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橙色の旗、風の夢〜親友の脚を守ったら、歴史が塗り変わりそうになってます〜  作者: summer_afternoon


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I need you!

「家、見えるよ」


 碧(ビー)は正直に答えた。


「帰んないの?」


 治世(チィシー)は碧の方を向き、首を傾ける。碧は朱塗りの欄干に袖で覆った手を置いたまま、実家の医館から視線を動かさなかった。


「……」

「帰れよ」


 と治世。


「んー。」

「帰ってねーだろ。あの日から1回も」


 あの日とは、橙巾(とうきん)党が藩王を降伏させた日のことである。


「帰りにくい」

「なんで」

「なんでだろ」

「オレらみたいな農民と一緒にいるから?」

「それだけは絶対にない」

「じゃ、どーして」


 国に背く正しくないことをしたのだ、と碧は治世の前で口にできなかった。


「……。女の子なのにさ、大事に育ててもらったのにさ、嫁にも行かず、孫も産まない。それってダメじゃん。おまけに、西安(シーアン)の人はみんな、私が女のくせに男に混じって政(まつりごと)やってるって知っちゃって。こーゆー子、求めてないって。想定外だって」


 そう言って尖らせた碧の唇を、治世はつまむ。碧の両目が中央に寄った顔に、治世は笑った。


「ははっ。変な顔」

「なっ」

「親なんて、そんなこと思ってないって」

「私の親じゃないのに、なんでそんなこと分かるの」

「ん? オレのかーちゃん、言ってた。生きとったらええ。健康ならええ。辛かったり悲しんだりしてなかったら、それでええって」

「それは、治世んとこはそーかもだけど」

「嫁とか孫とか、なんも言わん」


 19歳。そろそろ男も結婚しているころである。


「ふーん」

「ただ、親父は『親は先に死ぬ』とは言ってっかな」

「そっか」

「わん」


 いつの間にか、治世の足元に、狼の蘭(ラン)がいた。


 ふりふりふりふり


 嬉しそうに大きな尻尾を揺らしている。


「蘭蘭(ランラン)、いつの間に」

「わん」

「帰るぞ」

「わん」

「は?」

「今」

「わん」

「え」


 即、2人と1頭は城楼を降り、碧の家に向かう。途中、治世は手土産を2つ買って、1つを碧に渡した。


「ちゃんと、戻ってこいよ。碧が必要だから」

「わんわん」


 ──I need you!


 碧は現代で観た映画のラブなワンシーンを思い出していた。


 惚けたような顔のまま、碧は医館の横にある家の玄関前に立つ。治世は門の鉄環(ノッカー)を叩いて大きな音を響かせると、去っていった。


「碧!」

「お母さん。ただいま。えーっと。ひさしぶり」

「あ、もう。碧。大人っぽくなって。綺麗になって。ちょっと、お父さん、碧、碧が帰ってきたよ!」


 碧にとっては、非常に帰りにくい場所であったのだが、拍子抜けするほどあっさりと彼女を迎え入れてくれた。


 美味しい物を食べ、新年を祝い、家族で街をぶらぶら歩く。家で暮らしていたころしていた何気ないことが、全て貴重だった。父がいて母がいて、医館で働く人達と笑い合い、祖父母の息災を喜ぶ。全てが素晴らしいことなのだと身に染みて感じた。


 滞在中、碧は老師の庵も訪れた。小さな庵から、白い湯気がふわふわと冬空へたなびいている。


「素晴らしいな。私の友人は」

「弟子です」

「忘れたのか? 最初から友人だったのだぞ。お前達が勝手に老師と呼び始めたのだ」

「そうでしたね」


 老師の言葉に、碧は器に唇をつけ、ふっと微笑む。


 今も老師は、晴耕雨読の生活を送っているという。"あの日”から、たった2年の歳月しか流れていないのだ。


「最初は李碧がしているとは知らなかった。そしたら”均田免賦、2年不納糧”という言葉は医師の女の子が考えたと噂を聞いた。すぐ李碧だと分かったぞ」


 老師は嬉しそうに茶を啜る。


「老師。ご相談したいことがあります」

「なんだ」

「去年の秋、2つの藩から手を貸して欲しいと言われました。片方には手を差し伸べ、片方は断りました。断られた方は私のことを恨んでいると思います」


 南棟の藩の反乱軍の訴えを断り、南南東の藩の反乱軍には援軍を送った。


 歴史では、南東の藩を李治世軍が攻め、誰かが黄河の堤防を爆破して決壊させた。李治世軍と30万人のその地に暮らす人々が洪水で流された。それを回避するためだった。それは碧にとって、誰にも打ち明けることのできない1番の理由だった。


