張バッタ反乱軍
新しい年が始まっていた。和14年。皆が一斉に歳をとる。碧と治世は18歳になっていた。歴史では、崇和17年に大盟帝国が滅びる。
この年、新興の一国は、政治基盤を固めた。大盟帝国朝廷からの官軍が来る兆候はない。西安までの1000km先まで軍を進めることは不可能だったのだ。碧は記憶していた。この年は、帝都周辺にもバッタが飛来し、そこでペストが流行り始める。
2つの国が敵対していることにより、碧と茉莉の文は届かなくなった。
──スマホがあれば。
現代の記憶がある碧は心の中で嘆いた。
崇和15年。19歳の年、再び、南東の国境を接する国の反乱軍からラブコールがあった。碧は首を縦には振らなかった。この年、その地域は前年に続き、再び旱魃と蝗害に見舞われると知っていたのだ。前年の旱魃と蝗害は、次の年にも影響を及ぼす。旱魃によって繁殖に適した土壌となり、そこに大量のバッタが卵を産むためである。
もう1つ理由があった。歴史では、李治世軍が城壁の周りを囲んで兵糧攻めを行う。そこは黄河に面していた。どちらかの手により、黄河の堤防が爆破された。李治世軍だけでなく、周辺に住む、30万人もの人が死亡した。
出陣すれば、歴史を踏襲してしまうと碧は懸念する。
「援軍を出すのもダメなのか?」
隣の藩から来た反乱軍代表はすがるように訪ねた。
皆が黙って碧の顔を窺う。代表は両拳をテーブルに撃ちつけた。
「もう、木の皮剥いで、地面掘って根っこ食っとる。バッタに全部食べられた。なのに、藩王んとこや役人の蔵には米があるんじゃ! もう、土も人も干からびとるんじゃ」
碧は立ち上がり、男の、赤くなった手の甲に手巾を当てる。そして、強い目で男を見た。
「9月には危険なほど雨が降ります」
堤防爆破、黄河決壊。碧の頭の中には歴史の記憶がある。
その場の全ての者が、予言めいた言葉と碧の真剣な表情に息を呑んだのだった。
9月、旱魃と蝗害で苦しんでいた南東の藩に雨が降った。堤防爆破、黄河決壊は起きなかった。
──歴史が変わった!
碧は嬉しさに涙した。
30万人もの民衆の命、橙巾党の命が救われた。そして、歴史が変わるなら、大盟帝国の後、44日間しか続かなかった一国が延命するかもしれないのだ。
すでに歴史は変わっている。歴史では、一国は、昨年、西と大盟帝国中央へ勢力を伸ばしていた。ところがこのとき、一国の領土は、依然、旧藩と同じままだった。
そのころ、一国は南南東に隣接する藩と結託し、藩王を滅ぼした。
この南南東の藩は、南の境界が長江だった。長江の南は大盟帝国の穀倉地帯が広がっている。
碧は「飢饉に何度も襲われたことを鑑み、穀倉地帯である長江以南を大盟帝国から独立させるべきだ」と主張した。
大盟帝国のままでは、一国と輸出入ができない。一国は近年、気候に恵まれていない。不作のときのために、穀倉地帯から食糧の供給経路を作っておきたいと碧は考えている。穀倉地帯が豊作で安いときに仕入れて備蓄しておける。
彼女は、現在の一国だけではなく、2年後以降の未来まで視野に入れていた。歴史では2年後、李治世軍が帝都に入る。残念ながら、李治世軍の世は僅か44日で終わってしまうのだが、碧は、これを何百年という長さに変えようとしている。それには、まず穀倉地帯の米や小麦が必要なのだ。
「独立?!」
「一国にするんじゃなくて?」
皆がその発想に驚く。
「一国に入ってくれないと思います」
碧の言葉に、その場にいた者達は何かを察して斜め上の天井を見る。
「「「「あ”ー」」」」
格上なのだ。
藩に優越などないというのが建前で、実はヒエラルキーがある。一国は、古都、西安はあるが、乾燥した気候て南部に比べれば実りは少なく、地味。そもそも、なぜ一国ができたのか。貧しかったから反乱軍が力を持ったのだ。
反して、長江以南の肥沃な土地は、作物がざくざく取れてリッチ。大盟帝国全体の約半分の富が集まり、高級な絹織物や米のほとんどを生産している。
「だから独立国なんかー」
と声が上がった。
このころ、さまざまな地域の様子を探るべく、密かに人が送られていた。それにより、旱魃、蝗害、冷害、洪水などの災害の規模や人々の暮らし、世論などの情報が送られてくる。
