張バッタ反乱軍のおかげ
読んでくださってありがとうございます。
「大一国」を「一国」に変更します。
当方の無知で、当時の中国の国には「大」が敬称や接頭語のようにつくものだと思っておりました。正式な国名だと知りました。ここまでの話も順次修正する予定です。
2月。一国は、凍てついた長江を渡り、南へ進軍する。
白銀の雪は、張バッタ反乱軍の殺戮も略奪も覆い隠し、ただ美しく広がっていた。
野営の深夜。治世はキンとした首の冷たさに目を覚ます。首に当てられていたのは、刀の刃だった。
「よ。治世だったっけ? 久しぶり」
テントの中は漆黒の闇に包まれ、治世の目にはまだ何も映らない。しかし、聞き覚えのある声だった。張バッタ反乱軍のトップ、張。治世は、張と面識があった。
「……」
刃がぴたりと首に添えられ、治世は、身を起こすどころか、声を出すことも叶わない。息をするだけでも皮膚が切れそうなのだ。
「ふっ。これじゃ挨拶もできねーな」
張は1cmほど刃を離す。
「なんですか」
「おーっと、でかい声出すなよ。訊きにきたんだ。何しに来た?」
「……」
答えない治世の首に、張は再び刃をつける。治世は暗闇にだんだん目が慣れてきた。カマキリのような痩身のシルエットが朧げに浮かぶ。
「オレらを成敗しに来た? ちげーよな? そんなことして得なんてねーもんな。あれだ、藩王んとこか?」
張は刃を僅かに離す。
「はい」
「へー。いーじゃん。一緒にするか?」
「いやです」
「はっ。懐かしー。オレがスカウトしたときも、そーやって断ったよな?」
「……」
治世が駅卒をしていたとき、張はそのルートで山賊をしていた。駅卒の荷物を襲ったのだ。そのときの積荷は書簡だった。治世はほんの少しの銭しか持っておらず、張は情けをかけた。
『こんだけかよ。なぁ、駅卒する体力あるんなら、オレんとこ来いよ。もうちょっと食える』
『いやです』
駅卒は重労働低賃金で有名である。低どころか、国費の困窮によって給金が滞ることは日常茶飯事だった。
しかし、治世は誘いを断り、張は、彼に危害を与えず、銭すら取らず、逃したのだった。
「ま、いーや。オレらはお前らの後ろからついてくかなー。弾除けに先、行っちゃって」
「ふざけるな」
張バッタ反乱軍は、仲間に加わったばかりの新入り達を、弾除けのために最前列で歩かせる。肉壁である。それを、一国軍に担わせると言う。
「でかい声出すなって。オレらのこと狙おうなんて思うな。矢も弾ももったいねーじゃん。どーせ狙ったって、肉壁が減るだけ。オレらは痛くも痒くもない。大丈夫。オレらは攻撃しねーから。ほら、お前らにさ、藩王を仕留めてもらわないとさ」
「そんなこと、許さ、、、」
「おーっと。声声。な、なんだっけ? 橙巾党。オレらもそれ、被っちゃうよ」
「や、」
治世が「やめろ」と言う前に、張は刀をすっと引いた。治世の首の皮に細い一本の線が入り、血がたらりと流れる。
「仲間ってことで。じゃ、よろしくー」
張が去っていく。治世は飛び起き、テントの外へ出て叫んだ。
「張だあああ!」
張の姿は、すでになかった。
翌朝、一国が進軍を開始すると、背後から黒々とした張バッタ反乱軍が追従し始めた。微妙な距離を保ちながらも、徐々に近づいてくる。一国の将兵を占めていたのは、激しい嫌悪と辟易だった。大志を掲げる一国軍にとって、略奪を繰り返す流賊と同類に見なされることは、屈辱的である。
一国軍3万は援軍であり、主軸は標的の藩に蜂起した反乱軍5万だった。両軍は、第二の首都で合流する予定になっている。
行軍中、一国軍の兵士達は、背後の張バッタ反乱軍を振り返り、首を傾げる。
「なあ、20万人って聞いたよな?」
「20万もおらんぞ」
しかし、少なくとも2万はいる。一国軍が行く街道と並行した道にも黒々とした影が続いているのだ。落葉した木々が並ぶ場所では、その軍団が降り積もる雪の向こうに見えた。
「どれくらい?」
「オレらよりは少ないかも」
一国軍を指揮しているのは、一国ができる前からのプロ軍人である。背後の不穏な影に惑わされることなく、目的地へ先行部隊を出す。
