藩ちゃんと金ちゃん
「牛金星おじさま」を「藩ちゃんと金ちゃん」に変更しました。
目まぐるしく版図が変わり、一国が肥大していく。
碧は、歴史の中で李治世軍が際限なく肥大化し、統制を失っていった末路を思い出す。今の一国も李治世軍のと同じ道を辿っているのではないかと感じていた。
「牛氏様」
碧は牛金星に力を借りるべく、声を掛けた。
「政には組織が必要です。ここまで一国が大きくなると、組織化しなければ業務が回りません。統制がとれません。以前、牛氏様が仰っていたことを切実に考えます」
これを受け、牛金星を中心に、橙巾党幹部、役人達の間で組織構造を考えた。叩き台を出したのは、牛金星であり、ほぼそれで決まった。シゴデキオーラは仕事を呼び、牛金星は人望を集め、俸給もかなり増えていた。
──長屋から引っ越そっかな。しかし。忙しくて引っ越す暇ない。
牛金星は部屋に帰りたくなかった。なぜなら、部屋が荒れているからである。以前は妻、側室、使用人がいた。当然、身の回りのことは全て他の人がしてくれた。今は独り身。洗濯に手が回らず、部屋には箒も雑巾もない。竈門は火を起こすのが面倒なので外食オンリー。
華々しい仕事面とは裏腹に、彼の私生活は殺伐としていた。
食事をして帰ろうと考えた牛金星の目に、一人の男が留まった。仕立てのいい服を身に纏い、手酌で酒を傾ける佇まいには気品が漂っている。たまたま空いた席がなく、牛金星はその男と向かい合わせの席になった。
「よう、藩ちゃんと相席んなっちまうが、あんたなら大丈夫だろ」
と陽気な店員に指さされた席に腰を下ろす。
「失礼します」
一言断りを入れ、牛金星は思った。
──さっき店員が、ハンちゃんと呼んでいたな。この男の名だろうか。
「どーぞ。座られよ。こちらの店は、枝豆が美味であるぞ」
ハンちゃんが牛金星に声をかけた。妙に仰々しい言葉が気になった牛金星である。が、食事と共に枝豆を注文。
「あいよ。枝豆ね。藩ちゃんに勧められたんだろ? 好きだな、藩ちゃん」
「真に美味なのだ」
「はっはっは。宮廷じゃ食わしてもらえないんだろな。いっぱい食ってけよ」
──宮廷?
牛金星は、店員の軽口に混じった「宮廷」の一語が気になり、ハンちゃんなる男に尋ねた。
「失礼ですが、宮廷に住んでいらっしゃるのですか?」
しかし、橙巾党の幹部、12人でないことは確かである。牛金星は12名の顔を知っている。彼らは目の前の男のように浮世離れした高貴な佇まいではない。
「住まわせてもらっている。ありがたいことだ」
そこへ店員が枝豆を運んできた。
「よ、藩ちゃんにも追加サービス。旦那、この人、元藩王。この店を贔屓にしてくれてるんだよ」
「は?」
「『藩ちゃん』であるぞ」
思わず、牛金星はイスから降り、地面に両膝を着ける。と、元藩王が制した。
「これこれ、世はもう、藩王ではない。宮廷に住んでいるが、奴婢のようなもの」
「とんでもございませんっ」
牛金星はそれでも平伏そうとする。それを店員が止めた。
「おい旦那。店の雰囲気が悪くなるからやめてくれ。藩ちゃんだって困るだろ? な、せっかく自由の身になったのに」
「左様」
店員にまでそう畳み掛けられては、それ以上畏まることも叶わなかった。
結局、牛金星も元藩王を「藩ちゃん」と呼び、元藩王は彼を「金ちゃん」と呼んだ。
「ほう。金ちゃんは、わざわざ西安に参ったのですな」
という感じになった。
「そうなのです。しかし藩ちゃん、お供の宦官もお連れになっていらっしゃらないのですか?」
「宦官。」
元藩王は、急に表情を暗くする。
「どうかなさったのですか?」
「今でも世話をしてくれる宦官はいるのだ。街へは気ままに出歩いているだけだ。しかし、宦官とは」
元藩王は語った。かつて西安の宮廷には多くの宦官が仕えていた。彼らは有能で、宮廷予算を鑑み、人員整理を行った。最初に対象になったのは妃嬪達だった。彼女達の多くは良家出身。希望者は実家に戻された。お付きの宮女達も然りである。結果、元藩王の元に残ったのは、お手つきとなった元下女と、実家が取り潰されて行く当てがない妃と、あまり何も考えてなさそうな妃、3人だけだった。