「どんな風なんや? そこは」
「去年はバッタにやられたって話やった」
「酷かったってな」
「今年は?」
その質問に、担当者が答える。
「人間バッタが暴れています。張という男です」
碧は、悪の化身を思い出す。歴史の中で、李治世と双璧をなす張の反乱軍は、略奪と殺戮がウリ。李治世軍に「略奪は死をもって処す」という掟があったのと真逆なのだ。
人間バッタの形容通り、張の反乱軍が通った後は無数の死体が転がり、金品や食糧が略奪され尽くした。それが終わると、次の場所へと移動していくのだ。
「昨年の不作で張の反乱軍が巨大化しています。中には制圧に来た官軍だった者も大勢いるようです」
「官軍の兵士が反乱軍に入ったっちゅーことは、官軍で俸給がでなかったんだろな」
「米はどーなっとる?」
「張の軍に田畑が荒らされたり、農家が襲われて収穫したものを取られたり、ですかね。彼らは火を点けるんですよ」
「なんちゅーこっちゃ」
「張バッタはどれくらいなんだっけ。5000人くらい?」
「20万人弱と言われています」
「「「「はあ? 20万?!」」」」
圧倒的な数に皆が驚いた。橙巾党が西安を陥落したとき、6000人ほどだったのだ。
「張バッタすげー」
「何の話しとったんだっけ」
「20万で全部忘れた」
「長江の南がどうなっているのかという話でした」
そして、圧倒的な数に、碧の主張した独立国の話は立ち消えた。
11月。張バッタの被害に遭っている人々がやってきた。
「力をお貸しください。もう、ボロボロなんです。やっと収穫したところを略奪していった。家も畑も焼く」
「官軍? アテになりません。元官軍が反乱軍の中心で指揮を取ってますよ」
「それに、しばらく帝都からの官軍は来ない。帝都はペストだ」
そこで、一国側の情報収集担当者が補足する。
「帝都では、2万人ほどがペストで亡くなっています。張の反乱軍が運河を止めたので南からの食糧が届かず、食糧難に陥っています」
長江が流れる平野部の穀物が、帝都を支えている。それが滞っていた。
「藩王は難攻不落の城壁ん中に籠って、いい米食ってます」
「あいつらを追い払うだけでいい」
「一緒にやってくれんか」
張の反乱軍の話は、一昨年から噂になっていた。碧は、20万人の張バッタが3年間移動しながら食いつなげる、長江以南の豊かさに舌を巻いていた。
碧が静かに発言する。
「張の反乱軍のために出兵するとして、我々は田畑を放り出し、国費を削り、1000km先で化物と戦うことになります。けれど、命を賭けた兵士達に出す報酬は得られません。亡くなる人もいるでしょうし」
その場の者達は心の中で「金かよ」と思っていた。
碧は畳み掛ける。
「一国は、貴殿達と貿易をしたいのです。けれど、そちらは大盟帝国。敵国です」
「「「敵国?」」」
客人達はすっかり忘れているようだった。一国は農民が立国した。だから農民同士助けてくれると単純に考えていた。
「我々は、大盟帝国にとっては国賊です。援軍を送れば、張の反乱軍に辿り着く前に官軍に制圧されます。いえ、抹殺されます」
被害の地域へ行くには、一国から出なければならない。碧はそのことを伝える。
皆が返答に困っているとき、治世が発言した。
「西安みたいに、難攻不落の城の門が中から開いたらいいですね。中には米がいっぱいある」
会議はそこで終わった。
その後、頻繁に密書のやり取りがされた。
新年の2日前、12月30日、治世と碧は、西安の宮廷にいた。街は新年を迎える華やぎに溢れ、笛や太鼓の音が届く。
碧は1人、城楼から街を眺める。うっすらと積もった雪がきらきらと陽光を弾き、古都を白く輝かせている。
「碧」
そこに治世が歩み寄り、隣に並んだ。
「治世、いたんだ? 家に帰ったかと思った」
碧は、朱塗りの欄干にある悴んだ指を、袖の中にそっと引っ込める。
「碧の家、見える?」
治世の言葉に碧の瞳が揺れた。彼女はときどき、ここから実家の医館を見ていた。玄関側は見えない。見せるのは屋根だけ。そのことを治世に話したことはなかった。
* 張バッタのモデルは張献忠です。
張献忠は長江の北を荒らし回り、大西国を建国しました。
史実では、長江の南には渡っていません。