「合流地点にて、武器および兵糧の確実な調達を確認せよ!」
それに伝令の兵士が応じる。
「はっ」
「我々の背後に変な暴徒がついてきていることも伝えろ」
「承知しましたっ」
騎馬が数頭、駆けていく姿を見送りながらも、背後の無気味な存在は、一国軍の頭を悩ませ続けていた。
ひゅん
ひゅん
ひゅん
急襲。一国軍が驚き、応戦しようとする。
「なんだ!」
「張バッタか」
「オレらを狙わないじゃなかったのか?!」
「官軍です」
「官軍の待ち伏せです」
その混乱の間、瞬時に背後からどだだだだっと無数の足音が迫ってくる。竹の鎧、不揃いなボロ服の集団が、怒涛の勢いで一国軍を取り囲む。そして、錆びついた刀や竹槍を振り回し、盾となるようにして一国軍を守るのである。更には、並行する道にいた軍団が、雪原となった田畑をつっきって官軍側面へ突撃する。白銀を血に染める死闘が繰り広げられ、やがて静まり返る。
一国軍は、血溜まりの中に横たわる官軍と張バッタ反乱軍の倒れた死体を、避けながら進んで行った。
「なあ、あいつら、官軍の死体に群がっとる」
生き残っている張バッタ反乱軍の兵士が、官軍の兵士の死体から鎧や武器を調達し、金品や携帯食を奪っている。
「ぜったい仲間って思われたぞ」
「ぜったい仲間って思われたくない」
「マジで困る」
「アホウ。命助けてもらったんやぞ」
道中、待ち伏せる官軍の防衛線は一箇所に留まらなかった。官軍が攻めてくると、ハエや蟻のごとく張バッタ反乱軍が一国軍の周りを覆い、戦い、引く。2つめの関門では、前衛が戦ったものの、後に控える張バッタの大群を見た官軍の後衛は、まとめて遁走した。
こうして、奇妙な光景のまま第二の首都に到着したのだった。
すると、なんと、そこにも張バッタ反乱軍の別部隊が既に陣を敷いていたのである。張はもとは軍人。部隊を分けて戦略的に動かしていたのだ。藩王を攻め落とそうとするその地の反乱軍と一国軍は、張バッタ反乱軍に辟易していたのだが、結果、大軍勢ができあがっていた。反乱軍5万、一国軍3万、張バッタ軍4万。合計12万。
藩王は太刀打ちできない数の軍に降伏した。無血開城だった。
勝ち鬨をあげて宮廷の門をくぐったのは、その地の反乱軍のみ。怒った張バッタ反乱軍は近隣を襲い始めた。「略奪は死をもって処す」を掲げる一国軍にとっては、初めて目にする地獄絵図である。人々が逃げ惑い、火矢が飛び、金目のありそうな家々の扉が壊される。
治世は、
ざしゅっ
略奪に耽る張バッタを1匹斬った。小さなどよめきが起こった。いつの間にいたのか、治世のすぐ隣に張が立っていた。
「そんな雑魚1匹いなくなったって、変わんねーよ」
張は横から冷たい視線を治世に投げる。
「お前っ」
治世が両手で刀を振り上げる。張が鞘に収まったままの刀で防ぐ方が、ずっと速かった。
「ヘタクソ。仲間だから教えてやろっか?」
張は左手だけで治世の刃をいなしたまま、空いた右手で乱れた自身の髪を整える。
「仲間なら、略奪は死をもって処す!」
治世が叫ぶと、周りにいた一国軍の兵士が略奪をしている張バッタ反乱軍を斬り始めた。訓練を受けた一国軍の精鋭達が次々と略奪犯達を屠る。
「引くぞ!」
張はひゅーいと指笛を鳴らす。その合図で、蜘蛛の子を散らすように、張バッタ達がいなくなった。
集合、進撃、略奪、解散。統制のとれた見事さに、一国軍は張の手腕を知った。指揮官が治世に尋ねる。
「張か?」
「はい」
「知り合いか?」
「一度、駅卒のときに襲われて、金目の物がなかったから逃してもらいました」
「それだけで?」
「そのとき、一緒にやろうと誘われました」
「なるほど。気に入られてるわけか」
「不本意です」
むっとする治世。指揮官は張が消えた方向に目をやり、唸るように言葉を漏らした。
「見事な統率力だぞ。好きではないが」
戦は大成功。しかし、無血開城だったため、現地で調達した武器がまるまる使い道を失い、無駄な荷物と化してしまった。そちらは、藩王を降伏させて富を得た、その地の反乱軍が買い取った。交渉は山西商人がやってくれた。




