イケオジだった牛金星
牛金星はイケオジだった。
高身長に広い肩幅、はっきりとした目鼻立ちと通った鼻筋は西洋の異人を思わせる。彼がアラフォーで牢から出されたとき、世の中は3年前とすっかり変わっていた。もともと彼は、大南国となった南部の藩に赴任していた官僚だった。役人の陰謀によって投獄され、3年後、大南国に変わり、不正していた上層部が一掃されたとき、牛金星の無実が判明。晴れて釈放されたのである。
激変した世界への感激のまま、彼は一目散に西安にいるという李碧を目指して旅に出た。
西安までの道中、久しぶりの娑婆に浮かれ、飲み食い女で大枚を使い、目的地に辿り着いたときには、恰幅の良いイケオジもどきになってしまっていた。
「民のための政を行うと評判の李碧殿にお会いしたく、大南国からやってまいりました」
財政部門の橙巾党の部屋まで行く廊下で、周りはざわついた。上背があり、恰幅がよく、小綺麗でさっそうと歩く男は、めちゃくちゃシゴデキに見えたのである。しかもアラフォー。役人の誰もが「オレらより偉そう」と見ていた。
橙巾党の部屋へ入ると、そこには、長老のじーさんが来ていた。足にできたおできを、碧に診てもらっていたのだ。イスに座るじーさんの足元に碧がいた。
案内した役人は、「あちらが李碧だ」とじーさんの方に掌を上に向けて示した。
牛金星は、堂々とイスの背にもたれるじーさんの前で拱手を取った。
「大南国からやってまいりました、牛金星の申します。3年に渡り、無実の罪で大南国の牢におりました。牢から出られたのは、この国がご協力くださり、大南国が立国したおかげです。私もぜひ、民のための政に加わりたいと思い、訪れた次第です。私は挙人。お役に立てると存じます」
碧は、じーさんの足を持ったまま答えた。
「牛金星様、治療が終わるまで、少々お待ちください」
「はい」
それでも彼は、目の前の床で老人に傅いている女性が、噂の李碧本人だとは思っていなかった。
──足が臭いという噂があったが、さほど臭わない。どちらかというと、外の3人の方が臭っている気がする。
牛金星はそう思っていた。老人は新陳代謝が乏しいゆえ、汗の量が少ないのが現実である。
治療が終わり、碧が立ち上がり、じーさんが退室する。牛金星が目を瞬かせていると、さっきまで老人に傅いていた小顔で手足の長いひょろっとした女性が拱手を取った。
「李碧です。よろしくお願いします」
──脂っこいもの、いっぱい食べてそう。
それが碧にとっての牛金星の第一印象だった。
部屋にいた橙巾党のおじさん3人は、「挙人」という言葉にびびって、一言も発することができずにいた。挙人とは、科挙の合格者のことである。正真正銘の最高峰の知性を意味する。西安の挙人といえば、逃げた知事と財務長官、そして、舞い戻ってきた司法長官。つまり、現在1人しかいない所に来た2人目の挙人が牛金星なのだ。
牛金星の方は、もちろん碧が小娘であることに驚愕していた。しかし、共に一国のあり方を考えることに加わった。
橙巾党のおじさん3人と財政部門の役人は碧にコソコソ注意した。
「そんなに簡単に信用していいのか?」
「悪い奴だったらどーする」
けれど、碧は平然と言った。
「貴重な知識を搾取できる良い機会です」
財政部門の事務を行う場所に銀は置いていない。銀庫と呼ばれる場所にある。それは、財政部門の建物の敷地内にあるのだが、厳重に管理されている。万が一、牛金星が金目のものを狙っているのだとしたら、困難で捕まるリスクが高い銀庫は習わないだろう、と碧は考えた。
──挙人は変わり者が多い。
碧は、挙人はどこか似ているのかもしれないと思った。
老師は1人で庵に住む変わり者。司法長官は、逃げたのに「新しい法を創る」ことに魅力を感じて戻ってきた。牛金星は1000km離れた大南国から「民のための政」をしたいとはるばる来た。
牛金星は、おじさん3人にお近づきになるべく酒の席を設けた。3人を安酒場へ連れて行ったのである。おじさん3人は、安酒場という自分達のテリトリーであったことに警戒心を解いた。
