政に忙殺される中で
査察部の官僚が零した本音を聞いた橙巾党の1人は、「おっ」と少々驚く。
「なんや。官僚ん中でも、そんな風に思われとったんか?」
その声に他の査察部員も加わってきた。
「世代の違いです。彼らにとっては古良き慣習でしょうが、民がどんどん疲弊していった時期から、実のところ老害っぽく感じられて。若い世代の官僚は距離を置いています」
「怖かったんですよ。崇和帝にあらぬことを告げ口されたら、解雇や処刑ですから。じゃなくても、暗殺されたり、家を燃やされたり、家族が被害に遭ったりしましたので」
橙巾党幹部は目を丸くする。
「マジか。牛さんが言っとったのは本当やったんか」
「どーしてそんなんが、人の上に立っとったんや」
それに対する明確な答えはなく、とにかく査察部の面々は無事2人を投獄できたことにほっとしたのだった。
「なぜなんでしょうね。官僚の世界の中身が見えてくるにつれ、『自分も出世したらああなるのか』と思うと。私は脅されることよりも、そっちが恐怖でした」
「まだまだ賄賂や不正はたくさんありますが、少しは落ち着くでしょう」
橙巾党幹部は別の懸念を口にする。
「なあ、あんな重要なポストに就いとった2人がいなくなって、困ることない?」
「仕事は?」
「全く問題ありません。まあ、次席の者の業務は多少増えますが」
「逆に、流れがよくなる部分がありますよ」
最近、帝都の官僚ツートップが尽力していた仕事といえば、治世を玉座に添えることである。彼らは綿密に式典の次第を考えていた。*玉璽まで作り、招待客のリストや席、余興の舞、料理などあらゆることを根回し&手配していたのである。というわけで、近々に政に大きな支障はないのだった。
そして、当然、式典は中止である。ほとんどの者が、式典が企画されていることも知らぬ間に、それは頓挫した。
役所に、できあがった玉璽が届けられた。役所では捨てるわけにもいかず、それは武英殿に持ち込まれた。
橙巾党幹部は特大のハンコを眺め、不思議そうに首を傾げる。
「なんやこれ」
「何書いてあるんや?」
「逆さまで読めん。紙に押してみ」
墨をつけて押してみると、仰々しい文字が現れた。
「|受命于天《そうみん ゆ てぃえん》 既壽永昌」
(天の命を受けて皇帝となったのだから、この国と統治は永遠に栄える)
既に文字をかなり読めるようになった橙巾党の1人が、たどたどしく発音する。
「なーに言っとるんだか。天なわけないやろ」
「そこは『民』に変えんとな」
「栄えるのは永遠でいいが、統治を、自分のもんみたいにすんなや」
玉璽は、さんざんこき下ろされた挙句、ゴミ箱に捨てられた。
高級品に接したことがない橙巾党には、ハンコはハンコなのである。掃除をしていた宦官は、ぎょっとして、即、ハンコを回収。
「こちら、頂いてもよろしいでしょうか」
「どーぞー」
「おもちゃにしかならんぞー」
そうして、ネフライト最高級品質の和田玉に精緻な龍の彫刻が施されたそれは、おまる処理やゴミ担当の宦官の物になった。その2日後、彼は宦官の仕事を辞めた。庶民ならば、10年は遊んで暮らせる価値であった。
武英殿には様々なものが集まる。汚職官僚から押収した書類、重要な業務に関する資料、各地からの訴状、玉璽のような手に余るゴミ、情報。
軍からの書類がまとめられ、武英殿に届けられた。
大盟帝国時代、兵器の発注は各駐屯地に一任されていた。駐屯地への軍事費として、各藩へ下ろされていたのである。その工程で多くを中抜きされ、挙句は敵国への兵器の密輸へと繋がっていた。これを鑑み、兵器の管理を中央が一元化することとなった。
一国が大盟帝国から引き継いだ国庫は、ほぼ空であったが、一国の諸藩からの融通などで最低限はなんとかなっていたのだった。そして、これまで行方知れずとなる中抜き分が、ざくざくと出てきたのである。一国のチェック機能、不正を許さない官僚面接での「|不收贿赂《ブー ショウ フイルー》、不搞腐败」の張り紙、帝都官僚のツートップ更迭の効果は絶大だった。
