山海関の憂鬱
呉一族が拠点を置く大盟帝国北の果て、山海関。北方民族の侵攻が秒読み段階に入り、一触即発の様相を呈していた。
凍てつく風が吹き荒ぶ中、一騎の早馬が駆け込んでくる。
届いた書状から顔を上げ、呉将軍は鈍い眼光を放った。
「帝都が反乱軍の手に渡った。皇帝陛下が崩御なされた」
呉将軍は大盟帝国のために命を賭して戦ってきた。大盟帝国最強と言われる関寧鉄騎1万以上の軍を率いてきた。呉将軍と息子の三魁は話し合わなければならない。今後、どうするべきなのか。
すでに、北の国防線を守っていた将軍達の多くが、北方民族に降っていた。今や、その流れは止まらない。10年以上も前から、国を守るべき軍の心は皇帝への忠誠心を失っている。
選択肢は3つ。主君の仇を討つか。一国に降るか。北方民族に投降するか。
「なんということだ」
呉将軍は沈痛な面持ちで目を閉じ、届けられた書状を三魁に手渡した。
そこに記されていたのは、大盟帝国の最期の記録だった。西安で立国した一国が大軍勢でおしよせた際、帝都の兵士達はほぼ戦うことなく城門を開け放った。
「では、一国になるということですか?」
「だろうな」
一国は、搾取に耐えかねた農民が蜂起した反乱軍が創った国である。農民に優しい政策を掲げる庶民の味方。この国の人口の70%は農民である。一握りの権力者を除けば、役人も兵士も庶民。すでに大盟帝国は内側から瓦解していたのだ。
「内側から城門を開けたのですね」
書状を読み終えた三魁は、これがもはや武力で抗うべき相手ではないことを悟った。
「父上。我々も攻められるのでしょうか」
「分からん。途中の、北の国境、寧武関の戦の話を聞いておろう」
「はい。死闘だったと」
「そのとき、一国軍の軍勢は9万から6万に減ったという。寧武関7000は全滅。そのような血を流すわけにはいかん。今、一国軍は16万ほどに膨れ上がっている」
「16万。」
呉将軍は、引き続き、帝都の様子を探らせることにした。
ほどなくして、一国より文があった。一国に降るならば、これまで通り、山海関の地で北方民族を守ってほしいという内容だった。呉将軍は、謹んでこれを受けるという旨の書状を返した。
「父上、一国は、我々が仕えるに値する主人なのでしょうか」
呉三魁は、一国に対して懐疑的だった。呉将軍の執務室、蝋燭の灯りが、かつての大盟帝国全土の地図を照らす。
「どうなのだろう。では訊く。崇和帝は、仕えるに値したのか? 袁将軍を処刑したのだぞ。官僚が画策したとしても、皇帝陛下の御一存があれば、正しい裁きがなされたのだ」
呉将軍は、眉間に深い皺を作る。
三魁は答えた。
「しかし、250年以上も続く大盟帝国の皇帝でした。逆らうことはできませんでした」
テーブルに広げられた地図の上、呉将軍は、一国が始まった西安に人差し指と中指を揃えて置く。その2本の指は、次に一国が平定した、その南南東の藩へ動く。
「多くの者が国境を越えて北へ降った。我が弟も」
「そうでしたね。叔父上が」
「逆らう、か。一国の者達は逆らったのだ。最も虐げられた者達が。駅卒。しかも、国家から解雇された」
「逆賊です」
「ただの逆賊が、国家まで創り得るだろうか。大盟帝国の創始者もまた、逆賊だった」
その言葉に、三魁は返す言葉を失った。
呉将軍は、一国が次に平定した南東の藩に2本の指を進める。そして、更にその次の一国と大南国に挟まれた藩。
「今、北方民族は火薬不足で弱体化している。先代のときに製造した多くの武器は経年劣化し、硝石がなく火薬を精製できない。ペストまで流行り始めているという噂だ。これは、一国に風が吹いているのではないか?」
ぱん
呉将軍の手は、長江以南の一国に加わった藩を抑える。それはあまりに広く、掌の大きさでは足りなかった。
「父上、一国は藩王や富裕層から財を吸い上げ、民衆に還元すると聞いています。我々は屋敷を取り上げられたりしないのでしょうか」
