知略対決 牛金星V.S.帝都官僚ツートップ③
橙巾党のメンバーは、帝都の官僚を牛耳るツートップの反応を注視していた。2人は、新たな法務大臣の発表のとき、一瞬動作を止めた。しかし、それだけだった。
牛金星の目論見では、ここで法的手続きが滞り、碧の処刑が引き伸ばされるはずだった。
しかーし。
牛金星と碧は、組織編成のときに「誰かが欠けても組織が存続する仕組み」を目標を掲げていた。それが災いし、全ての業務が粛々と進んでしまうのである。
──どゆこと?!
牛金星は、完璧を目指した組織改革によって、自分で自分の首を絞めることになってしまった。絞首刑を待つ碧など、文字通り、自分で自分の首を絞めるのである。
隔離されている建物の中、牛金星は己の頭を壁にぶつける。
──なんでだー!! どーしてオレはいつも詰めが甘いんだー!!
この場合、しっかり詰めていたからこそ、組織が滞りなく機能しているのである。
組織がどうあるべきかなど、治世には興味がない。彼はただ、牛金星の目論見が外れ、失敗したことだけを感じ取った。
◇
「碧」
「治世。忙しいんじゃないの?」
治世は足繁く牢へ通う。
日が落ちた後の牢は昼間より一段と暗く、蝋燭の灯りの周りだけに土壁や溶けた蝋が存在しているかのような不気味さを呈していた。姿は見えずとも、むっとした人間の臭いが溢れ、それは泥水や排泄物の臭気にブレンドされている。
「ん? 別に」
そう答えながらも、治世は様々な業務を牢へ持ち込んでいる。
「オレさ、数字と簡単な字は読めるようになったんだ」
治世は碧の房の前にぺたんと腰を下ろし、持ち込んだランタンの灯りを頼りに記録を読む。外部から訪れた者なら息をするのも嫌悪する空間で、治世は自分の髪や衣服に悪臭が染み込むことを気にも留めない。
「北の国境の駐屯地さ、戦ってないとこは兵器も火薬も残ってっけど、補充しないとな。ほら、これ、リスト。考えてたとこ」
2人は共に、予算からそれら兵器の補充を考える。
治世は文字が読めるようになったことを、少し照れくさそうに碧に示す。リストの文字を目で追いながら、ぽつりぽつりと声に出した。
「ねいぶかん、じゅう、100ちょう、ほうだん……」
それを碧が聞き、ときどき、治世が詰まると、碧が読み方を示す。
「んーっと。大砲も銃も、すっげー要るのな」
「古い銃はどーしてんの?」
「回収してるはず」
「できれば、その数をチェックして長城の向こうへ横流しされてないか調べてほしい」
「分かった」
治世は「回収 数」と歪な文字を紙に書く。
「治世、字、書けるようになったんだね」
「おう」
「すごいね。誰かに教えてもらってるの?」
「ううん。紙とか筆、いっぱいあるから」
「え?」
「オレん家に、紙も筆もなかった」
「そっか」
「でも今、いっぱいあるし。周り、みんな読めるから」
「官僚だもんね」
「ちげー。橙巾党も。だいぶ読んでる」
「そーなの?!」
「おう」
「知らんかった」
「財政部門の3人、そろばん使ってる」
「そういえば、使ってた! あれ? いつからだろ」
碧が気づかない間に、周りの者達は進化していたのだった。
「軍事費、いっぱいある」
「これがね、いろんなところの駐屯地に届くまでになくなっちゃうんだ。まず、それを無くさなきゃ」
「だな。めちゃくちゃ強かったら攻められない。金があれば強くできるもんな」
「だね」
一国軍の大軍勢に、無抵抗で降伏した拠点がほとんどだった。山海関では、北方民族も逃げた。
「今んとこ大丈夫?」
「強くなっておかないと。どこまでも強いに越したことはないよ」
碧の頭の中には、列強諸国に蹂躙される歴史が思い浮かんでいた。アヘンに国が蝕まれ、その先に待ち構える戦争でも痛手を負った。軍が強いこと、国の政治が機能していることは、国の強さに直結し、外からの攻撃の盾となる。
そう確信する碧は提案する。
「銃がね、もっと軽かったらいいなって思う。私より小さい人でも扱えるような」
彼女は女性の中では長身な部類である。それでも長銃は大き過ぎると感じる。長時間持ち歩くとなると、女性や、体力のない者には辛い。