橙巾党財政部門のおじさん3人は、夥しい兵器の数と火薬のリストを見て震えた。
「なんや、この数は」
それに治世が答える。
「全部の駐屯地分ですから」
「いやそれにしても」
すぐさま、おじさんの1人はそろばんを弾く。
「今までのもあるんや。どーなっとる」
治世は、星の数ほどある駐屯地にある従来の数と照らし合わせて説明していく。それでも「多い」というのが財政部門のおじさん3人の結論だった。
「治世、これ、娘娘と相談したんか?」
「はい。強ければ強いほど、敵に狙われないって言ってました」
「お前の考えはどーなんや」
「オレもそう思う。圧倒的なら、敵は戦意喪失して逃げる。無駄な血が流れない」
それは治世らしい考え方だ、と聞いていた者達は納得した。
「それに、」と治世が付け加える。
「碧碧が言ってたんです。金が回ると税収が増えるって」
「「「は?」」」
世の人々が金を持っていても、そのまま金が動かない場合、売買が成立せず、儲けがない。よって、商人達からの税がない。しかし、同じ金の量であっても、それがくるくると循環すれば=売買がたくさん行われれば、売った商人の儲けになり、税が発生する。
治世は、碧から教わったことを説明した。
「銃が売れれば、それに関わってる人らに金が入る。その金を使う。使った先の店が儲かって、その店の人らが金を使う。そしたら、そこら中から税を取れる」
「娘娘は。やっぱ金かよ」
「牢でまで」
「金かよ」
碧は、政によってどこかを潤し経済を活性化させ、税収に繋げようとしていた。
そこへ、治世が発注した新しい試作銃が届く。
「李治世様」
「ああ。ありがと」
宦官によって木箱がテーブルの上に置かれた。
「なんや、治世」
「碧碧が、もうちょっと小さくて軽い銃なら、女の人や華奢な人も扱えるって」
それを聞いた瞬間、おじさんの1人は「誰が使うための銃や?」という怒りの言葉が漏れそうになった。処刑される予定なのだから、碧自身のものではないのだ。確かに屈強な者ばかりが軍人ではない。しかし、女性と同等に華奢な体躯といえば、それは未成年を意味していた。
──女子供を戦場に出すのか?!
おじさんの1人は注意深く言葉を選んだ。
「なぁ治世。行軍の持ち運びにはいいかもしれん。それは馬を使えばええ」
もう1人ははっきり言った。
「この大きさは女と子供用にしか見えん。オレらが戦うんは、女や子供を守るためや。いらん」
治世は、はっとする。彼は、銃の重さ、飛距離、火種が不要という性能ばかりに囚われていた。銃が殺傷能力の高い人殺しの道具であることが、すっぽり抜け落ちていたのだ。
「すいません。オレ、なんか、最近、変」
彼は、李碧が喜ぶ顔を見たかった。鉄鉱石の採掘から銃生産を考え、火薬の精製を行ったことは、李碧の大きな功績である。だからこそ、その方面に更なる実績を積み上げたかったのだ。その思いが、視野を狭くさせていた。
「しゃーない」
「分かっとる」
「一旦、休め」
治世は肩を落とし、武英殿を出た。
風が橙色の旗を揺らしている。橙巾党の橙色は、碧が治世にくれた柿渋で染めた布が最初だった。たった1枚の布が、人々の意思表示のシンボルになり、軍旗になり、国の旗となった。
治世はその前を通り過ぎ、武英殿の裏手、いつも2人でほんのひと時を過ごしていた漢白玉の階段に腰を下ろす。彼は自分の首に巻いている巾に指先を触れた。汚れ、すり切れ、碧にもらったときの橙色は汚れた黄土色になってしまっている。
自分は何をするためにここにいるのか、彼には疑問だった。帝都の官僚ツートップが失脚し、王として碧に恩赦を与える筋書きはなくなった。牛金星が中心になって考えられた組織は、歯車のように牛金星と碧なしでも回っていく。
事務方の仕事量は計り知れなく、今の彼らにとって、碧の処刑を覆すための案を巡らせる余裕などどこにも残されていないように見える。
このままでは、碧の処刑が行われてしまう状況にあった。
*玉璽……「この印を持っている人が、この国の一番偉い人」ということを証明するための、最高位の印鑑




