法治国家の裏側
治世は続けた。
「『皇帝皇帝』と仰る。では、どなたか崇和帝に最期まで仕えましたか? ご遺体が見つかったとき、傍にいたのは、家族以外では宦官1人でした」
崇和帝は、一国軍が帝都の城壁を突破したとき禁鐘を鳴らし、全ての大臣や官僚に緊急招集をかけた。しかし、誰一人として集まらなかった。それは周知の事実だった。
治世は、順番に帝都の官僚達に視線を巡らせ、一呼吸してから穏やかな声で尋ねる。
「皇帝は必要ですか?」
武英殿は静まり返った。
◇
「「「「「はぁぁぁ」」」」」
橙巾党幹部、財政部門の碧とおじさん3人、そして牛金星は、盛大なため息をついていた。
帝都では大臣や官僚をしっかりと面接した。しかし、既にペストと財政難で十分に機能不全に陥っていたため、人員を削ることができず、健康上問題なさそうな者は採用せざるを得なかったのだ。
「帝都の官僚すげー」
おじさんの1人が白目を剥く。
「地方へは数人派遣されるだけですが、帝都には数がいますから。しかも、1番偉かった人達ですし」
牛金星の声には疲れが滲み出ている。
「実質、皇帝陛下よりも偉かったんですよね?」
と、碧。
「偉いかどうかというより、政を動かす力は上でした。あの丁寧なのに威圧感のある話し方を聞いて、なんか、『帰ってきたなー』って実感しましたよ」
牛金星は額の汗を拭う。激務ではあるが、行軍の荒業から解放され、彼は既に太り始めていた。太ると汗をかきやすくなるのだ。
おじさん3人は口々に言う。
「崇和帝って、めっちゃ猜疑心が強くて、罷免や処刑ばっかしとったんやろ?」
「西安の外務長官が言っとったな」
「そんなとこで役職についとるなんて、よっぽどいい人で忠誠心があったか、よっぽど他の仲間を血祭りに上げとったんやな」
忠誠心がなかったことは言わずもがな。
「なーなー。面接のときに、いー感じの若いもんがおったやん。志のある。まず、アイツらや、他、何人か話が分かりそうなもんを集めてだな、ペストで働き手を亡くした家族の救済からしたいんだが」
おじさんの提案に、牛金星は難しい顔をした。
「ペストの件はともかく。官僚に関しては、有力者のご子息かどうかを確かめておかないと、後ろ盾のない人間は消されます」
「「「「は?」」」」
「殺されます」
「なんやて?」
「じゃなくても、牢にぶち込まれます。脅しで屋敷を燃やされるとか、家族を誘拐されるとか、真っ裸で道に放り出されるとか、いろいろパターンがあります」
「どーして」
「そーゆーところなんです。新たに何かする場合、この財政難に予算を引っ張ってこなければなりません。それは、どこか有力な既得権益を潰すことになります。なので」
「命がけかよ」
橙巾党幹部の4人は、旧官僚国家総本山の狂気に戦慄したのだった。
「志を捨て、長いものに巻かれるように過ごせば、平和ですが」
牛金星はかつての自分を思い出していた。南部へ飛ばされた挙句、無実の罪で投獄された。
長いものに巻かれれば生き残ることができるかもしれない。しかし、上に昇っていく人間は、巻かれているだけではなかった。その中でしっかりと実績を残すのである。だからこそ、牛金星は、緋色の官服を纏った西安の司法長官に憧れた。しかし、「皇帝を!」と訴えていた帝都の官僚は、牛金星の目に、権力にしがみつく俗物に映るのだった。
碧は提案する。
「まず、法治国家を目指すと大々的に謳って、『役人殺し』で財源を補うことをアピールしませんか? 官僚だけでなく、一国中の人達に」
「「「おおーっ」」」
「李氏様。法治国家! それこそが、私の描く理想です」
おじさん3人と牛金星は賛同した。
「けれど、それを施行する前に、不正でしか成り立っていない古い構造を是正しなければなりません」
碧の頭にあったのは、国防の最前線である山海関や北の国境の戦費が、脱税や密輸によって成り立っていることだった。他にも、役人の俸給の半分が価値のない紙幣で支払われ、不正を働かなければ生活できないなど、数え上げればきりがない。
