7年ぶりに揃った3人
ところで、碧には、陳円円を探すと同時に課題があった。歴史に残る「後宮の美女の山分け」の阻止である。
現時点で、それは起こっていない。そもそも、宮廷の片隅、武英殿しか使用していないのだから。
他藩の藩王を倒したときと同様に、後宮の解体は既に決まっている。が、規模がとんでもないのだ。約4000人。これだけの人数が失職し路頭に迷うことになる。混乱を避けるためにも、静かに人数が自然減していくのを待っている状態だった。
既に、身の振り方を決め、逃亡も含めて宮廷を去った者は多い。1/10ほどの人数まで減っている。
──もう、美女、減ったよね。
碧はほくそ笑むのだった。
官僚達の面接を武英殿で行っているため、面接に来る官僚達は、一国軍が秩序正しく日々を過ごしていることを目の当たりにしている。宮廷の他への門がぴたりと閉ざされていることも一目瞭然だった。
4月10日。碧は焦っていた。呉将軍の帝都の屋敷が見つからないのだ。そんな折、略奪の噂が武英殿に舞い込んだ。
「橙色の巾を被った男らが、蔵から米を持って行った」
町役場に商人が訴えたのだった。碧は、ことを重く捉え、町役場まで出向いた。
「略奪しないんじゃなかったのか! この逆賊が」
商人は怒り心頭。しかし、最近、橙色の巾を被っている一国の者は少ない。流行ったのは4年前。廃れたのである。そして、せっかく都会に来たのに、片田舎、西安から来たと分かるファッションはダサい、と密かに男達は思っていた。現在、橙色の巾を被っている者はいない。治世が首に巻いているくらいである。それは色褪せ、橙色というよりは、もはや黄土色であった。
実は、混乱に乗じて橙色の巾を被り、一国軍の目をかいくぐって略奪を行う者がいたのである。彼らは反乱軍ではなく、盗賊にすぎなかった。
役人は言った。
「戦に略奪はつきもんだ。一国軍は大勢いる。逃亡兵がいても不思議はない。先日も橙巾党の男らに押し入られた屋敷がある。別の役場にも届け出があったから、4~5件目かな?」
一瞬で碧の顔から血の気が引いた。最も恐れていたことが起こっているのだ。
「そういうことがないよう、帝都内を警備して回っているはずです!」
碧は商人に伝えた。
「ワシんとこは、帝都の外だ。いちいち帝都の検問で賄賂を渡さなくてもいいように」
そう答えが返ってきた。更に役人が伝える。
「ああ、起こっているのは城壁の外だ。中にいるのは一国軍の上の方だろ? 外には有象無象の雑兵が混じってるだろ?」
碧はすぐさま否定する。
「そんなことはありません。橙巾党は略奪禁止です。そこだけは徹底しています。それに、聞いてください! 今はもう、誰も橙色の巾を被っていません。被っていたのは4年前に決起したころです。今は兜の着脱に邪魔なんです。だから、略奪行為を働いているのは偽物です」
商人は頷いた。
「それもそうだな。わざわざ分かるようにして橙色の巾を被るはずがないか」
見回りは帝都の城壁の中でしか行っていなかった。しかし、帝都の地価は高いため、城壁の外にも民家が軒を連ねているエリアは多い。それを踏まえ碧は決断した。
「分かりました。略奪は恥ずべき行為です。直ちに厳重注意を促すと共に、帝都の城壁の外の見回りも行います」
帝都を囲む城壁は日の出と共に開き、日の入りと共に閉じる。城壁外の見回りを別に行う必要がある。碧は、この日、宮廷の武英殿に戻らず、野営の者達と共に見回りをすることにした。
「なにも娘娘がやらんでも」
一国軍のメンバーは言ったが、碧は何があっても略奪を止めなければならなかった。略奪、陳円円、呉三魁、北方民族、治世の死、と破滅的な歴史の連鎖へと繋がっていくと考えていたのだから。
「できることは少なくても、頑張ります!」
碧は、橙巾党の幹部である自分がいることは、少しは効果があると思っている。夜間の見回りなどという面倒な仕事を増やした元凶なのだ。姿も見せずにのうのうと眠っているなどと兵士達に印象付けたくない。
「狙う屋敷は、限られとるだろな」
「んだんだ」
「でかいとこしか狙わんやろ」
