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橙色の旗、風の夢〜親友の脚を守ったら、歴史が塗り変わりそうになってます〜  作者: summer_afternoon


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トイレがない


 帝都を攻めるか否かの話し合いは一国の中央辺り、西安から500kmほどの場所で行われた。


 橙巾党の幹部は、体力的に移動が無理なじーさん以外、全員が出席である。牛金星の姿もあった。


 碧は、帝都攻めに反対だった。しかし議論の熱は、「中華に一国を!」という空気に支配されている。その中で碧は訴えた。


「大盟帝国を倒したら、北の国境を守るために税が今の倍に跳ね上がります。民はそれに耐えられますか? それを承知の上ですか。そして、整備された官僚国家を刷新しなければなりません。一時的に武力で勝っても、賄賂と汚職が蔓延る重税国家に戻ってしまいます。不敬を恐れずに言うならば、大盟帝国を牛耳っているのは皇帝ではなく官僚です」


 すると、長江より南の藩の代表が立ち上がる。


「しかし、放っておいたら、ペストが下火になって復活したとき、我々が制圧されるのだ。恐らく、1番に西安。そしたら、一気に長江以北が倒れる。兵器も火薬も西安にある。長江以北の次は長江以南。税よりも命だ。制圧されたら、一国の幹部や軍、我々は間違いなく処刑される」

「「「そーだそーだ」」」

「やられる前に潰せ」


 そこで牛金星が立ち上がる。それだけで、場が水を打ったように静まり返った。シゴデキオーラは絶大である。


「帝都制圧を煽っておられるが」と牛金星は先ほど発言した長江以南の藩の代表をじっと見た。


「まず、長江より南から進軍するのは現実的ではありません。1700km先で戦うなど、移動も兵糧も不可能です。長江以南は、仮に帝都制圧をすると決まったら、具体的にどのような後方支援ができるかを考えていただきたい。そして、いくら帝都が瀕死の状態であっても、帝都の外には無傷の関寧鉄騎がいます。進軍中に情報が届いたら、帝都の手前で待ち伏せされるでしょう。彼らの核は騎馬隊です。これまで一国が勝利を収めてきたのは、その地の反乱軍と結託したから。今回、それはありません。それらと李氏様が仰ったことを含め、冷静にご判断ください」


 長江以南の代表者達は、即、兵糧の米と軍資金の提供を申し出た。恐らくは、その提示の早さが引き金だった。誰かが立ち上がる。


「よし、長江の北の藩が3~4万ずつ兵を出す。それで10万を超える!」

「通るのは敵地だ。そこで降伏させた軍を従えればいい」


 碧の頭の中では激しく警鐘が鳴っていた。統制が取れなくなる歴史を踏襲する方向なのだ。降伏させた軍は、一国軍と同じ軍規ではない


 最後、皆の視線が沈黙していた治世に集まった。


「今なら、最も少ない犠牲で、帝都を陥落できます。一国がここまで広がったのは、みなさんの力です。でも、忘れないでください。一国は橙巾党が始まりで、橙巾党の掟は『略奪は死をもって処す』。見かけたら、たとえどんなに有能な人間であっても斬り捨ててください。汚れた橙色の旗を掲げたくありません」


 治世は最後にもう一度繰り返した。


「『略奪は死をもって処す』」


 一国軍は李治世軍なのだと、碧は感じたのだった。


「「「「うぉぉおおお!!」」」」


 会議室に凄まじい歓声が響き渡る。皆の目に闘志が宿る。


 枷号で広場に晒された少年はいなかった。山小屋に潜伏し、切り株に座ってテーブルからやっと首だけ出していた治世の姿を、碧は思い出していた。いつも隣に狼の蘭がいた。治世が発言すると「わん」と返事をしていた。


 そして、自分が言った言葉を思い出す。


『藩王を降伏させましょう』


 碧の言葉こそが、ただの脱獄囚と共犯者を、国家の逆賊に導いた。誰もそんなことを考えていなかったのだ。碧は歴史を知っていて、西安陥落の成功を確信していたに過ぎなかった。


 ──私があんなこと言わなければ。



 西安への道すがら、碧は馬上で黒いたてがみが揺れるのを見ていた。歩くたび、風が吹くたびふわっふわっと揺れる。西安より湿り気を帯びた風が秋空に碧の髪を舞上げる。


 破滅へ向かう予兆に、碧は、手綱を握ったまま人知れず涙を流した。


 ◇


 西安に戻ると、役人達への報告を含め、軍議が開かれた。

 