「飛距離は短くなると思う。けど、すぐ作れると思う。帝都周辺に銃の技術者がいっぱいいる」
「そーなんだ」
「おう。考えてみれば、前の火縄銃んときより、飛距離はずっと伸びてるんだもんな。飛距離削っても軽くて持ち運びやすい方がいいんかも」
兵器の話をしていたというのに、ふと、治世は会話を止める。
「なぁ」
「え?」
「オレが王になったら怒る?」
「あはは。そうだね。みんなが怒るよ。やろうとしてること台無しじゃん」
「オレさ」
「うん」
「誰が怒っても、みんなに嫌われても、どーでもいい」
「どしたの」
「バカにされても、どーでもいい」
「誰も治世のこと、バカにしないよ。一目置かれてるじゃん」
「ぜんぜん。それは、戦んとき」
「戦だけじゃない」
「碧がいればいーんだ」
「え?」
治世は、にぱっと笑顔を見せる。幼いころと同じ笑い方は一瞬で崩れ、唇が小刻みに震え始めた。
「碧だけでいい」
「治世」
房の木の格子の前、地面に背中を丸めて座る治世の俯いた顔を涙が伝い、落ちる。
自分を思って泣く治世の姿に、碧は胸を締め付けられるのだった。
床に置かれたランタン。その光は治世が持ち込んだ紙の上の墨文字を橙色に照らし続ける。ついさっきまでいつもどおり言葉を交わしていたのに、彼はもう、それ以上言葉を発することもできない状態だった。暗がりでも分かる痩けた頬、目不足の隈。短く噛まれがたがたになった左親指の爪。
碧は、牢の劣悪な環境には参っていたが、死ぬこと自体は、それほど大事に考えていなかった。うっすらと、元いた時代、現代へ戻れるような気がしているからである。根拠はない。処刑が実行されれば、悪臭や入浴できない不快さから解放されるとすら思うほどだった。もっとも、悪臭にはすっかり鼻が慣れてしまったのだが。
ただ、絞首刑は苦しむ時間が長そうなので、その点が不安だった。
──私って、バカ。
碧は今更痛感する。
死んだら、碧は治世に会えなくなってしまう。何よりも、治世が悲しむのだ。碧が投獄されただけで、目の前の状態であるのに、碧が死んでしまったら、いったい彼はどうなるのだろう。それを想像しなかった自分を、碧は愚かだったと思った。
◇
彼らが預かり知らぬところでは、帝都の官僚達が密かに大規模な式典の準備を進めていた。中華に一国ありと知らしめる国家行事である。表向きにはそうであったが、実のところ官僚ツートップの真の狙いは、治世を皇帝として玉座に奉ろうとしていた。
彼らにとって、治世は、非常に御し易い存在だった。それは幾分、治世が目的のために愚鈍を装っていることもあるのだが、傲慢な彼らはそれに気づいていない。一方、冷徹で狡猾と評判の碧は、自分たちの既得権益を脅かす最大の障害であり、なるべく早く消したい人間である。
「あの小娘が。女のくせに政に口出しするとは」
「昔から『牝鶏晨す』というではないか」(雄鶏の代わりに雌鶏が時を告げると国が滅びる、という故事)
彼らは碧の政治家としての欠点を、女という理由以外に見つけられずにいる。
「まったく。どれだけ袖の下が減ったことか。人事の口利き料はまるでなくなった」
「官僚組織のあちこちに中抜きのチェックが入って、手を出せない」
「最近は、サロンでもてなそうとしても、警戒される始末」
「あれは資金集めを兼ねた宴なのだぞ。必要だからあるというのに。分かっておらんのだ。交渉の下準備や潤滑油というものを」
帝都の官僚の末端は、少しずつ新体制である一国のクリーンなやり方に染まりつつあった。それは現場の役人達も、良識を捨てきれないという形で現れていた。
「小娘は地獄を味わっておるだろうな」
「それはもう。牢は過密状態。むさ苦しい男らの房に放り込むよう言ってある」
「「はっはっはっは」」
「囚人らは、天からの褒美に湧き立っておろう」
碧は独房にいる。役人は、凶悪犯が何人も詰め込まれている房へ入れるよう依頼された。そのあまりにも下衆い品性のなさに、彼は呟いた。
『反吐が出る』
そして彼は、碧を独房へ収監した。金を貰おうが、非人道的なことはできなかったのだ。




