投獄
帝都の官僚達は、牛金星から攻め落とそうと目論んだ。皇帝の必要性を説き、彼を傀儡のトップに据えようと動き出していた。
会議の予定もないのに、武英殿に帝都の官僚上層部が揃って仰々しくやってくる。
「牛氏様。法治国家を目標とされるお考えについて、詳しくお聞かせ願いたい所存です」
「「「所存です」」」
牛金星は困った。帝都の官僚達の腹黒い画策など、お見通しなのである。碧とおじさん3人に助けを求めた。
「最近、妙に食事や宴席や碁に誘われて困っているのです。当方に決して疚しいところなどないのですが、立ち話すら気になる内容なのです。いっそ私を、何かの業務の専任にして、面会謝絶にしてください」
「じゃ、ペストに罹患したことにしましょうか」
碧は伝家の宝刀を持ち出した。
「「「おおーっ。それがいい」」」
「よろしくお願いします」
牛金星は、ペストに罹患したことになり、物置小屋となっていた建物を整え、そこに籠った。
「「「なんと、牛氏様が?!」」」
緋色の官服を纏った帝都の官僚達へ碧が告げると、彼らは扇子で口元を隠し、何やらひそひそと内輪で話す。碧は涼しい顔で言った。
「あちらの建物にいらっしゃいます。もしよろしければ、お見舞いにどうぞ」
死の病、ペストである。彼らが行くわけがない。官僚達は退散していった。
しかし、撃退できたことを喜んだのは束の間。なぜなら、碧が投獄されたのだ。
帝都の官僚達は、牛金星が不在の隙に、橙巾党の頭脳である「李碧」を失脚させようと牙を剥いた。罪名は、殺人。
「4月10日、呉将軍邸にて、来客を殺害」
「は?」
碧にとっては寝耳に水の捕縛だった。橙巾党、及び一国軍の掟は「略奪は死をもって処す」である。しかし、それは、略奪行為があってのこと。
役人の話によれば、略奪が行われていたのは母屋の別棟であり、碧が斬った男は、側室の来客、間男だったというのである。
「違います。侍女が縛られていて、傍で見ていました。側室の女性を襲おうとしたんです」
排泄物と腐敗臭が充満する牢に外からの光はほとんどなく、拷問後の呻き声が遠くに響いていた。碧は、両手で木の格子を掴み、訴える。
「それは、戯れただけだろう。元妓女。ご老体の元呉将軍では満足できなかったとみえる。縛るなどなかなか妙技」
役人の下衆な返答に、碧は吐きそうだった。
「え、何言ってるんですか? 私は目撃者の話をしています」
「妓女とそれに仕える侍女など信用できるわけがない」
「今は妓女じゃないです」
「元妓女。同じことだ」
「だったら、唐茉莉に聞いてください」(中国は結婚しても姓が変わらない)
「唐将校のことか? 唐将校が盗賊らを役場に連れてきたのだ。そのときの調書がある。5人は屋敷で元呉将軍を縛り上げ、金目の物をテーブルの上に積み上げていた。この5人は唐将校が成敗し、投獄されている。もう1人は屋敷の別の棟にいて橙巾党の李碧が斬ったと調書に記録されている。そいつは獄中死した」
「来客じゃありません!」
──嵌められた。
碧は自分の軽率さを呪った。医師であるにも関わらず、女性を襲う男というだけで、斬った者の命を軽んじた。その者の容体など確認せず、7年ぶりに茉莉、苑、自分の3人が揃ったことに興奮していた。
「もう死んだ。どうやって来客じゃなかったと証明する?」
めちゃくちゃだ、と碧は思った。6人組だったのだろう。5人が屋敷で強盗を働いているときに、偶然同じ橙色の巾を被っていた男の来客がいたなど、不自然である。
「あ、他の5人と同じ橙色の巾を被ってました」
「証拠は?」
「5人に聞けば分かります」
「盗賊の証言など信用できない」
「橙色の巾を持っていれば、橙巾党の偽物だと分かります」
「死んでしまった者の持ち物は残っていない」
一般人を殺した碧は、一国の法のもと、絞首刑となる。
「同じ巾を被っていたって、唐茉莉に聞けば分かります。唐将校の言うことなら信じられますか?」
「……」
役人が言葉に窮する姿を見て『なるほど』と碧は思った。この時代、現代の警察や検察のような役割を軍が担っている。だから、犯罪を扱う役場の役人にとって、関寧鉄騎の呉一族は絶対的な存在なのだ。