「法治国家を目指します!」
議会で牛金星が凛然と宣言した。こういったとき、シゴデキオーラは役に立つ。
すぐさま、嘲笑混じりの野次が飛ぶ。
「おやおや。先日は、誰もが住む場所と食べることに困らないと仰っていましたが。これはまた。全く違いませんか?」
「「「ははははは」」」
牛金星は舌鋒が鋭かった。
「そのための法治国家です。まず、民を救うには財源が必要です。これを確保するために、賄賂や不正が常習化している部分から検討します。明らかに必要である場合は法を整備しますが。ざっと試算したところ、国家予算の40%は不正で消えております」
笑っていた官僚達の顔が引き攣る。
「亡き崇和帝は皆様方や富裕な方々に寄付を募っておられました。我々は、今のところ、それは賄賂や癒着に繋がりかねないと危惧しております。だからこその法治国家です。がんばって摘発したいと思いますので、皆様の積極的なご協力をよろしくお願いします。国家予算40%の不正の全てを摘発できなくとも、摘発によって一部、財産没収が行われますので、国庫はひっじょーに潤う見込みです」
既に、一国の中には告発者に報酬が払われた前例が多くあり、一財産を築いた者までいる。
◇
武英殿の裏手で、碧と治世は月を眺める。夜風がさらさらと木々を揺らしていく。
いつの間にか、初めてキスをした白い漢白玉の階段が2人の待ち合わせ場所になっていた。それでも2人の間には、1人分の空間がある。
早朝、橙巾党幹部達は、街頭演説を行った。役人殺しをあまねく広げるためである。テレビもネットもない時代では、新しい政のアピール方法は限られる。
その際、碧は、ストリートチルドレンに髪に挿していた簪を引っこ抜かれた。
「痛かった?」
治世は長い腕を伸ばして、碧がいつも簪を挿している部分に指を突っ込んでふざける。
「ちょっと、もう」
「はは」
治世はただ碧に触れたいだけだった。腕の中に入れてずっと触り続けることが叶わないから、ふざけるしかないのだ。
「治世が行ったとこはどうだった?」
別グループで、治世達も街頭演説を行った。しかし、治世が喋り始めると、どういうわけか女性が集まってきてしまい、野次どころか、きゃーきゃー騒ぐ声で話が聞こえなくなってしまい、他の者に交代するという事態だった。
「なんか、オレ、喋るの苦手」
治世がの唇を突き出す仕草を見て、碧は微笑みながら、「あんま、喋んないよね」と返す。まさか、治世が女の子に騒がれているなど、碧は夢にも思っていない。
「ね」「オレ」
2人で同時に喋り出す。顔を見合わせて笑い、「せーの」で一緒に声を出す。
「「蘭蘭に会いたい」」
同じことを考えていたのだった。治世は、2人の間、階段の上にあった碧の手に自分の手を重ねる。
「西安に帰ろ? オレ、蘭蘭に会いたい」
「蘭蘭、今ごろ何してんだろ。遠吠えしてたりして」
「はー。そんな寂しい思いしてんのかと思うと……」
「西安、帰りたいね。いつの間に帝都まで来ちゃったんだろ」
「だよな。オレ、実は若干場違いな感じしてる」
「分かるー」
「早く、こっちはこっちで誰かに任せてさ、オレら帰ろ。でさ、碧と蘭蘭と誰もいない場所で暮らす」
「いーねー」
「戸籍もなくてさ」
「いーねー。税もなしじゃん」
「苗字も関係ない」
治世は、碧のことを考えるだけで嬉しくなった。会えばもっと嬉しい。しかし同時に、苦しさが込み上げてくる。喉の奥が痛くなって、何かの拍子に涙が出てしまいそうになる。それは同姓不婚によって結ばれないという障害のせいだけではないと、彼には分かっていた。恋。たとえ世間から許されたとしても、自分が抱えている厄介な気持ちは消えないだろうと知っていた。
碧も心が痛かった。昼間の、簪を盗むという悪意や、それを生み出しているストリートチルドレンの生活環境に痛みを感じていたのだった。しっかり対策をしなければ、彼らが次の反乱軍になる。
「治世」
「ん?」
雲がゆっくりと月を覆い隠す。
「私、人の心が、1番怖い」
「そうかもな」




