。そこまで視野に入れているのですか?」
「今我々は、平和に暮らしたくて戦をします。でも、いずれ、豊かになるために、金銭を得るために戦をするという考え方の人々が……」
碧は再び言葉の途中で口を噤む。
──処刑されるなら、その前にアヘンが入り込まないシステム作りを託したい。
心の中に強い願いがあるというのに、予言めいた言い方しかできない自分に、碧は苛立つのだった。
「李氏様。はっきり申し上げます。私は貴方が鉄鉱石から銃を作ろうと仰ったときから、怖かった。軍事国家を歩み始めている気がしてなりませんでした」
牛金星の弾劾に、碧は大きく頷く。
「覚えています。牛氏様が言ってくださったことを。武官の上に文官がいる大盟帝国の組織構造を見習うべきだと。その通りだと思います。現在の組織は、牛氏様が仰られたように、文官に軍事行動の決定権があります」
「そうですね」
しばし沈黙が落ちる。碧の前に、彼女の言葉を待つ牛金星があぐらをかいて座っている。一度見たら忘れない、西洋人にも似た彫りの深い整った顔立ちの中で瞳が揺れ、じっと碧を視線を置いていた。
「李氏様。……何を心配してるんです?」
──アヘンです。それが入り込む隙のある社会です。
「法治国家をしっかりと作ってください」
「答えになっていません」
「答えなんです。うまく表現できないんです」
しばらくの間の後、「そうですか」と牛金星は力無く言った。
「法治国家と仰る。しかし先ほどは軍事力重視。それが貴方の考えだとしても、李治世様を洗脳すべきではありません」
「洗脳しているつもりはありません」
「貴方は分かっているはずだ。李治世様が真っ直ぐで素直な人であることを。貴方が話せば、その思想に染まります」
「……」
その通りなのだった。
「『均田免賦、2年不納糧』で西安の15万人を扇動した貴方にとって、彼を動かすなど容易い。李治世様は乱世のカリスマです。もちろん、本人の資質もありますが、半分は貴方の軍略のせいです。西安の藩を削り、西方を捨てた。南東の藩の平定を食料豊かな大南国の後にした、大南国のみ、一国に加えるのではなく同盟国にした。貴方が軍事に重きを置く考え方を改めなければ、李治世様は軍国主義へと歩み始める」
「……」
「今、周りは冷静です。しかし、天候不良、災害、政権争い、悪政による貧困など、彼は何かの拍子に、多くの者達を引き連れて動く可能性があります。乱世が終わりました。危険です。橙巾党が歪んでしまいます。そうして文と武が橙巾党幹部内で分かれれば、帝都官僚の思う壺です」
「……」
牛金星が1番話したかったことに、碧は答えなかった。「はぁ」と大きく息を吐いた後、彼は2番目の話題に移った。
「では、李氏様を助ける話です」
「もう、かなり諦めています」
「らしくないです」
「治世を、お願いします」
「……」
「きっと、悲しむので」
「今だってぼろぼろですよ。冷静な判断力を失っています」
「え」
「まあ。男なんてそんなもんです」
「牛氏様もですか?」
そう問われ、牛金星は心の中で『いや、私は昔からモテてきたので、女ごときにそれほど左右されませんでしたよ』と即座に否定した。もっとも、これは彼自身の認識である。かつて獄中で、正妻と側室3人に屋敷まで売り払われたと知った際、首を吊り、牢屋番に助けられたという過去があった。彼の中で、このことは「女に心を左右された」のではなく、「漢としてのプライドを踏み躙られた」と変換されている。
「……」
「意外です」
「私のことはいいんです。李氏様をどう助けるかです。私には思い浮かばないのです。でもきっと、李氏様なら策がある」
策と言えるかは分からないが、李碧は、茉莉と苑を待っている。しかしそれも吹き飛ぶほど、偶然の一致とは思えない日付に「運命」を感じている碧だった。
──4月29日。歴史で李治世が呉三魁に討たれる日。