「商人とこは、いかにも立派な蔵やった」
それもそうだと納得した碧は、城壁の中の役場へ引き返し、狙われそうな屋敷を訊いた。役人は、地図に印をつけ、快く教えてくれた。
「えーっと、ここに官僚の妾の屋敷があって、こっちに商人の別邸、あーっとこの辺に呉将軍んとこの屋敷があって……」
碧は驚いた。
「呉将軍ですか?」
「ん? ああ」
「山海関の」
「そうだ。ここに隠居した元呉将軍が住んでる」
「そこに、そこに、陳円円という女性はいますか?」
「は? 使用人の名前まで知らんよ」
碧はいてもたってもいられない気持ちだった。すぐにでも駆けつけて陳円円を保護したかった。しかし、任務がある。すぐさま、屋敷や蔵が描き込まれた地図を持ち、城壁外の陣営に戻り、夜間の見回りのルートを決める。詳細と実行は他の者に任せ、馬に跨った。
「娘娘、忘れ物」
1人の兵士が碧に鞘に収まった刀を差し出す。
「持ってきな。もう直ぐ日が暮れる。女一人じゃ危ない」
「ありがとうございます」
碧は手渡された刀をありがたく受け取った。一国軍が兵士へ支給する刀だった。それを腰に帯びると、呉将軍の屋敷へ馬を走らせた。
馬を飛ばしながら、無数の思惑と計算が、碧の脳裏で激しく行われていた。ただ陳円円を保護するのでは、一国軍の者に掠取されたことになってしまう。しかし、どう説明すればいいのだろう。「貴方が無事でいることで歴史が変わります」などと言えば、頭がおかしいと思われる。
──とにかく会おう。
──掛け合ってダメなら、屋敷の前で見張ろう。
それくらいしか策などなかった。
この日は4月10日。歴史で呉三魁が陳円円掠取の知らせを受け取るのは4月12日。山海関まで帝都から300km。その途中で受け取ったとされる場所は、帝都から240km地点。早馬なら1日半から2日程度の距離である。
碧がなぜ焦っているのか。逆算すると、4月9日か4月10日に陳円円掠取の知らせの早馬が帝都を発つのだ。
◇
──苑苑。おじい様。
茉莉は心で無事を祈りながら、山海関から帝都へと馬を爆走させていた。
ようやく街の城壁や建物がうっすらと見えたとき、すでに出発してから2日目の夕方だった。合戦の音はない。茉莉は呉家の屋敷に近づいた。不穏な空気を感じた。この時刻であれば、本来なら、夕食の準備をしている。しかし屋敷から煙が上がっていない。
茉莉は離れた場所に馬を繋げ、刀の柄に手をやって屋敷の裏手へと回った。塀をよじ登って敷地に入り、厨に向かう。厨には使用人も侍女もいない。息を潜め、外から様子を伺う。
『おじい様!』
茉莉は声を飲み込んだ。呉将軍の父親が部屋の中、イスに縄で縛りつけられ、刀を突きつけられている。その部屋では金目の物がテーブルの上に次々と載せられているのだ。男5人。橙色の巾を被っている。
茉莉の脳裏に浮かんだのは苑の安否だった。
──苑苑はどこ。
茉莉は苑がいる棟を外から覗いた。侍女が縛られ、苑が纒足でよろよろと逃げている。それを橙色の巾を被った男が1人、笑いながら、弄ぶようにゆっくりと追って楽しんでいる。
『くっ』
茉莉は悔しさに声を呑む。苑と祖父を助けたい。しかし、どちらかを助ければ、どちらかが人質に取られてしまうのだ。
苑は部屋から逃げようと扉に向かって転び、床に手をついた。その上に、男の1人がのしかかる。茉莉の体が反射的に動く。窓から入ろうとしたそのときだった。
ばん! ザシュッ
正面の扉が開き、何者かが男の背中を切り付ける。夕闇の中、橙色の巾を被った華奢な影。茉莉はすぐ、祖父の方へ走った。
部屋へ走り込んだ勢いのまま、1人斬る。驚き両手で刀を振り上げて向かってきた男の胸を突き、2人。屈みながら抜刀して3人目の足を薙ぎ、4人目、祖父に刀を突きつけていた腕を断つ。最後の1人は壁に背中をついたまま、ずるずると崩れるようにしゃがみ込んで刀を放り投げた。
茉莉は祖父の縄を解き、5人を縛り、再び苑に走った。
「苑苑!」
茉莉は息を切らして部屋に飛び込む。と、そこには、再会を喜び合う、苑と碧がいた。
「え、どーして碧がいるの?!」