「実は庶民的なとこもあるんかな」
「いや、でもな。挙人だぞ。官僚やっとったんだろ?」
「えーとこのぼんぼんやろな」
実際、科挙に合格するほどの教育を受けるには、庶民には到底払えない莫大な費用がかかるのが常だった。おじさん達が身構えるのも無理はない。
「オレ、礼儀とか分からん」
「食事、緊張する」
そんなおじさん3人を、牛金星は手懐けた。開始15分後には……。
「そーか。せっかく牢を出たんに、かーちゃんは逃げたんか」
「捨てられました」
盃を持ちながら、牛金星は寂しげに微笑んだ。実は側室3人にも捨てられたのだが、そこは敢えて言わない。庶民は側室など持たない。彼はイケオジだったのでモテた。モテは男から妬まれることを承知していた。
「実家まで迎えに行かんかったのか?」
「妻の実家は遠いですし。一国に早く来たかったので」
「そーかそーか」
「はー。大変やったな」
3人のおじさんは、情に厚い。家族の話を出せば、ちょろいのだった。翌日には、すっかりフレンドリーな仕事仲間となっていた。牛金星は、攻略が難しそうな役人には、誠意のある仕事ぶりで徐々に近づくことにした。
ある日のことである。司法長官が財務部門を訪れ、碧と立ち話をしていた。
牛金星の目には、碧は司法長官と親しげに映った。司法長官はロマンスグレーの髪を湛え、緋色の官服を纏っている。胸には文官三品の証である孔雀の刺繍。かつて南部にいたころの牛金星は、はるか格下の緑色の官服に鶉の刺繍だった。緋色の官服を着るなど、当時の彼にとって夢のまた夢だったのだ。
「お話中、失礼します。牛金星と申します。この度、李碧殿の元で仕事をすることになりました」
牛金星は積極的にアピールした。司法長官は、シゴデキオーラ満載の牛金星に、現在頭を悩ませている難題を投げかけた。
「一国は 2年免税をしていて、昨年初めて徴税をしたのだ。けれど、『銀の値段が高騰している』と商人が小麦や米を買い叩いた。更に、銀を地銀に加工する手数料まで取ったのだ。2年間穀物の商売が冷え込んだ分を取り戻したのだろう。しかし、いくら悪徳と言えども、後から作った法で取り締まるわけにはいかない」
牛金星は、司法長官がこの話を自分にしたことよりも、たとえ世間話であったとしても、年端もいかない碧に国家の財政問題を話していたことに驚いた。そして、即座に意見を述べる。平静を装っていたが、司法長官への緊張から、心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
「では、今年から小麦や米の公定レートを定めてはいかがでしょう。銀の加工をしているのは、商人ではありません。ですから、加工の手数料は必要ないと徹底するのはどうでしょうか」
銀の加工の手数料と偽って懐を温めていたのは、商人だけではない。役人もだった。手数料の窓口を1箇所にしてほしいという陳情書があったが、実際には、納税のときに銀の加工の手数料を払う必要はない。
碧は別の意見だった。
「銀が不足して、高騰しています。かつて税が銀に一元化され、シンプルになりました。けれど、穀物で収めてもらうのはどうでしょう。そうすれば、商人は悪事を働く隙もなくなります」
牛金星は「うーむ」と考える。
「なるほど。今までは帝都へ運ぶには銀の方が都合がよかった。けれど、もう帝都に銀を運ばないのであれば、銀に一元化していた納税を穀物や絹織物で納めてもいいのかもしれません。ただ、銀が高騰するなら、税を下げても銀で納めてもらう方向でも、利はあります。その銀の価値が役所に保管しているだけで上がっていくのですから。商人から仕事を取り上げると、別の形で報復されてしまいます」
牛金星の言葉は、碧に新たな視点を与えた。実際彼のいうとおり、銀の値上がりを考慮すれば税率を下げることになる。税率を下げれば民衆が「減税」を悦ぶ。その一方で、銀の価値は高騰していく。更に、商人達へも配慮できる。