 しかし、もう1つ、誰もが推測している理由がある。李碧は、それを老師に話した。


 南東の藩の蝗害(こうがい)は、救済が不可能なレベルに達していた。田畑で街道で家々の中に飢えで亡くなった骸があり、それは、降り積もるバッタの死骸と共に凄まじい死臭を放っていた。かろうじてバッタの経路から外れた田畑は略奪に遭い、獣になって生きるか、人として死ぬかという選択をしなければならないほどだった。自らの食べ物を囲った藩王は、獣と化していたのだろう。


 南東の藩を救う方法は、食糧の供給以外になかった。藩王や富裕層の備蓄分では足りない。それを満たす量は、一国になかった。

 

 一方、南南東は、蝗害は起こっておらず、状況は制御可能だった。役人による税の取り立てが民を苦しめていた。事前情報で藩王の資産が分かっていたし、人々はまだ獣と化していなかった。そして、碧は、最初から、帝都を落とす前に穀倉地帯の南部を手にするべきだと考えていた。南南東にある藩は細長く、南の方は長江上流。南部最大の第2の都市に近い。


「なろほど。李碧なりの算段があるのだな。その理由によって自分で判断したのなら、迷うな」

「ですが、私は、最も辛い思いをしている人々を突き放しました。民衆のための政治をしたいと思っているはずなのに、です」


 老師は茶を飲む手を止め、器を静かにテーブルの上に置いた。


「正義という言葉に惑わされてはいかん。何を為すか。それを実現するためなら、どんな手段を使っても行う強さが必要なのだ。李碧、為したいこと為せ」


 碧にとって、尊敬する老師の言葉は、何よりも背中を押すエネルギーになった。


「はい」


 ──一国を終わらせない!


 新年、碧は新たに誓った。



 夜、碧は自分の部屋の寝台(ベッド)の上で幼いころと同じように四肢をバタバタさせていた。考えていたのは治世のことだった。


 ──すてきすてきすてき。


 久しぶりに、昔、治世にもらった蘭の牙の乳歯を取り出して眺める。


「ちっさ」


 まだ子犬のようだった狼の蘭を思い出す。


「しっぽ、細かったよね」


 すると、子供だったころの治世、少し大きくなった治世の映像が順番に蘇る。


 そして頭の中でリピートする。


『ちゃんと、戻ってこいよ。碧が必要だから』『戻ってこいよ。碧が必要だから』『碧が必要だから』『碧が必要だから』


 ──きゃー♡♡♡ I need you!


 治世は決して「オレには」とは言っていない。しかし、碧は枕を抱え、ごろんごろんと寝台の上を転がって喜んだのだった。


 ◇


 遡ること2ヶ月。碧は山西(サンセイ)商人の西(シー)氏に軍需物資の取引を相談を進めていた。


「西氏様、山西商人の繋がりを通じて、兵糧や武器を調達していただきたいのです。ここではなく、新しく大一国に加わった地域に」


 次のターゲットは大盟帝国第2の首都。


 西安から1000km離れた長江下流の要塞である。しかし、新しく加わった南南東の藩の領土の端は、第2の首都から430kmほど。軍のトップと精鋭をそこへ派遣して兵を集め、430kmを進軍する方法を思いついた。最大の問題は、物流だった。長江を越えるため、多くの武器やいつまで続くか分からない戦の兵糧は運ぶのが困難になる。


 そこで、第二の首都までは、移動の足枷となる重装備を排除し、兵糧の携帯も最小限に抑える。目的地へ到着してから、重火器と大量の兵糧の追加供給を受ける。西安から1000km離れた場所でのことを依頼するなど、大盟帝国中に金融と物流のネットワークを張り巡らした山西商人にしかできない。これに加えて、長江を渡る船の調達も依頼した。


 400km以上、敵国、大盟帝国の領土を進軍することになるが、そこは張バッタが荒らし回った後の地。大盟帝国の防衛網は崩壊している。疲弊した官軍など敵ではない、というのが大一国軍の見解だった。


 西氏は言った。


「お任せください。ところで李氏様、船は用意しなくても大丈夫です」

「では、どのように長江を渡るのですか?」

「冬、長江は氷ります」


 戦の準備は着々と整っていった。


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