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橙色の旗、風の夢〜親友の脚を守ったら、歴史が塗り変わりそうになってます〜  作者: summer_afternoon


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どこへ向かっている?



 白い光がうっすらと差し込む朝、土が固められただけの通路を靴音が近づく。その音は、碧の房の前で止まった。立っていたのは1人の役人だった。彼は腕を組み、眉をハの字にして薄い粥を啜る碧を見下ろしている。


 役人は気まずげに碧に尋ねた。


「何か希望はあるか? 少しくらいなら、融通できる」


 それは、役人にとって、悪事に絡んでいる罪悪感からくる、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。


「絞首刑じゃなくて銃殺がいいです。即死できそうなので」


 ふぅ、と役人は大きく息を吐き出す。「死ぬ前に美味しいものが食べたい」と言うだろうと思っていた。或いは、女性なので「化粧をして綺麗な服を着たい」などのような。それが銃殺希望とは。


「上に伝えよう」


 役人は短く答え、踵を返した。彼は、頻繁に尋ねてくる恋人らしき男を、最後くらい房の中に入れてやろうかと考えたのだった。


 ◇


 査察の執行は速やかに行われた。


 夜明け1時間後に一斉に官僚ツートップ2人、それぞれの屋敷を査察部と役人が取り囲み、捕縛した。財産の没収も行われるため、様々な部屋が役人らの手によってひっくり返される。家族が怒号を飛ばし、使用人達はこれまでの俸給が支払われるのかと役人達に詰め寄り、査察部の官僚は物を投げつけられる混乱であった。


 数時間続く騒ぎを聞きつけ、見物人が集まってくる。「汚職」と大きく書かれた紙が屋敷の門に貼られ、荷車に様々な書類や財が詰め込まれていく。

 査察の執行は速やかに行われた。


 夜明け1時間後に一斉に官僚ツートップ2人、それぞれの屋敷を査察部と役人が取り囲み、捕縛した。財産の没収も行われるため、様々な部屋が役人らの手によってひっくり返される。家族が怒号を飛ばし、使用人達はこれまでの俸給が支払われるのかと役人達に詰め寄り、査察部の官僚は物を投げつけられる混乱であった。


 数時間続く騒ぎを聞きつけ、見物人が集まってくる。「汚職」と大きく書かれた紙が屋敷の門に貼られ、没収された膨大な書類や財が次々と荷車に積み上げられていく。


 No.2の官僚の屋敷から少し離れた場所に、呉家の馬車があった。乗っているのは、苑と侍女だった。


 ──お父様、お祖父様。


 7年前、紫一族を陥れた官僚の末路を、苑は虚しい気持ちで見ていた。かつて苑の祖父と父親は、帝都の官僚として要職に就いていた。それを、No.2の官僚が崇和帝(スウワテイ)の猜疑心を巧みに利用し、汚名を着せて死に追いやったのだった。


 北方民族対策費の横領の黒幕が明るみになり、結果、苑の祖父と父親の無実も明白となる。それは、彼が陥れてきた官僚達の氷山の一角、既に風化した出来事の1つである。不正が白日の元に晒されようと、それを行った人間が裁かれようと、紫一族が味った無念は消えない。失われた命は戻らないのだった。


 少し開けられた馬車の窓をそのままに、苑はしばらく佇んでいた。


 すると、侍女が「あら」と声を上げる。


「どうしたの?」


 尋ねる苑に、侍女が人だかりの中を指す。


「牢にいた役人がいます」


 苑は窓をもう少し開けて役人を見る。役人は、下唇を噛み、憤怒の表情をしている。


「どうしたのかしら」

「様子が変ですね」

「もうすぐ、莉莉が来るから、相談しましょう」

「そうですね」


 茉莉が帝都へ来る。今回は、碧の無罪を晴らすためにしばらく滞在する予定であった。


 ◇


 そんな折、橙巾党の幹部の1人が牢を訪れていた。ダーリンである。


 治世を脱獄させたとき、最後に、47人もの仲間を引き連れて山に戻ってきたメンバー。山に潜伏している間、彼の妻、当時はカノジョだったハニーが頻繁に食料を持って訪れ、料理に励んでいた。