役人は露骨に話を変えた。
「橙巾党の掟だか何だか知らんが、コソ泥を殺していい法などない。コソ泥は杖刑かせいぜい3年の強制労働だ。唐将校はちゃんと5人を生け捕りにした。ヤツらが橙巾党の偽物だとしたら、尚更、法を適用せねばならん。野蛮な反乱軍の私刑と、我々の法治国家を一緒にするな」
──法治国家。帝都の官僚と役人が繋がってる。
──「野蛮な反乱軍」それが橙巾党の評価。
碧は愕然とする。
「コソ泥ではありません。女性を襲おうとしてたんです」
「女が誘ったに決まっておる。妓女なんだろ?」
それは時代ゆえの女性蔑視であり、役人は、妓女はいつでも男を求めていると決めつけていた。碧は反論するのを止め、牢の木の格子から離れると冷たい土の上に座った。
役人は、賄賂を要求する。恐らくそれは、帝都の役人達の筋書きなのだろう。
「助かる方法はある。分かるだろ? 袖の下だ。そしたら、お前を牢から逃すくらいしてやる」
この話に乗った瞬間に、法治国家という言葉が砕け散る。敵の思う壺。
「唐将校を呼んでください。せめて文を届けてください」
「人を呼べ? 文だと? 殺人者が何を言っているんだ」
コツコツと役人の靴の音が遠ざかっていった。
牛金星がペストで政界から離れ、橙巾党が弱くなったところを狙われた、と碧は自分の甘さを反省した。ペストならば最低でも3週間は復帰できない。
そして、もう1つの現実が横たわる。
──帝都は一国を受け入れていない。
碧の頭を、帝都へ入城したときの人々の恐怖に疲れた笑顔が過った。帝都の城壁の中に住む人々は、圧政に苦しんではいなかった。多くは官僚、豪商などの富裕層。大盟帝国の富が集まる場所なのだから。16万の大軍勢で、一国は帝都の平穏を蹂躙したとも言える。
日が暮れたころ、橙巾党幹部が面会に来た。囚人への面会は許されている。碧は、唐茉莉に文を書いて届けて欲しいと頼みこんだ。しかし、来ていた者達は文字を書けず、かといって、囚人が文を書いた場合は検閲されてしまう。碧の文は100%届くことはないだろう。
「調書も調べてください。本当に私が斬った男が『来客』って記述があるかどうか」
「申し訳ない、娘娘。オレら、字ぃ読めん」
「今、牛さんがおらん」
読み書きできる牛金星は、偽ペスト隔離中である。
「あ。呉将軍の屋敷にいる側室に伝えてください。私が捕まってるって」
「わかった!」
皆が去っていく中、治世だけが牢の前に立ったままでいる。
「碧、絶対助け出すから」
「ダメだよ」
「どーして。枷号のとき、オレを助けてくれたじゃん」
治世の目から涙が溢れる。17歳の乾いた夏が胸によみがえっていた。尽き果てようとしていた彼の命を救ったのは今の橙巾党幹部。悔しさと苦しみと恥辱に塗れた夏、西安の広場に碧がいた。
木の格子に添えられた碧の指を、治世が握る。その熱は、牢ごと燃やしてしまいたいと願うほど彼の胸を締めつけていた。
「治世。もう、あのころと違うよ」
「違わない」
「一国を背負ってるんだよ」
「オレ、そんなもん、背負ったつもりない」
「不正はダメ。脱獄はしない。大丈夫。きっと」
碧は、静かに微笑む。
格子越し、指を繋いだまま。
治世は自分の肩口で涙と鼻水を拭った。
「な、もし、もし誰かが王になって、『無罪』つったら、碧、助かる?」
治世は、最も早い道を探る。
それを碧は諭した。
「そんなことをしたら、一国じゃなくなっちゃうよ。1人に権力が集中したら、その人を攻略するか倒すかすれば終わる。私達が創りたいのは、そんな弱っちい国じゃない」
「オレ、ムズいこと分かんねーよ。碧が助かればそれでいーし」
「お願い。そんなこと言わないで」
碧は治世の節くれ立った指にキスした。その指は、痛いほど彼女の指を握っていた。泣いて歪んでいた治世の顔が、一瞬で整う。2回瞬きすると、大きく頷き、治世は踵を返した。最後まで互いに手を振る。やがて治世の姿は角の向こうへ消えた。