「ショックだったのは、1番の寵姫が宦官と駆け落ちしたことだ。宦官だぞ。宦官」
「それは、男女の仲ではないのでは?」
「いや、しっかりと『あの人を愛している』と言っておった」
「そのように超越した愛などあるのでしょうか」
「長身で美しい顔、指の長い男だった」
元藩王は、目にじんわり涙を浮かべて語る。
「橙巾党が攻めて来たときも心臓が潰れるような状態であったが、はー。あれには、世はみっともなくも、寵姫の足に縋り付いて泣いて引き留めたのだ」
「お痛わしい。藩ちゃんっ」
牛金星の目にも涙がきらりと光っていた。
「妃の1人でいいから、誰か世を慕って、この地に残って欲しかった」
「なんと辛い。分かります。分かりますぞ。私も妻や側室に捨てられた身」
2人はぼとぼとと涙を流しながら酒を飲む。枝豆の塩味が濃くなって行く。
「金ちゃんも奥方に?」
「はい。無実の罪で投獄されたのでございます。会いに来てくれたのは息子だけ。その息子から、妻も側室も逃げたと聞かされ、牢の中で一人、ただただ自分を責めました」
「なぜだ。金ちゃんが己を責めることなどないではないか」
「いえ、無実の罪で投獄されるなど、私の処世が拙かったからでございます。政治の道は修羅の道」
「そんなことはない。運命なのだ。抗いようのない」
「そうなのでしょうか」
「世は、西安が制圧されたことは、運命だと思っておる。首を刎ねられなかったのも運命。こうして気ままに出歩けるようになったのも運命」
牛金星は、運命という言葉がストンと胸に落ちた。そもそも藩王という立場は政に関わることが許されない。しかし、民衆が政に不満を持って蜂起したのだ。何よりも、それをさせたのは旱魃であった。
「運命。」
「金ちゃんは運命に導かれ、西安へ来たのだ。世の妃達も、運命によって西安を去った」
「私の妻と側室達も、運命だったのですね」
「そうなのだ。素晴らしき息子がおるではないか」
牛金星にはできた息子がいる。父親が罪人となり、後ろ指差される身となりながらも「牛」の姓を名乗り続け、牢に足繁く通ったのだ。父親が投獄されたとき、彼はまだ15歳だった。母親や側室達が家を売って財産を処分するとき、父親の私物を引き取り、父親のへそくりを隠しておくことまでした、非常に賢い息子であった。息子がいなければ、牛金星は身包み剥がれていたのである。
「息子よ!」
牛金星はテーブルに突っ伏しておいおいと泣いた。
「金ちゃん、点心と担々麺が来たよ」
元藩王は優しく牛金星の肩に手を置く。
「藩ちゃん。あ、ありがとうございます」
涙と鼻水と涎を滝のように流しながら、牛金星は顔を上げる。
「世知辛いのう。それでも、愛しいのう。世は、寵姫達がいなくなったとき、初めて慕われていなかったと知った。けれど、初めて、妃嬪達を愛おしいと実感したのだ。愚かであるが、それを分かった自分を好きになったぞ」
こうして、藩ちゃんと金ちゃんの夜は更けてゆくのであった。
◇
防衛費。これが碧の頭を悩ませていた。
ペストで壊滅状態の帝都は、歴史通りであれば、翌年滅亡する予定だった。問題は、その後である。
歴史では大盟帝国滅亡の44日後、北方民族の大水青帝国となる。北方民族が治める国なので、最初から北方民族対策など必要ないのだ。
現状の大盟帝国は、税収の90%を北方民族の対策に費やしている。それには中抜きや不正が30~50%含まれているのだが。
一国が大盟帝国を討ち取ったら、大盟帝国の領土が一国のものになる。金食い虫の北の国境が漏れなくついてくるのである。
──国境、いらんし。
8月9日、北方民族の王が崩御した。
碧は祈った。
──後継者同士で骨肉の争いをしますように。
碧は以前、親友、茉莉の結婚報告のとき、全力で破局を願った過去がある。当然理由があったのだが。そして今、他国の不幸を全力で祈った。
北方民族は武力チートである。歴史では、次、チート権化の頭キレキレ武力バリバリの男が摂政になって幼い王を操る。そして呉三魁と共に李治世軍を潰す未来が待っているのである。