「不正をしていればの話だ」
「ですから」
「……そうだな」
私軍である関寧鉄騎を維持できるのは、不正があってこそだった。
再び、帝都にいる一国から書状が届いた。それは、帝都にて、正式に呉将軍を山海関の守備に任命するという連絡だった。
「新しい主君に仕えるべく、帝都へ参ろう」
「はっ」
しかし、丸腰で行けば命取りになる恐れがある。呉将軍は万全を期すため、関寧鉄騎の精鋭4000を引き連れて山海関を発った。
2日後、山海関の城壁に砲声が轟いた。宿敵の北方民族にも、帝都が一国のものになった知らせが届いたのだった。この騒ぎに乗じて攻撃を仕掛けてきたのである。呉将軍と三魁は帝都に向かった後だった。
三魁の妻である茉莉は、2日前に山海関を出発した呉将軍一行を追いかける。替え馬を2馬引き連れて爆進した。
一行に追いついた彼女は、山海関が攻められていることを伝えた。事態の急変を知った呉将軍と三魁は山海関へ引き返す決断を下す。
「帝都の情報が乱れておる」
呉将軍は眉間に深い皺を刻んだ。早馬の文では、平穏に王朝交代が行われたとあった。しかし、道中で次の早馬から受け取った知らせでは、一国の兵達が富裕層の屋敷を襲って略奪行為をしているという、真逆の内容だった。
「私は帝都の屋敷を見に行きます」
茉莉は、山海関へ戻らず、帝都へ向かうこととなった。
──おかしい。
馬を走らせながら、茉莉は強い違和感を持った。一国ができたのは4年前。ただの反乱軍であったときから「略奪は死をもって処す」という厳しい掟があることで有名なのだ。
──碧がそんなこと、許すはずない。
茉莉は知っている。一国の創始者の1人、碧を。茉莉は苑を碧と2人で救った。14歳まで、3人は毎日のように学舎で会い、他愛のないお喋りをした。砂糖菓子のように甘く、可愛く、きらきらした日々だった。
夜も昼も、茉莉は街道をひた走った。
◇
一国が帝都で最初に行ったのは、手伝ってくれる者を探すことである。
知り合いの財務のプロ、有能な役人達は西安にいる。帝都まで来たメンバーは、碧と牛金星以外武闘派。財政部門のおじさん3人を面接官とし、一国の業務に協力してくれる者を登用することになった。橙巾党直属の査察部を新設するのである。
「「「査察部?!」」」
「はい」
これは牛金星の案である。別名「役人殺し」、不正の告発者に恩賞が出るという制度を適用するためである。官僚や役人は賢い。資産を隠すだろう。それを、データから暴き出す部門である。
査察部が稼働するのは、役人の不正が告発されてからとなる。それまでの間は一国の事務方として、雑務を行う。
面接には牛金星も立ち会った。旧知から、派閥や力関係の情報を仕入れたのは彼である。が、知り合いは心付けを渡そうとした。牛金星はこれをきっぱりすっぱり断った。
「こういった慣習をなくしたいのだ。理解してください」
「いやいや。慣れない遠征で疲れているだろう。これで精のつくものでも食べなさい」
「これを受け取ると同時に、貴方と私は失職します。一国はそういう国なのです。このことを広めてください」
慣習とは恐ろしいものである。「とは言っても、手ぶらでは」とか「建前だろう。一応、酒を渡そう」などという者ばかりで面接に下らない時間がかかってしまう。
「|不收贿赂《ブー ショウ フイルー》、不搞腐败」
賄賂を受け取らず、不正を行わない。と大きく紙に書いて面接の部屋に貼った。
碧は小娘なので面接に立ち会わず、ひたすら雑務に追われた。
並行して、彼女は官軍の名簿を探した。呉三魁の帝都の屋敷を探すためである。しかし、なにせ敵が押し寄せた後の官軍である。事務処理を行う多くの文官は逃げ、作業は難航した。
歴史は、碧の記憶とは確実に変わった。しかし、これから起こる破滅を回避できない可能性がある。
現在、軍としての略奪は起こっておらず、統制は取れている。これも、山西商人が現地での兵糧を手配しているからであった。