 一国の幹部達が帝都襲撃の成功を描いた。


「かー。オレら、10万の兵、動かせるようになったんか。勝つっしょ」

「どどどーっと城門から橙色の旗ぁ入ってったら、かっけー」

「やべー、帝都中、オレらだらけじゃん」

「宮廷、すっげーんかな」


 盛り上がる男達を前に、碧は思わずテーブルを叩いて立ち上がった。


「絶対、ダメ! だって、トイレないんですよ」


 現代の言葉を使ってしまい、碧は注目を浴びる。


「「「「トイレ?」」」」


 帝都の宮廷には固定式のトイレが存在しない。歴史によれば、李治世軍は宮廷を占拠した後、金目のものを略奪し、後宮の美女を山分けし、宴三昧。糞尿が城内にあふれ、悪臭は天に届くほどだったという。


 碧はその史実を知っていた。


 今、皆はトイレの説明を求めているが、この国はまだおまる文化である。


「失礼しました。異国語です。えーっと。その後も何日も滞在することを考えて、排泄物の処理が可能な人数であるべきだと思います」


 一瞬、誰もが呆気にとられた。


「娘娘(にゃんにゃん)、そんなこと考えとるんか」

「はっはっは。勝つ前にうんこかよ」

「やっぱ変わってるな」

「「「「ははははは」」」」


 碧にとっては笑い事ではないのだ。不名誉な歴史を残すわけにはいかない。


「内通者が見つかったと聞きました。宦官だと。宮廷の排泄物の処理能力を訊いてください!」


 彼女が真剣に訴える姿に、橙巾党の幹部達は益々笑った。


 碧には、阻止しなければならない歴史の1ページがあった。それは「後宮の美女の山分け」である。現在の治世の人物像からして、そのような下劣な蛮行をする人間に見えないが、戦の勝利の高揚感で理性が吹っ飛ぶ可能性はあり得る。治世に女性の影はないが、20歳の♂。自分が知らないところで、女性とあんなことやこんなことをしているかもしれない……そんな馬鹿げた想像が、ふと碧の脳裏をよぎる。


 ──まさか。治世に限って。後宮の美女なんて興味ないよね!


 結ばれない片想いの身でありながら、無益なことに思いを巡らす碧であった。

 


 軍議が終わり、閑散とした部屋に残った雑談の輪の中、碧はふと気になっていた疑問を口にした。


「一国が組織的に徴兵して10万の兵なのに、どうして張バッタの反乱軍は20万なんて凄い数だったんですか? ガセネタだったんですか?」

「20万もおらんだぞ」


 とすぐさま答えが返ってきたが、軍勢に精通した者が説明してくれた。


「それはですね.……」


 張バッタ反乱軍は流賊である。兵士は家族を連れて移動する。略奪した物で、家族が生活しているのだ。更に、降伏した官軍を仲間に追加する。彼らは裏切る可能性があるので、最初は前線の肉壁となる。


 真に戦う核となる兵士の数が例えば3万人だとして、家族が加わるので3倍ほどに膨れ上がる。そこに降伏した軍が加算されていく。そして、軍の数というものは、配給される兵糧や物資を多く得るために水増しされている。


「……というわけで、20万人いたんですよ。まあ、今は大張国に流れて行きましたけど」


 誰かがぽつりと大張国を憂える。


「あそこも、今、ペストで地獄なんだろ? はー。ちょっとは収まってるといいんだが」


 治世は張の姿を頭に浮かべていた。山奥、大張国と一国の境界。こけた頬の上にぎらぎらとした目、死体を小脇に抱えて運ぶカマキリのように痩身のシルエットを。ペストが他国へと広がるのを防ぐため、彼は国王という身でありながら自ら手を下し、国から逃げ出そうとする者を殺した。


 治世は静かに提案した。


「大張国のベストが収まったら、なんか協力したい。一国に被害が来んようにしてくれたから」


 少ししんみりと、誰かが言う。


「悪い噂しかないがな、そのままやったら飢え死にする何万人ものヤツらを食わせとったのは事実や。大盟帝国が真っ先に見殺しに、いや、見向きもせんと死んでくヤツらを」




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