 彼が西安に帰ることは、治世から聞かされていた。すでに送別会も終わっている。


「よ、娘娘。聞いた?」

「はい。西安に帰るって」

「これから帝都を出るんだ。最後に娘娘んとこ寄ってこうと思って」

「帝都には戻ってくるんですか?」


 その問いに、ダーリンは首を横に振った。


「ガキ生まれたのに、会ってねーんだ。オレがいない家で、親父やお袋、じじばばまで一緒に住んで面倒見ててさ。帰ってやらにゃ。漢が廃る」

「本当にいい奥さんですね」

「だろ?」

「はい」

「一人にしたらダメだろ」

「そうですよね」


 治世から聞いている。もう1つ理由がある。


『政になじめないんだ。あの人は、誰よりも正義感が強いから』


 ダーリンが枷号から治世を救うことに加担したのは、正義感からだった。西安の役人達のやり方に憤り、多くの仲間にそのことを広めたのも正義感があればこそ。様々な藩の反乱軍に手を貸したのも、同じ理由からだった。しかし、帝都は違う。


 かつて大盟帝国の領土だった土地の農民達は、帝都の官僚による政に苦しんでいた。しかし、一国となって帝都と切り離された。その時点で、ダーリンの中では一つの決着がついていた。


 帝都を制圧しておかなければ、やがて一国が狙われる。その意見には賛同した。しかし、いざ、帝都が一国に加わってみれば、橙巾党に求められるのは戦的な強さではなく、政であった。真っ直ぐな正義など邪魔になるほどの世界。彼は軍の方面を担当していたが、やり取りするのは事務方の文官官僚である。戦費を、兵糧を、ひたすら懐に入れることに力を注ぐ妖怪ばかり。人に会えば会うほど、彼の精神は疲弊していった。


「奥さんとお子さんと、それからご家族によろしくお伝えください。私……」


 碧の脳裏に、治世を枷号から救った日の光景が浮かんだ。山道を埋める、黒々とした人の列47人。ダーリンが連れてきてくれた仲間だった。


「私、私。たくさんの村の人を連れてきてくださったとき、すごく感動したんです」


 その後も、ダーリンは多くの人を引き込み、様々に乱立する反乱軍と交渉してきた。彼の人柄に惹かれ、多くの仲間が増えた。けれど、彼は、濁った水に住めない人間だった。帝都の水は澱み、腐っている。


 碧の声が詰まった。


「おーっと。ハニー以外の女、泣かせちまったぜ。はは」


 爽やかに笑うダーリンは、いつもと同じ調子だった。


「ま、治世もさ、オレと似たよーなもんだぞ」


 治世とダーリンは年も近く仲がいい。ダーリンは社交的で饒舌。治世は寡黙な方である。けれど、考え方は似ている。治世もまた、帝都の官僚を苦手としている。そのことは、誰の目から見ても明らかだった。


「そうかもしれません」

「娘娘がいるから頑張ってっけど、日々を恙(つつが)なく暮らしてけりゃいいって素朴なヤツ」


 その通りだと碧には分かった。


『西安の藩王を降伏させましょう』


 あの碧の言葉がなければ、始まらなかった。どれだけ悔やんでも、あの言葉を取り消すことはできない。そして、それによって導かれてしまった軌跡を消し去ることはできない。


 ダーリンは治世に問いかけたことがある。


『オレら、どこ向かってんだ?』


 そのとき、治世は何も答えなかった。理想の政なのだろうと分かっていても、肌で感じられる身近なもの「均田免賦、2年不納糧」とはまるで違っていた。


「お元気で」

「娘娘、脱獄して逃げて名前なんて変えちまえ。そんで、治世と暮らせ」


 ダーリンらしい言葉だと碧は思った。


「……」

「名前なんて変えても、人は変わんねーし。あ、ダメだ。そしたら結局、娘娘は表へ出てくっかもな」

「あはは」

「笑ってっし。笑ってろよ。そしたら結構、可愛いから」

「笑ってなきゃ可愛くないみたいじゃないですか」

「んー。ちょい目がデカすぎるんだわ。笑って細めとけ」


 時代によって、美人や可愛いの基準は大きく異なる。現代でもてはやされる碧の外見は、この時代では需要がない。


 碧は泣いてしまったが、和やかな別れだった。


 ◇


 武英殿に次々と報告がもたらされ、荷車が届く。


 査察部は鬼ではない。広大な屋敷に暮らす家族個人の私財までは押収しない。今回は帝都が一国になってから不正に蓄えた分を押収できればいいのである。大盟帝国時代に如何に巨額の財産を蓄えていようと、そこまでは踏み込むことは政治的配慮から憚られる。


 査察部の1人は業を煮やしていた。


「ふー。君主制であれば、全財産を没収できると言うのに。あの方々がどれだけの官僚の屍の上に立っていたか。どれだけの血税を懐に入れていたか」


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